今週出席すべき授業はもう存在しない。食べ終えたサンドイッチの包装紙と飲み終えたカフェオレの紙パックをテーブル上に残したまま、「CM研」のサークル部屋に居るぼくは眼を閉じて考え事を始める。
「お題」は『プレゼント』のコトだった。あすかさんへのバースデープレゼントがまだ未購入なのを打ち明けた途端に、川又ほのかさんからお説教を食らってしまった。そんな風な昨日の昼下がりだった。
流石に『ちゃんとしなきゃダメなんだ!!』というキモチが出てきたから、午後2時頃にはここから退出して、狙いを定めた都内某商業施設にバースデープレゼントを買い求めに行く予定だった。
「考え事」の中身。それはもちろん、『どのようなジャンルのバースデープレゼントを買うのか』である。
「CM研」の厄介な先輩が入室してこないのを祈りながら、考え事に没入していこうとしていた。
しかしながら……!
× × ×
「……いちばん厄介な事態が到来してしまった」
無念であるがゆえに、こんな捨て台詞をこぼすのをガマンできなくなる。
4年生女子の吉田奈菜(よしだ なな)さんに捨て台詞はバッチリ聞こえていて、
「なぁにそれ!?!? 羽田くんはあたしたちに不満を大爆発させたいワケ」
「吉田さん、声が大き過ぎます。廊下まで響きます」
捨て台詞を付け加えるぼくだったが、
「それがなんなの」
と身長152センチで緑と白の2色のリボンがトレードマークな吉田奈菜さんは全く意に介してくれない。
「吉田さんって、就職、決まってましたっけ?」
既に『結果』は判明しているのだが、敢えて知っていないフリをする。上(うわ)ずるような声になってしまってちょっと悔しい。
「なにトボケてんのよっ。『内定ゲット』はとっくの昔に伝えてるでしょーがっ」
ぼくの姉と似通うような吉田さんの言い回し。あまりぼくを疲れさせないで頂けませんか?
吉田さんは、どこからともなく岩波の赤的な文庫を出してきて、ぼくの眼の前のテーブルにパーン! と置いた。パワハラ一歩手前の行為だ。
「文庫本をテーブルに叩きつけるのは道徳的に如何(いかが)なモノかと思うんですが」
「いいのよっ、この岩波の赤、新古書店に100円で叩き売られてただけなんだからっ」
あのねぇ……!!
「吉田さんって、たくさんのヒトを悲しませるんですね。よーくわかりました」
「なによ!? 誹謗中傷願望でもあるワケ!?」
「ち・が・い・ま・す!!」
× × ×
疲れた……!!
あ、バースデープレゼント購入には、成功しました。吉田さんに浴びせられた罵声を引きずりながらも……どうにか。
あすかさんに目撃されないように自分ルームにプレゼントを運搬した。
午後6時きっかりにあすかさんは邸(いえ)を出ていった。「女子会兼就職活動お疲れ様会」であるそうな。今夜はぼくが寝るまでにあすかさんは帰ってこないだろうから、ホッとひと息だ。
夕飯は流(ながる)さんが作ってくれた。流さん・梢(こずえ)さん・ぼくの3人で夕飯を食べた。九州地方の日本テレビ系列放送局について梢さんから興味深い話を聞いた。
現在のダイニング・キッチンはぼく以外もぬけの殻だ。スマートフォンをぽちぽち操作して、ウィキペディアの「鹿児島読売テレビ」という項目を閲覧している。
夜の適度な静けさの中でウィキペディアを楽しんでいたのだが、やがてスリッパの音が聞こえてきて、
「利比古くんだぁ」
と、明日美子(あすみこ)さんがダイニング・キッチンに入ってきた。
明日美子さんは、ダイニング・キッチン入り口付近の椅子に腰掛け、ニコニコしながらぼくに視線ビームを伸ばしてくる。
なんのためにダイニング・キッチンに来たのだろうか……と思いもするが、こういう笑顔の眼差しもしばしば眼にするモノだったから、違和感はほとんど無かった。
「ねーねー」
あすかさんのお母さんである明日美子さんは、約30歳も若いぼくに対して甘えるかの如(ごと)き声の色で、
「利比古くん、きっと疲れてるでしょー? 金曜日なんだからっ」
ぼくは、素直に、
「おっしゃる通りです。今日の昼間も、サークルの先輩女子がウザくって……」
「利比古くんに『ウザい』なんて俗語(ぞくご)はあんまり似合わないと思うけどなー」
んっ……。
「たしなめ」だろうか? 割りとレアパターンだ。
明日美子さんは続けざまに、
「吉田さんって娘(こ)なのよね? 利比古くんにとって厄介だっていう先輩の女の子」
「……よくご存知で」
「えへへー☆」
明日美子さんの『えへへー☆』に一瞬たじろぐが、その後で、今日のサークル室での一件をぼくは反芻(はんすう)して、
「フランス文学の知識を悪用して、マウント取ったリしてくるんですよ、彼女」
この不平を聞いて、明日美子さんは、
「利比古くんに対して、なんとしても優位に立ちたいのね」
ぼくは頷きながら、
「そんな感じです」
「そっかぁそっかぁ」
そう言いながら明日美子さんは立ち上がり、ぼくの席の右斜め後方にある冷蔵庫に歩み寄って、
「吉田さんのキモチ、わたしは、分からないでもないわ」
えっ??
ホントですか明日美子さん!?
そんな……!!
「ハタチを少し過ぎた頃の年代は、文学を自分の武器にしたくなるモノなのよ」
含みのあるようなコトを言ってから某スーパーなドライビールのロング缶を持って元の席に戻った明日美子さんが、ぷしゅっ、と開栓した後で、かなりの量を喉の中に流し込む。
眉間を険しくさせてしまうぼくは、明日美子さんがロング缶を一旦置いたタイミングで、
「それって……もしかしたら、経験談、ですか」
「ビンゴぉ☆」
明日美子さんは即座に答えた。
「平成初期の頃の古臭いエピソードではあるんだけど。高校生の時とか大学生の時とか、高度経済成長期に大量に出版された海外文学全集を持ち歩いて、見栄を張るコトが多かったのよ、わたし」
……意外だ。
明日美子さんと「見栄張り」という概念とを結びつけるのは、とんでもなく困難に思われるのだが。
かつての明日美子さんは、現在(イマ)のような明日美子さんとは遠く隔たっていた……。そういうコトなんだろうか?
「フランス文学だったら、高校時代はスタンダールの『パルムの僧院』をよく持ち歩いていて、大学時代はフローベールの『感情教育』をよく持ち歩いていたかなー」
朗らかに笑いながら回想する明日美子さん。
明日美子さんの朗らかスマイルの影響か、ぼくの疑(うたぐ)りがやや緩和される。