新田俊昭(にった としあき)くんの胸にオデコを押し付けているけど、押し付けるだけじゃ満足できない。だから、彼の背中へ腕を回し、よりいっそうわたしへと引き寄せる。わたしからの抱き締め以外の何物でもなかった。
新田くんがふるふるとした声で、
「大胆過ぎるよっ。きみらしくもないよ、大井町(おおいまち)さんっ。たしかに、ここはキャンパスで辺鄙(へんぴ)な場所のナンバーワンだけど、人目を避けられるからってこんな行動に出るなんて……」
「新田くん」
「な、なに」
「あなた、ネクタイの締め方が全然なってない。フォーマルな格好になるのが苦手なのね」
「なんで話を逸らすの!?」
わたしはわざとらしく苦笑いしながら、
「わたしも実はそうなのよ。あなたと同じ。今日みたいにフォーマルな服に身を包んでると、なんだか変(ヘン)な感覚になって、調子が出てこないの」
「調子が出ない?? それ、嘘だろ!? だってだって、今日のきみは、4年間でいちばん積極的で……!!」
彼というオトコノコの感触をもう少し味わいたかったけど、仕方なく抱き締めを解(ほど)き、彼の感触から離れる。
そして、
「あなたが未(いま)だに『大井町さん』と苗字でわたしを呼ぶだけなのが、少し不満だけど」
と言ってから、ニッコリな顔を彼に見せてあげて、
「いったんあなたから離れるわ。会場の近くに戻る。その後でまたあなたのトコロに帰ってくるから、覚悟していてね?」
「きみが会場の方に戻って行くんなら、俺も……」
「それはダメ」
ピシャリと言った。彼が濃厚に狼狽(うろた)え始める。今まででいちばん彼が可愛い。
「お・る・す・ば・ん。守れなかったら、また抱き締めて、あなたを痛くしてあげる」
わたしはそう告げる。
× × ×
式典会場だった講堂付近に『漫研ときどきソフトボールの会』の面々が集結している。
脇本浩平(わきもと こうへい)くんが、疑問の顔で、
「新田は何してるの? 卒業するサークル員3人の内の1人なのに。あいつが来て3人揃わなきゃ、物足りないというか、なんというかだよ」
と言ってくる。
わたしは、
「たしかにそーよね。3人揃って送り出されたいわよね」
と言ってから、脇本くんに対し微笑みの度合いを上げて、
「だいじょーぶよ脇本くん。この後で、彼はちゃーんとこの場所に連れ戻すから」
疑(うたぐ)りの度合いが増す脇本くんは、
「『連れ戻す』……?」
「そーよ。だから安心して」
申し訳ないが、今この瞬間は脇本くんには構っていられない。彼から視線を外し、フォーマル寄りの普段着といった装(よそお)いの親友女子に視線を留(と)める。
同期だけど、留年するから、今日で卒業することはできない。そんな羽田愛なんだけど、卒業できない無念や置いていかれる寂しさは、今の彼女からはほとんど感じられない。ビックリするぐらい美人で可愛い。いつも通りの羽田愛だ。胸の奥で胸の奥の胸を撫(な)で下(お)ろすわたしがいた。愛が泣き出してしまわないかだとか、そういう懸念は完全に無くなっていた。
わたしは愛とカンペキに向かい合って、
「言うべきコトも言いたいコトもいろいろとストックされてるんだけど、『時間』って概念もあるし、厳選するわね」
大親友の女子は100%の朗らかな笑顔で、
「早く言ってよ。待ち遠しいんだから」
「わかったわ」
わたしは息を吸い込んで補給し、
「まず、支えてくれたコトや助けてくれたコトに、感謝」
と言い、
「卒業式に出席しながら、いろんな場面を思い出してた。わたしのアパートにあなたが来てくれた時に大泣きしちゃったのを思い出したら、あの時の涙がもう一度出てくる寸前になった」
愛は少し苦笑混じりに、
「ホントぉ? 脚色(きゃくしょく)、入ってるでしょ」
その疑問には答えずに、わたしは、
「あなたとはいろいろあった。悪い意味でもいろいろあったわよね。険悪になって、傷つけ合ったり。最初の2年間は明らかにギスギスしてたけど、3年生になってからすぐに、わたしがあなたに助けを求めて泣き叫んだりしたコトで、一気に近付いて、それで……トモダチになれた」
「湿っぽいわよ、侑(ゆう)」
わたしも苦笑混じりになって、
「もう少し続けさせて。……わたしがいちばん言いたいのはね、いろいろあったけど、『めでたしめでたし』で物語を結ぶコトができて、ホントに良かったってコト。出来過ぎたハリウッド映画の脚本みたいかもしれないけど、わたしは子どもの頃からハッピーエンドの物語が好きで、わたし自身も、最後は明るく終われるような物語を、創(つく)りたいの」
愛は笑顔にマジメさを含ませて、
「あなたなら創れるわよ。太鼓判を押してあげる」
と嬉しいコトを言ってくれて、それから、
「わたしも、後味の悪い終わり方の真逆を迎えられたから、ハッピーよ」
と言ってくる。
温かいキモチが胸の表面にまでも満ち溢れてくるわたしは、右手をいちばん大切な親友に差し出す。握手がしたい。
だけど、
「侑? わたし、握手で締めくくりたくはないのよ。握手だけで締めくくるのは不満足なのよ」
わたしの差し出した右手がピタリと停(と)まってしまう。眼の前のいちばん大切な親友の意図が、わからない。
眼の前の愛が、目線を些(いささ)か下に向けながら、なぜか、クスクスと微笑(わら)った。
その後で愛は、わたしに向かって何歩か前進してきた。
動揺を抑えられず、右手を引っ込める。いったいこの娘(こ)、どんなキモチを示したいの、どういう方法で示したいの。
何も言わずに超至近距離で立つ大親友。その秀麗(しゅうれい)な眉目(びもく)が、今のわたしには羨ましくない。その代わり、秀麗な眉目が具(つぶさ)に眼に映り込むから、どんどんどんどんドキドキしていく。
わたしがドキドキしてしまっている眼前(がんぜん)の大親友女子は、両手を軽く掲げたかと思うと、ゆったりとゆっくりと、その両手をわたし目がけて伸ばしてきた。さっきのわたしの新田くんへの両手の伸ばし方よりも、断然上品な伸ばし方だった。
愛の腕や手や指の美しさに見入るヒマは少しも無かった。
愛は、わたしの背中に両手を素早く押し付けて、わたしを素早く抱き込んだ。
抱き締められた。サークルの面々が集う中で、抱き締められた。
愛のカラダはわたしのカラダよりやっぱり柔らかかったけど、その柔らかさを味わう余裕なんか無かった。愛の方も、柔らかさをジックリと味わわせるつもりなんか少しもないみたいだった。
愛は、抱きつきながら、驚くほどに力強い声で、
「侑に逢えて、よかった」
と、伝えてきた。
あなたに逢えてよかった。力強く、そう伝えてきた。短いそのヒトコトだけで、愛の感情がカラダとココロの中を駆け巡った。
今、脇本浩平くんとか幸拳矢(みゆき けんや)くんとか和田成清(わだ なりきよ)くんとか古性(こしょう)シュウジくんとか新山(しんざん)ブンゴくんとか眞杉(ますぎ)くんとか小松(こまつ)まなみちゃんとか敦賀由貴子(つるが ゆきこ)ちゃんとか、わたしと愛を囲んでいるたくさんのサークルの面々に拍手を浴びせられたら、顔面の温度が45℃を超えてしまう。
でも、みんなは完全に空気を読んでくれて、何もかもすっかり把握してくれて、ただひたすら静かに、わたしと愛を見守ってくれているのだった。