日曜出勤だが、気を引き締めて、平常心で接客したい。
そんなキモチでもって開店時刻を迎えた。
のだが、入り口ドアをカランカラン♫ と鳴らして、いの一番に『リュクサンブール』に入店してきたのは、
「おっはよー戸部くーん☆」
とウザい笑顔でウザい声掛けをしてきた、葉山むつみであった……。
× × ×
お冷やを置くと同時におれは、
「ずいぶん早起きだな」
葉山はやり返すようにして、
「あなたこそ」
と、引き続き笑みを浮かべながら。
ウザい同い年女子にメニューを差し出して、
「おれには、金を稼ぐ以上に、お客様に誠実にサービスするという使命と、お客様を裏切りたくないという信念があるんだ」
メニューをいじくりながら葉山は、
「『使命』と『信念』、ほとんど同じような意味内容じゃないの」
と愚かなるダメ出しをして、さらには、
「まあそれはいいとして――戸部くん、わたしに誠実にサービスしてよね、わたしを裏切らないでね。このお店の中では、それが『約束』よ」
ちっ……。
ココロの中だけで舌打ちをしながら、葉山の前髪付近を睨みつけ、『30秒以内に注文を決めやがれ』という無言のプレッシャーを与える。
× × ×
案の定90分以上に渡って店内に居座った葉山がついに席を立ち、おれが立っているレジの前まで伝票を携えてやって来た。
おれは金額を伝えたのだが、
「金額の伝え方に誠実さが足りないわね」
とワケの分からないコトを言われ、金額の伝達を葉山に『リテイク』されてしまった。
葉山のように厄介ではない素敵なお客様にするような金額の伝え方をするのを余儀なくされる。おれの背後で先輩スタッフの誰かが笑っているような気がするのはたぶん気のせいではない。
プレートに葉山が紙幣を置こうとする。
葉山が置いてきたのは紙幣だけではなかった。
2枚の紙幣の上にメモ書きのようなモノが重ねられていたのだ。ギョッとしてしまったおれは、プレートに置かれたモノを直ちに回収するのに失敗する。
× × ×
「なんでおれの退勤時刻知ってたんだ」
「そんなコトも分かんないの? あなたのパートナーにとっくに知らされてたのよ」
おれの退勤時刻を把握していた怖い葉山さんがおれよりも前を歩いている。昼過ぎに店を出たら葉山さんがもう待ち構えていた。『わたしんちの近くまで歩くのよ』と命令形で言ってきた途端に足を動かし始めた。言いたいコトをほとんど言えないままに後を追い始めたのだが、予想外にも葉山さんは早足だったので、ついていくのに若干苦労する。
「もしや、歩きながら、おれのパートナーに関する『聞き込み』をしたかったんか」
葉山の背中に問い掛けたら、葉山の早足だった足がぴたん、と止まる。
「どうしてわかったの」と葉山。
「おまえと遭遇する時は、9割がた、愛がどんな様子なのかを訊かれるから」とおれ。
葉山が振り向いてきて、どうしようもない中身とは裏腹の整いに整った容姿を見せつけてきたかと思えば、
「『遭遇』という表現は感心しないけど、10回に9回あの娘(こ)についてあなたに訊くという事実は認めないワケにはいかないわね」
おれは葉山に数歩(すうほ)近付いて、
「あいつのコトが心配なんだな?」
「心配じゃないワケが無いじゃないの。確かめてくる必要も無いわ」
そう言ってきてから葉山は、
「今年はいろいろなイベントがあるでしょう、彼女? 常にそばに居る戸部くんならば、彼女にどんなイベントが待ち構えてるのか、最低でも3つは言えるわよね?」
間(ま)を置かずにおれは、
「卒業論文、教育実習、教員採用試験」
「そうね。その3つは、彼女にとって凄く大事なイベントだわ」
「……実習や採用試験は、間違いなく『イベント』なんだろうが、卒業論文を『イベント』と形容してもいいモノだろうか」
「そんな細かいコトなんか気にしないで」
ぬぬっ。
葉山が手強(てごわ)い。厳しめの口調も続いている。
「戸部くん。あなたが一番支えてあげなきゃダメなのよ」
葉山のそんな忠告がおれに迫る。
たじろがずに、あまり間を置くことなく、
「わかっとるわ」
と応えるが、
「ずいぶん雑な受け答えね」
は!?
雑になんか言うワケねーだろ。自覚があるから『わかっとるわ』と言ったんだ。『パートナーとしてふたり一緒に暮らしてるんだから、常に支えてやるべきなんだ』という自覚がおれに無いとでも思ったか。
正直ムカついた。胃袋辺りのムカムカが影響しておれは葉山の顔面を睨みつける。
おれの睨みつけを軽くあしらうようにして、葉山は顔とカラダの向きを元に戻す。再びおれに背中を見せつけ、前に進み始めていく。
× × ×
おれのムカつきは短時間でおさまる、コトもある。今回の葉山に対するムカつきは、短時間でおさまるタイプの方だった。
アンガーマネジメントには成功したけれども、葉山の自宅が近付いてきてしまっている、と思われる。周りの風景が、如何(いか)にも級の高そうな住宅街の風景に変化している。このままでは前を行くオンナが自宅に引っ込んでしまう。
『このまま』は避けたい。後悔したくない。後悔したくないというのは、『言ってやらないといけないコト』を言ってやれずじまいだと、悪い後味が1週間以上残り続けてしまうような気がしたから。
だから、ずんずんと突き進む華奢(きゃしゃ)な背中目がけて、
「おい。ちょっとで良(い)いから、止まってくれんか」
「止まる!? 止まれないわ」
大きい声で瞬時に拒む葉山。閑静な住宅街なんですけど、ここ。ヘンに大声出すと、住んでる人がすっ飛んでくるぞ。
葉山はグチグチと、
「14時にはスタンバイしたいのよっ。馬体重(ばたいじゅう)は14時台に発表されるのよ? それまでには馬場(ばば)の傾向だとかを確認しておいて……」
「おいおい皐月賞(さつきしょう)かよ」
「そうよ皐月賞よっ。4週連続G1のラストウィークなんだから、余計にあなたなんかに邪魔されたくないの」
どういう理屈だ。そんなにおのれはおれに理屈の不可解さを詰(なじ)られたいんか。
……ま、許しておくとするか。怒ったり叱ったりするために立ち止まらせようとしてるワケじゃないんだから。
「歩きながらで良いから耳に入れてくれ」
そう告げて、それから、
「おまえも言うように、今年は愛にとって大事な年になる」
と言って、少しだけコトバを切り、それからそれから、
「だが、大事な年になるのは、愛だけじゃない。葉山、おまえにとっても、だろ?」
葉山の歩みが完全に停(と)まった。
視線が徐々に下がっていくのが分かる。俯いているのだ。振り向いてくれないから、うろたえているのかどうかまでは分からない。
「京大受けるんだろーが、京大を。競馬法(けいばほう)的には問題無いとはいえ、お馬さんにイレ込み過ぎるのは、良くないんじゃないんか?」
「……共通試験や二次試験は、今年じゃなくて、来年」
心底どーでもいいツッコミしやがって。
声も一気に弱々しくなっちまってるし。
「葉山。こっち向いてくれや」
要求するが、やはり、
「いやだ」
と弱々しい声で、拒絶。
かくなる上は……と思い、おれは、
「じゃあ、ソッポ向いたままでも良い」
と譲歩してから、
「応援してっからな、おれ。おまえの京大受験」
と、豪速球のような励ましコトバを、葉山の背中に、投げつける。
ビックン!! と葉山の背筋が派手に伸びる。出し抜けに言われたから派手に驚いてしまっているのだ。
おれはおれが激励をぶつけたオンナの様子を見る。背筋は伸びたまま。カラダにチカラが入り過ぎているからだろう、ぶつけられた激励に対するお返事のコトバを上手く出せないでいる。
「なんだよ、おれの『応援してっからな』が、そんなにディープなインパクトだったか?」
軽く背中に問い掛けた。
そしたら、
「無理やりディープインパクトに結びつけないで……。皐月賞にはディープインパクト産駒はもう出ないんだから」
と言ってくるから、
「ディープインパクトの孫は、出るんだろ」
と訊いたのだが、答えてはくれず、伸びた背筋を縮めていってしまった。
ションボリとさせてしまったがゆえに、おれは、ションボリとなってしまった葉山に向かって、
「あのな? おまえの最愛の幼馴染であるキョウくんが応援するキモチや、おまえの最愛の後輩である愛が応援するキモチには、勿論(もちろん)及ばないけど――おれだって、応援してんだよ」
と告げてから、念を押すように、
「『ちょっとだけ』応援してるんじゃないんだからな。強く背中を押してやりたいぐらいには……おれだって」
ここで敢えてコトバを切ってみるおれ。
『動きがあるか』と思ったら、やはり動きはあって、恐る恐る……といった感じで自分の顔をおれの方に向けてくる葉山むつみがいた。
明らかに火照(ほて)った顔面で、面倒くさい同い年女子の『遅れてきた受験生』は、
「あなたがわたしの背中を押してきたら、宝塚記念の次の週まで、一切口(くち)をきいてあげないから……」
と言い放った。
宝塚記念の次の週がいつなのかは分からない。ボディタッチするという意味で『背中を押してやりたい』と言ったワケでもない。
どうしようもない受け答えをしてきた葉山だったのだが……懸命に強がろうとする表情を見ていて、『激励してやった意味はあったみたいだな』とおれは思うことができた。