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【愛の◯◯】想起とデジャ・ブと『パイドン』と

 

今日は中等部2年の娘(こ)に「公民」を教えている。『俺らの世代だと中2の時じゃなくて中3の時に『公民』を習った気がするんだけど?』みたいなツッコミを入れたくなるお方もいらっしゃるかもしれませんがガマンしてください。

やる気のある娘たちばかりだった。前のめりになってわたしの話を聴いてくれる娘が多くて嬉しかった。

最難関の中学受験をくぐり抜けてきた賢い娘たち相手だから政治思想に関連する人物の名前も出したくなってきた。そこでジョン・ロックやジャン=ジャック・ルソーの名前を試しに出してみた。

いちばん大きく反応したのは教室右奥の窓際席の娘だった。端本春音(はしもと はるね)さん。やる気のある娘たちばかりの中で例外的に窓外(そうがい)の風景に視線を傾けていた娘だった。でもわたしが『ジョン・ロックの『統治二論』って本があって――』と言った途端にこっちを向いてきてくれた。そして『ジャン=ジャック・ルソーの『社会契約論』って本があるんだけど――』と言った途端に他の娘以上に前のめり姿勢になってくれた。

 

× × ×

 

掃除を終えたわたしは高等部の校舎から中等部の校舎に再びやって来た。放課後に部活動に混じるコトになるのは来週から。思い出の学び舎をじっくりとまわってみたかったのである。

中等部時代に大きな環境の変化があった。2年生の2学期から戸部家(とべけ)のお邸(やしき)に居候するコトになったのである。明日美子(あすみこ)さん・アツマくん・あすかちゃん・流(ながる)さん。居候し始めた時の他の住人はこの4人だった。

中等部課程を終えるまでの約1年半の間だけで既にお邸においていろんな出来事があったんだけど割愛。幼かったわたしはお母さん的存在の明日美子さんにしょっちゅう甘えていた。明日美子さんの息子のアツマくんを「名前で呼ぶ」コトがどうしてもできなかった。その一方でアツマくんの妹のあすかちゃんとは居候当初からもう既に実の姉妹のような絆を結べていた。

わたしは中等部時代の後半期にそんな背景のもとで母校に通っていたのだった。

2階が中等部2年のフロアになる。階段を上がって2階に来たわたしは何も変わっていない廊下を前にして立ち止まる。居候開始当初の記憶が脳裏をかすめる。

「あすかちゃんとは、一緒に暮らし始めた瞬間からもう仲良しだったんだけど、彼女とは学校が違っていて」

ちょうどよい気温の廊下には誰も来る気配が無かったのでヒトリゴトを漏らし始めるわたしは、

「独(ひと)りぼっちってワケでも無かったし、もちろんイジめられてなんかもいなかったんだけど。……ココロを許せるトモダチは、まだできてなかったな」

ヒトリゴトを重ねる。

重ねた途端に想起したのは今日の公民授業の時の端本春音さんだった。

窓際席で窓外に眼を凝らしていた娘。ジョン・ロックという人名と『統治二論』という書名をわたしが口に出した途端にわたしの方に向き直った娘。

端本春音さんには『面影』があった。

誰の『面影』か?

わたし自身の『面影』に決まっている。

 

× × ×

 

『デジャ・ブのような女の子』の端本春音さんがもしかすると教室に居残っているかもしれないと思った。『面影』を感じたがゆえの実習生女子の勘(カン)であった。

本日中学公民を教えたばかりの教室前までやって来た。ちょっとだけ息を吸って吐いてから前側の入り口を覗いてみる。

実習生女子の勘が大的中した。授業中と全く同じ席に座って端本春音さんが読書している。

わたしほどでは無いけど髪が栗色に近い。地毛なんだろう。もっと重要なのは髪の長さがわたしが中等部2年だった時とほぼ同じであるコト。デジャ・ブを覚える最大の要因の1つだ。

身長は160センチに数センチ届かないぐらい。これも中2の1学期の時のわたしと非常に似通っている。来年の秋には160.5センチまで伸びているかもしれない。160.5なる具体的な数値を出したのはなぜか? それはわたし自身がそういう成長曲線を描いていたから。中3の2学期の身体測定での数値が160.5だったのだ。それから22歳の現在に至るまで身長は1ミリも変化していない。

面影だらけでデジャ・ブだらけの端本さんはわたしの存在にまだ気が付いていない。なぜなら文庫本を一心不乱に読んでいたからだ。

教卓の手前まで歩み寄れば流石に気が付くだろう。その地点までわたしは歩み寄ってみる。

教卓を背にして窓際席の端本さんの手元を見つめる。

彼女が読んでいたのはプラトンの『パイドン』だった。

パイドン』。わたしも彼女と同じ時期に初めて読んだ本だ。けれども彼女の『パイドン』は岩波文庫ではなく光文社古典新訳文庫

『時代は移っていくのね……』という想いがわたしに兆した瞬間。

『他者の存在』に気付いた端本春音さんが顔を上げた。彼女の両手から『パイドン』がポロッとこぼれた。

 

× × ×

 

「思い出すわ」

端本さんの間近の窓辺に立っているわたしは、

「中等部の頃からわたしは誰よりも早熟な読書家だった。そしてあなたもたぶん、誰よりも早熟な読書家」

ズバリと言ったのがズブリと刺さってしまったのだろうか。端本さんは眼を伏せる。前髪に覆われたオデコが微かに赤くなっているような気がする。

褒め称えてあげようと思った。読書に熱心な娘は無条件で褒め称えてあげたくなる。『デジャ・ブっ子(こ)』の端本春音さんに対してならばなおさら。

だけどわたしが褒め称えようとする前に、

「……羽田(はねだ)先生は」

とわたしの苗字を呼んだかと思うと、

「『見栄を張ってる』だとか、思ってるんじゃないですか?」

その『疑義』がくすぐったいし微笑ましかったから、

「誰が、誰に対して、『見栄を張ってる』って言いたいの?」

約3秒の間(ま)の後で、

「それぐらいわかってくださいっ」

と端本さんは声をこぼし、

「『中2になったばかりなのに哲学書なんか読んでるのは見栄を張りたいだけ。内容が分かりもしないのにこんな本を持ち歩いてるのは単に見せびらかしたいだけ……』みたいに」

わたしは即座に、

「そんなコト思ってるワケ無いじゃないの。あなたはそんな可能性まで想定してたワケ? わたしはそこまで性格極悪じゃあ無いんだから」

端本さんの視線は机上に固定されてしまっている。

わたくし実習生・羽田愛は愛を籠めた声で、

「クラスメイトとかなんじゃないの、『見栄張り』だとか『見せびらかし』だとか言ってくるのは」

彼女はすぐに首を横に振る。『ふるふる』という擬音が見えてきそうな首振りだった。

ひと安心のわたしは、

「だったら、あなたの思い込みが激しすぎるだけ」

と言い、

「1つだけ気になるのは、『あなたにはトモダチと呼べる子がいないんじゃないかな?』ってコト。実際にはクラスの子は『言ってこない』、でも『そう思われてるんじゃないか』っていう強い疑念を抱いてしまってる、そのバックボーンには――」

『コツン』という音が響いた。わたしが言い終わらない内に端本さんが机上を右拳で弱く叩いたのだ。

「反抗しないの」

笑顔で愛情たっぷりにわたしはたしなめて、

「こういうコトを言っちゃうのは、あなたと同じ時期のわたしもやっぱり、この学校で『ホントのトモダチ』って呼べる子がいなかったから」

わたしの打ち明けに端本さんの顔が上がる。想定範囲内。

「端本さん。あなたに近い内に『そんな存在』が出来たなら、ステキよね」

微笑(わら)ってわたしは言うけれど、

「いちばんステキなのは、羽田先生の顔ですっ」

といきなりのご指摘。

実習開始後に美人をホメられたのもこれが5度目。

なんだけど。

「あなたの顔だって、わたしとおんなじぐらいステキよ」

しなやかにわたしは切り返す。

しなやかに切り返されたから端本さんの美少女顔が燃え上がり始める。

慌てながらに彼女は、

「じ、じ、実習生の身分のヒトが、そんなコト言っちゃって、だいじょーぶなんですかっ……!!」

うんうん。

『想定範囲内のリアクション、ご苦労さま』だなー。

 

 




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