「羽田(はねだ)さん。皆口(みなぐち)先生が、『謝りたい』って言ってたよ」
一ノ瀬(いちのせ)先生にいきなりそう伝えられたからドッキリ。
土曜日の夕方。一ノ瀬先生とダンナさんの住まいであるマンションのお部屋。現姓『杉内(すぎうち)』の一ノ瀬先生が淹れてくださったホットコーヒーをダイニングテーブルで飲んでいたわたし。皆口先生の謝罪の意思を一ノ瀬先生が伝えてきたことでコーヒーの風味が急速に分からなくなってしまうわたし。
「『私が追い込んでしまったようなモノだから、反省してる』って。『木曜の放課後直前とか特に顔色が良くなかったのに、優しいコトバをかけてあげられなくって、悪かった』って」
木曜の夜に帰宅した瞬間にリビングのソファに倒れ込んでしまった。あの日はそれぐらい消耗してしまっていた。わたしの指導担当たる皆口先生はわたしの消耗ぶりに責任を感じている。皆口先生の親心(おやゴコロ)に何(なん)とも言えないキモチになる。
『はしゃぎ過ぎたからあんな風になってしまった』という自覚がある。皆口先生の優しさが染み入ってくるけど98%は自己責任だ。
コーヒーがまだかなり残っているカップをわたしは置いてしまって、
「悪いのはわたしです。皆口先生には、『悪かった』なんてキモチを持ってほしくなんか無い……」
と言いながら俯くけど、
「そんなコト言いなさんな、羽田さん」
と一ノ瀬先生が柔らかい声を届けてきたから背筋が伸びる。
真向かいの一ノ瀬先生に対してわたしは、
「でも、でもっ。わたしの方が、皆口先生に迷惑かけちゃったんだし」
と慌てて言うが、
「こらこら」
と一ノ瀬先生は微笑し、
「あなたの高等部卒業間際の『あの時』みたいに、わたしにこっぴどく叱られたいのかな?」
と戯(おど)け口調で弄(もてあそ)んでくる……。
× × ×
コーヒーはどうにか完飲できた。ダイニングテーブル後方の大きなカーペットでくつろぐのを勧められたから素直に従った。
2つのコーヒーカップを洗い終えた一ノ瀬先生がカーペットに歩み寄ってきた。ほとんど体育座りのわたしの右横に優雅に腰を下ろした。
腰の下ろし方まで洗練されている。オトナの女性の余裕。教育実習生に過ぎないわたしはコドモ。
「ダンナは泊りがけの研修に行ってるから、今夜はあなたとふたりきりの夜になるわね」
いきなりそう告げられた。わたしの顔面がコドモっぽく熱を出してしまう。
左サイドに少しだけ顔を逸らす。斜め下に視線を落とす。
劣等感混じりに、
「保健室の先生らしからぬコトバは、控えた方がいいと思うんですけど」
とたしなめるけど、
「むしろ、学校以外のトコで今みたいなコト言っちゃう方が、保健室の先生らしさなんじゃないの?」
と過激な発言を返されてしまったので右サイドに顔の向きを一気に変えてしまう。
「どーいうイミなんですか、それ……」とわたし。
「どーいうもこーいうも無いからぁ」と一ノ瀬先生。
一ノ瀬先生の横顔を凝視するわたし。わたしの顔に徐々に眼を寄せていく一ノ瀬先生。
わたしの在校時代から『クールで強くてカッコいい』という評判が定着していた。わたしの顔に寄せられる眼は『クールで強くてカッコいい』彼女を今でも象徴している。
張り合うつもりなんて無いはずなのに張り合うキモチが胸の奥のどこかで芽生えてくる。チカラが入り過ぎた右手でカーペットの表面を押さえつけてしまう。
『クールで強くてカッコいい』眼を直視した瞬間にわたしの「つよがり」が始まった。今晩はふたりで食事を作るコトになっている。キッチンに食材と俎板(まないた)を置く前にわたしはコドモじみたわたしから脱却したかった。脱却しようと足掻(あが)くのは「つよがり」以外の何物でもない。だけど萎縮しっぱなしよりは断然マシだ。やがてわたしは体育座りから別の姿勢になるだろう。二十歳(ハタチ)をとっくに過ぎたわたしに相応しき姿勢になるだろう。
『肌年齢だったらわたしの圧勝なんだし。それから、他にも……!!』
どうしようも無さ過ぎる対抗心を制御できるワケも無い。
難のある性格が急速に滲(にじ)み出てくる。紛(まご)うこと無き「わたしらしさ」だ。