1時限目が終了した。サークル棟に来た。
「CM研」のサークル室は物静かである。ぼく独りだけが居る空間。白い長テーブルの上にCM雑誌を置いて読み耽る。響くのはページをめくる音だけだ。
今年の新入生が1人も入会してくれないのは濃厚だった。正しく言えば今年「だけではない」。2023年春のぼくの入会以降、「CM研」の扉を叩いた人間は誰1人として居ない。
でもそれがなんだって言うんだろう。強いキモチが、サークル過疎化によるネガティブな色を払拭する。たしかに、現役会員は3人ポッキリである。しかし、このままサークルが絶滅するだなんてぼくは少しも思っていない。希望を持つ根拠は文字数その他の事情で割愛するが、吉田奈菜(よしだ なな)さんにしたって馬場好希(ばば こうき)さんにしたって、サークルの絶滅可能性など考えたコトも無いはずだ。
吉田奈菜さんと馬場好希さんが上級生会員である。ぼくが3年で吉田さんと馬場さんは4年である。
『えっ、吉田さんと馬場さん卒業したら、サークルにキミ1人になるよね?』
見知らぬ場所から聞こえてくるこんな風な声もぼくは一切受け付けるコトが無い。
× × ×
ドアノブが動く音が聞こえてきた。
馬場好希さんが良かった。吉田奈菜さんは良くなかった。吉田さんが嫌いなのではない。吉田さんが苦手なのだ。
しかし無情にも、にゅぅーっ、と姿を現したのは、身長152センチで緑と白の髪のリボンがトレードマークで口の中に八重歯を隠している女子大学生であった。
『吉田さんは今日は何を企んでるのだろうか。ぼくの腕をつねってくる段階になるまで徹底的に無視してみようか……』
少しだけ不穏な眼つきで吉田さんの動きを追いながら、ココロの中でそう呟いた。
ぼくの左サイドでピタリと立ち止まった。約3メートルの距離感。彼女はアゴに左手を接近させ、不吉な笑みを浮かべる。
由々しくて、ぼくの眼つきの不穏の度合いが上昇する。
「羽田くん機嫌悪いね。寝不足?」
開口一番がこれだった。
「あいにくのトコロ8時間睡眠です」
「うそぉ」
ぼくが嫌いな笑み方で、
「中学生じゃん」
と言ってきたかと思えば、
「いや、中学生ドコロじゃ無いわね。小学生だ小学生。無垢で純真な小学5年生に羽田くん退化しちゃったかー」
読んでいたCM雑誌を支えるぼくの右手がプルプルと震えた。
ぼくの右手に示された反応を知ってか知らずか、
「コドモな羽田くんに良いモノを持ってきてあげたのよ、あたし」
眼を逸らしつつ、ぼくは、
「良いモノ? 『ろくでも無いモノ』の間違いでは?」
結構な音を立ててぼくの席の間近にやって来る彼女が、
「反抗期なのォ?? あなたの超超美人なお姉さんと折り合いを悪くしちゃったりしてんの??」
と迫ってくるから、イヤになって、
「ケンカなんてしてないです、良好ですから」
しかし彼女は即座に、
「羽田くんなりのフェイクニュースか☆」
流石に座席からガバアァ、と立ち上がってしまうぼく。
「落ち着きなさいよ♫」
動じるコト無く彼女が垣間見せる八重歯。
やっぱりこの女子(ヒト)は苦手なだけじゃなくて嫌いだ……!
9割本気で睨みつける。しかし彼女は動じてくれない。
いつの間にか抱え込んでいたトートバッグの中から彼女が何かを取り出す。いったい何をぼくに向かって見せびらかしてくるって言うんだ。
「ひとつ言っとくけど、見せびらかすためにモノを持ってきたワケじゃないんだからね? 刺しておくわよ、釘」
ぐぐっ。
ココロ、読まれていた。
× × ×
吉田さんの手によって、CM雑誌は既にテーブル上から排除されてしまっている。代わりに並べられたのは、各国の文学作品。文庫・新書・単行本と様々な判型が入り混じっている。10冊ほど並べられた中で、ぼくが見たコトのある書き手の名前は1人しか居なかった。
呟くようにぼくが言うと、
「そーよ」
と彼女は、
「それは『サービス問題』。あなたが知ってる書き手を1人だけ混ぜてあげておいたってワケ。……残念ね、衝撃的に美人で生粋の文学少女たるあなたのお姉さんならば、こんなコトにはならないのに」
『こんなコト』ってなんですか、『こんなコト』って。
ムカつく。
「にらまないの、にらまないの」
彼女は落ち着き払い、
「今並べたのは、大学4年間であたしが『読んで良かったぁ……』と思えた厳選11冊。言わば、大学でのあたしの『集大成』が、ここにあるってゆーワケ」
そうですか……それは良かったですね。
でもどーして、11冊? 2で割り切れない中途半端な冊数のようにも……。
「『11冊は中途半端では?』ってあなた思ってんでしょ」
んぐぐっ。
冴え渡ってる。今日の吉田さん、冴え渡ってる。冴え渡ってるからココロを簡単に読まれる。
苦手で嫌いだから負けたくないけど、負けそうになってしまう。
「11冊の内、8冊なら持って帰っていいわよ」
余裕綽々(しゃくしゃく)に言ってきた。
並べられた文学作品に視線を落としながら、
「読ませたいんですね?」
「だって、羽田くんあまりにも不勉強なんだもーん。あなたの全部を『文学色(ぶんがくいろ)』に染め上げるつもりは無いけど、少しぐらいは染めたいの」
……『それはお断りします』とは、言い切れなかった。
CMほか放送文化や映像表現の方ばっかりに関心を傾けていた。文学部ではないけれど、シッカリとした本は2ヶ月に1回ぐらいしか読んでいなかったし、『1年間に読んだ小説の数が片手の指で数えられてしまう』という状態がここ数年は続いていたし、諸々の意味で不勉強である自覚は確かにあった。だから、図星の口をぼくは強く結んでしまった。
「染められそうね、どーやら」
そう言って吉田さんはぼくのカラダにより一層近づき、右手に持ったハードカバーの背表紙でぼくの胸をつん、つんと突っついた。
「――『ジュゼッペ・ウンガレッティ』」
ぼくはハードカバーの著者名を読み上げる。
「そ」
ハードカバーの背表紙をぼくの胸から離して吉田さんが応える。
「イタリアっぽい名前ですね。小説家ですか?」
そう訊いた途端。
すごい勢いで、彼女が、ぼくの胸を、ハードカバーの背表紙で、再び……!!