荒木笙(あらき しょう)先生が放課後に通行する場所を憶えていないワケが無い。わたしは賢かったのだから。
『あるコト』を実行して『詰め寄る』ために荒木先生を待ち構えていた卒業間近の放課後もあった。その時とほぼ同じ場所にわたしは立っている。先回りして立っている。
全くの読み通りだった。放課後突入15分後に荒木先生が視界に登場してきた。
音楽科担当の男性教師はわたしの数メートル前で立ち止まる。『30代になったけど、醸し出す印象はあんまり変わってないのね……』と思う。しかしそんなのはどーでもいい。先回りまでしたのだから『やるべきコト』をやるだけだ。
「荒木先生。わたし知ってるんですよ」
そう告げたら荒木先生は不甲斐無き斜め下向き目線で、
「ぼくが顧問の吹奏楽部、今日は休みだってコト?」
「はい、そのコトです」
言った途端にわたしは詰め寄って、
「お暇(ヒマ)ですよね!? 先生お暇ですよね」
「なっなんなのその勢いは、羽田さんっ」
「これから先生を家庭科室に連れていきます」
「家庭科室!? 何故(ナゼ)に!?」
黙(だま)らっしゃい。
問答無用ですから。
× × ×
「『お料理同好会』を見学するコトになってたんです。ちょうど良かったです」
そう言ってからわたしは左サイドの丸椅子に腰掛けている荒木先生に、
「ちょうど良かったのはそれだけでは無くって。荒木先生、台の上にある食材で何が作れるのかご存知ですよね?」
しかし勘が鈍い荒木先生は調理台を見つめはするけどなんにも言ってくれない。
調理台の端っこを右人差し指でしこたま連打しながらわたしは、
「カツ丼ですよ。ほんとーにわかんないんですかっ!?」
荒木先生は気の抜けたような顔と声で、
「あ、そうか。そういえば、そうだなあ」
失望した。構っていられない。
ので、
「みんな? これからわたしがカツ丼調理を実演してあげるから」
と『お料理同好会』の娘(こ)たちに告げるわたし。
お料理大好きな彼女たちはエプロンを身にまとってわたしの向かい側にズラリと並んでくれている。
わたしもやはりエプロン姿。今日の放課後のために手作りエプロンをマンションから持ってきたのだ。
「わたしの手さばきをよーーく見てるのよ」
そう告げてから玉ねぎを手に取るわたしが居る。
お料理大好きっ子な彼女たちは荒木先生とは対照的に顔をきらめかせている。
同期の棚田(たなだ)さんから『お料理同好会』に再三勧誘され再三断った過去があった。本気でわたしを放課後の家庭科室に引き込みたかった棚田さんの気迫はわたしの内部に留まり続けていた。互いに大学に進学した後で彼女とはスマートフォンによる対話を重ねた。一昨年(おととし)から住み始めたマンションと彼女の通っていた某・国立大学法人は距離が近かった。それにもかかわらず顔を合わせるコトは無かった。だけど彼女との距離感は中高生時代よりも確実に縮まった。
わたしよりもひと足お先に就職した棚田さんを想いながら猛スピードで豚肉の下ごしらえをする。
『棚田さん……わたし、放課後の家庭科室にとうとう来てあげたわよ。次はあなたと顔を合わせてみたいわ。あなたの表情を見ながらこの様子を『リプレイ』してあげたいのよ。帰ってからLINEに連絡するからね……』
そういうココロの呟きが胸に溢れる。
その一方で『特別ゲスト』たる荒木先生はポヤ~ンと調理台でのわたしの作業を眺めているばかり。
バカッ。
× × ×
『お料理同好会』の娘たちはひとり残らず眼を星のように輝かせていた。
こんなに美味しそうなカツ丼を目の当たりにするのは初めてだろうから眼のキラキラも当たり前だ。彼女たちの内の3人は調理台の端に手を付けて恍惚とした表情でアツアツのカツ丼を凝視している。
苦笑いと微笑みを混在させてわたしは向かい側の彼女たちに対し、
「周知の通りお米が貴重になってるから、残念ながらあなたたちにはカツ丼は振る舞えないんだけど」
と言い、
「レシピを持ってきてあげたから、各自持ち帰って勉強してみてね♫」
と言うと同時に優しさを溢れさせていく。
優しさを溢れさせていく対象に荒木先生はもちろん入っていない。
イタズラな横向き目線を左サイドのアラサー男性教師に送り届けて、
「冷めない内にお食べください」
と促していく。
「……箸は?」
トボケているとしか思えない表情・口調でアラサー男性教師が訊いてくる。
わたしはどこからともなく箸を掴み上げて放り投げるが如(ごと)くに彼の手前に置く。
× × ×
『もうちょっと丁寧に食べたっていいでしょ、丼(どんぶり)モノが食べにくいヒトも一定数いるのは理解してるけど……』
そういう風な不満を加速させるのを我慢して、
「美味しかったですよねえ?」
と荒木先生に問い掛ける。
あいも変わらず間の抜けているようなご尊顔の荒木先生。リスペクトのしようも無いご尊顔にわたしはムカつくけど、
「美味しかったよ羽田さん。こんなに美味しいカツ丼を食べたのはいつ以来だろうか」
と先生が言ったから、
「『わたしの卒業間際以来』なんじゃーないですかー?」
と切り返す。
一気に狼狽(ろうばい)を開始した荒木先生のご尊顔を目一杯味わってわたしは勝ち誇る。
ここで、
「あのぉ。『荒木先生と羽田先生に、昔何かあった』ってコトなんでしょーか」
という『同好会』の娘の声が聞こえてくる。
「そうよ、あったのよ。JKからJDへと脱皮しようとしてる頃にね」
答えるのと並行して荒木先生を見下ろし続ける。エプロンの胸の前での腕組みが自然と始まる。
「あらきせんせー」
猫を撫でるも同然の声で呼び掛けたわたしは、
「そんなに美味しかったのなら、わたしがこれからする要求に『はい』か『YES』で応答してください」
「……どういう意味?」
彼の勘が徹頭徹尾鈍いからシビレを切らして、
「『これ』を受け取ってくださらないでしょうか?」
と要求を提示すると同時にお手紙の入った茶封筒を彼に差し出す。