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【愛の◯◯】恩師の口から飛び出る『彼の名前』に……!!

 

麦秋(ばくしゅう)」という時候の季語がしっくり来る季節。喫茶店メルカド』の壁時計の針は午後5時15分辺りを示している。わたしの眼前(がんぜん)には恩師の伊吹(いぶき)みずき先生。生徒と一緒に掃除をしていた教室に放課後になった瞬間にやって来て、『5時になったら『メルカド』行かない!?』とおそるべきテンションで誘ってきた。何の話がしたくて『メルカド』に誘うのか。それが非常に怖くて逡巡(しゅんじゅん)したが結局は首を縦に振っていた。『メルカド』のコーヒーの美味しさの誘惑に敗れたのだ。

「ここのコーヒー美味しいねえ」

無邪気に言う伊吹先生。

「当たり前じゃないですか」

教え子だった時のように応えるわたし。

「あたしが高等部入りたての頃にはもうこのお店あったよ」

無邪気に無邪気を付け加えるように言う伊吹先生。

『それも当たり前じゃないですか……』と応える代わりに、

「『血の滲(にじ)むような受験勉強をして高等部に編入しました自慢』でもしたいんですか?」

伊吹先生は軽く薄く笑って、

「攻めるね」

と言い、

「そーこなくっちゃ」

と言い足す。

ブレンドコーヒーを慎ましく啜(すす)ってからわたしは、

「あのですね。わたし、伊吹先生とケンカするために『お誘い』に乗ったワケじゃ無いですから」

と言い、それから自分のコーヒーカップの中に視線を下ろして、

「伊吹先生が『何か』を仰(おっしゃ)りたいのは分かってるので」

と告げ、

「仰るのならば、できるだけ早く仰って欲しいんですが」

と、コーヒーカップの中へと注(そそ)ぐ視線を少し強くする。

が、

「もう10年前のコトなんだけど……」

と伊吹先生はいきなり切り出してきて、

「中等部に入りたての羽田さんがここでコーヒー飲んでるの、あたし目撃しちゃったんだよ」

と今まで聞いたコトも無かったコトをカミングアウトしてきたので、動揺のわたしは視線を上げてしまい、

「まさか、それが……仰りたいコト、なんですか!?」

しかし伊吹先生はフルフル首を横に振り、

「違うよ。『まだ12歳なのに、コーヒーをあんなに優雅に啜ってるだなんて。オトナだな~~』って思ったりはしたけど」

違うのならいったい何なのっ。

焦(じ)らさないでくださいよ!?

……ココロの中でわたしは怒るけど、

「羽田さん、あなた2杯以上コーヒー飲むつもりで来たんでしょ? お代わりコーヒーなら、あたしが無限におごったげるよ」

と言われてしまった瞬間、首を縦に振ってしまうのである。

 

× × ×

 

2杯目ブレンドコーヒーはカップの中にほとんど残っていない。わたしは依然として焦らされている。座りっぱなしに起因する腰痛などとは無縁だから、待つコトなら幾らでもできるんだけども。

眼前の伊吹先生をチラ見すると、

「今朝、皆口(みなぐち)先生、羽田さんに謝ってたよねぇ」

というコトバが彼女の口から出てくる。

続けざまに、

「羽田さんをグッタリとさせちゃった自責の念があったみたいで」

わたしはすぐに、

「グッタリしちゃったのはわたしの方が悪いんですから。正直、『そんなに申し訳無さそうにしなくたって……』って、今朝の職員室で謝られながら、感じたりしていて」

今朝のコトを思い返してフクザツな気分になってしまったから、右手指をコーヒーカップに持っていく。

2杯目を飲み干してカップを置いたら、両腕で頬杖をついている伊吹先生が視(み)えてきた。

何かを言われる。確実に言われる。

「予感」がある。実習の激務でわたしがグッタリしちゃった件を素材にして、いちばん言いたいコトに触れてくる……。そんな「予感」がある。

3杯目をオーダーするどころでは無くなってしまったわたしに、

「グッタリしちゃっても、支えてくれる子が居るんじゃん、羽田さんには」

と伊吹先生が告げてくる。

脚が震えてしまう寸前状態のわたしに、

「あなたにとっての、世界で最高の、世界で唯一の、ヒーロー」

とデリケートな領域へと分け入るかの如(ごと)く伊吹先生が言ってきて、

「そろそろ――戸部(とべ)アツマくんと、結婚したくなってきたんじゃないの?」

と、決定的だけどもわたしにとっては致命的な問いを投げかけられてしまう……!!

コーヒーカップの色よりもアタマとココロとカラダが真っ白になる。

椅子から腰を浮かせてしまいそうになるのを懸命に抑え込む。

脈拍は当然加速している。平常時の脈拍が小田急小田原線の各駅停車だとしたら、現在の脈拍は東海道新幹線だ。小田急と新幹線を比較したのは幼少期のわたしの住まいが小田急沿線にあったからだがそれは全くどうでもいいとして、伊吹先生が『アツマくん』と言っちゃったからわたしは致命傷を負っている真っ只中である。

右の人差し指でテーブルを乱打し始める。この比喩が適切かどうかは分からないが、BPMがいちばん速い時のジョン・コルトレーンのサックスみたいな速さでわたしは乱打を続けてしまう。店内にまろやかに響いていたBGMが次第に耳から遠のいていく。前のめり姿勢になるのもテーブル表面を凝視するのも回避できなくなる。

「あららーっ」

卑怯なまでに呑気な恩師は、

「今の羽田さん――こう言いたそうだね、『喫茶店の中みたいな場所でする話じゃ無くなってきてるじゃないの。バカみたいな話の振り方してこないでよ。これだからゆとり世代のわたしの恩師は……!!』って」

わたしはすぐさま右手をグググググググッと握り締めて、

「そんな失礼なコト、胸の中でも、呟いてなんかいませんからっ!!」

とボリューム大きめな声を出して、それからそれから、

「だけど、からかわれ過ぎると、パンチしたくなっちゃうから……程々にしておいてよっ」

と本来ならばあるまじきコトバを漏らしつつ、握り締めた右拳を岩石のように硬くしていく。

 

 




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