国立国会図書館。国内の出版物のほとんどが納められている図書館だ。
卒業論文執筆のための資料を揃えたくて朝から国会図書館に来ていた。
閲覧を終え、複写してもらった資料をまとめた。今日は大学の授業も入っておらず時間があったので、引き続き滞在して館内を見て回るコトにする。
新館4階の新聞資料室にやって来た。利用資格を得てから国会図書館には何度も来ているけど、新聞資料室を訪れたコトはたぶん無い。日本全国の新聞を閲覧できるお部屋。名前が特徴的な『秋田魁新報(あきたさきがけしんぽう)』、和歌山・三重県南部から送り出されている『熊野新聞(くまのしんぶん)』など、興味を抱いていた地方紙が幾つもあった。だからこの部屋に来たからには、満足できるまで時間をかけて滞在してみたかった。
複数の地方紙に眼を通した後で席から立ち上がる。確かこの部屋にはスポーツ新聞も所蔵されていたはずだ。せっかくなので横浜DeNAベイスターズ関連の過去記事も漁ってみたい。スポーツ紙を探し求めるためにわたしは足を動かし始める。
閲覧席で前のめりになって新聞バックナンバーに眼を凝らしている若い男の子が視界に飛び込んできた。
その男の子のメガネに見覚えがあったから、わたしはビタッ! と立ち止まってしまう。
どう考えてもわたしが知っている男子学生だった。
大学に入ったばかり。わたしとは4年の隔(へだ)たり。だけど、わたしたちのサークル部屋に4月初めに入ってきた時から強烈な印象を放っていたし、それからの数週間で存在感はすっかり浸透していた。
……さて、桑原(くわはら)ヒロトくんで間違い無い男の子を発見したワケだが、どうやってアプローチを試みるべきか。新聞バックナンバーに没頭しているトコロに無闇に声を掛けたくないし……。
わたしが迷っていると、バックナンバーを閉じたヒロトくんはメガネをいったん外し、丁寧な手つきで拭き始めた。
そして、メガネをキレイにし終わった時。近くに立っているわたしの存在を感知したのだろうか、顔の向きをわたし方面に寄せてきた。
眼が合った。
× × ×
ヒロトくんは意外にも動じていなかった。サークル幹事長のわたしに偶然出くわしたのに、しかもこんな場所で出くわしたのに、ほとんど驚く様子も無く、顔を微笑ませてわたしに目線を伸ばしてきた。
どうしてヒロトくんがこんな施設に来ているのか。
心当たりはあった。『日本全国の地方紙が閲覧できる部屋に居た』というのが大きなヒントだった。
ヒロトくんはテレビアニメの『放映枠マニア』だった。
『漫研ときどきソフトボールの会』というサークル名ゆえに漫画好きやアニメ好きの子がどんどん来るんだけど、ヒロトくんの興味はちょっと変わった興味だった。というのは、テレビアニメが『どのチャンネルの何曜日何時何分に放映されるのか』という点に非常にこだわっていたのである。
4月2日に初めてサークル部屋に来た時、『僕は、4月から始まるテレビアニメの関東地区における地上波放送局と放映時間は、全部アタマに叩き込んでます!!』と熱く高らかに言って来たのである。
ドン引きな空気の中でわたしも引いてしまっていたのは否定できないんだけど、ヒロトくんの興味関心には『穴』があると感じてもいたから、
『テレビアニメは関東地方だけで放映されてるワケじゃないでしょ? 確か、関西地方のテレビ局は独自編成が多いんじゃなかった? 関東と関西で放映枠は違うモノなんじゃないかな?』
と、あまり間を置かないでツッコミを入れてみた。
わたしは、うろたえ始めたヒロトくんに追い打ちをかけるように、
『ほら、鳥取県とか、ケーブルテレビ無しだと視(み)られる民放局が3局しかないでしょ。もしテレ東系列のアニメを編成するんだったら、本来の放映枠とは違う時間帯に『ねじ込む』しかないわよね。たとえば、『ポケットモンスター』とか』
と指摘をした。
指摘した途端に、彼は項垂(うなだ)れてしまって、シオシオと萎(しお)れてしまったのであった……。
× × ×
だけど、1階の喫茶室の真向かいの座席で微笑んでいるヒロトくんからは、最初にサークル部屋に来た日に打ち負かされた恥ずかしさや悔しさは、微塵も感じられなかった。
彼があまりにも爽やかだから違和感を覚え続けつつ2杯目のブレンドコーヒーを飲んでいるわたしに向かって、
「僕、自分の認識を、全部改めたいと思ったんです」
といきなり言ってきたから、コーヒーカップを音を立てて置いてしまい、
「それって……アニメの放映枠に対する、認識?」
「モチロンです」
答えた彼は続けざまに、
「羽田センパイに打ち負かされて良かったんだと思います。ココロを入れ替えた、なんて言ったら大げさになりますけど――僕はたぶん、視野狭窄(しやきょうさく)だった。関東地区という自分が住んでる地域のコトしか視野に入れてなかった。そこを羽田センパイに突かれた後で、速攻でここに来て利用者登録の手続きをしました。時間に空きがある日は必ずここの新聞資料室に籠もってます。おかげさまで、全国各地のテレビ欄をもう大分(だいぶ)インプットするコトができていて」
わたしは思わず、
「どうして、そんなに熱心になれるの。わたし、大学入りたての時、この図書館のコトなんかほとんどアタマに無かったのに」
入学した月に既に国会図書館に通い詰めている子なんて、見たコト無い。そんな熱意のある子を見たのは……彼が初めて。
ものすごい「こだわり」が、彼を、ヒロトくんを、地方紙のテレビ欄インプットへと突き動かしている。
その「こだわり」は、100人いたら、97人には理解不能な類(たぐい)のモノ。
だけども、わたしは……どちらかと言えば、『残りの3人』の方だ。つまり、理解するのを拒まない方。ほとんどの人間が「異常」と切って捨ててしまう興味を尊重してあげられる側(がわ)。たしかに、マイノリティではあるけど、何かに夢中になって熱意を傾けられるキモチに、わたしならば、共感を寄せてあげられる。
どうせこの喫茶室の会計はわたしの「全持(ぜんも)ち」なんだから、3杯目のブレンドコーヒーを注文するのは既定路線なんだけど、その前に。
ヒロトくんよりも4つ年上の『お姉さん』たるわたしは、微笑む彼に呼応するように表情を柔らかくさせて、できるだけ優しい声を出そうというキモチでもって、
「ヒロトくん」
と呼び掛け、
「わたしは来年の3月で5年間の大学生活を終えちゃうから、あなたと同じ空間に長い時間居られるのは、あと1年間だけだけど」
と言ってから、すうっ……と息を吸い込み、それからそれから、
「その『勉強熱心』を、お願いだから、あなたが卒業を迎える時まで、ずっと手放さないでね」
と告げて、4つ年上の『お姉さん』らしく、微笑(わら)ってあげる。