愛が食後のコーヒーを飲み切れないでいる。
夕食は既に終わった。ミネラルウォーターを飲みながら某雑誌の筋力トレーニング特集を読んでいたおれだったが、向かいの席の愛がいつもより遅いペースでコーヒーを飲んでいたから、気になって動きをそれとなくチェックしていた。
コーヒーカップを放置したまま、ダイニングテーブルの向かいの席のパートナーは黙りこくってしまった。
「どーした」
軽く声をかけてみる。
少し下がる目線で、
「アツマくんは、スゴいわよね」
「なにが」
「お仕事しながら、筋力トレーニング欠かしてないじゃないの」
「別にスゴくねーよ。習慣なんだし」
「習慣になってるのがスゴいんでしょ」
愛の声が細くなっていき、
「それぐらい分かってよ。……わたし、お仕事しながら体力づくりを欠かさない自信、持てない。留年したから社会に出るのは早くても来年だけど、労働と何かを両立できなくなるんじゃないかって、現時点で不安が募っていて……」
闇に沈み込んでいきそうなパートナーの姿がそこにはあった。
ので、
「愛」
と優しく呼びかけ、
「こっち来るか」
と隣に座らせようとする。
立ち上がった愛、だったのだが、隣に来るどころかおれに背中を向けてしまい、コーヒーカップをキッチンに運び、シンクの中にカップを置いたかと思うと、萎(しお)れるようにしてキッチンの縁(ふち)を掴(つか)んでしまった。
× × ×
リビングのソファに移動した愛は座り込み続けていた。
すべての食器を洗い、シンクだけでなくキッチン全体をピカピカにした後で、リビングに向かって行き、丸テーブルの前に腰を下ろした。丸テーブルを挟んで愛と向かい合うカタチになる。
やや短めのスカートの裾を愛は握り締めていた。
どうしようもなくなりかけている証拠だった。自分を追い込むことで何もできなくなってしまっている証拠だった。抱え込んでいるけど抱え込んでいるのを覚(さと)られたくない証拠だった。
コイツが中学生だった時に出会ってから変わっていない仕草だった。スカートの裾に助けを求める姿を何度も見てきた。思春期の名残(なご)りのように現在(イマ)もスカートの裾を強く握り締めている。
春らしい色のチェックのスカート。
『春らしい色』がどんな色なのかは現在(イマ)はどうでもよくって。
こういう愛への対処なら慣れている。まずは、『対話』である。いきなりソファの隣にドッカリと腰を下ろすんではなく、向かい合ったままコトバで「弱さ」をほぐしてやる。
「チカラの入れ方も抜き方も、分からんくなっちまってるみたいだな」
おれがそう言うと、俯いた目線のままにスカートの裾から手を離すこともなく、
「うん」
と弱々しく呟いた。
「スカートの裾に固執するのも、それはそれで可愛いんだが」
そう言ってから、おれは、
「もうちょいおれに視線を伸ばしてくれてもいいんじゃねーの」
と、穏やかな優しさを籠(こ)めて、お願いしてみる。
数十秒間の逡巡(しゅんじゅん)の後(のち)、ゆっくりなペースで目線を上げていき、おれの顔面に眼を当ててくれた。
それからとうとうスカート握りをやめて、膝上に両手のひらをくっつけて、軽めの深呼吸を2回行った。
それからそれから、弱くはあるけれど可愛い苦笑いをおれに見せてきてくれて、
「ゴメンね、ナーバスになり過ぎちゃって。本来ならば明日(あした)が卒業式のはずだったから、留年の現実を余計に意識しちゃって。過剰意識を制御できなかった」
「謝らんでもいい」
笑(え)み返すのに努めて、
「明日(あした)、キャンパスに行くつもりなんだろ。同期を送り出してやりたいんだよな? だったら、キモチをもっと前向きにしなきゃ、だろ?」
と言い、
「おまえをポジティブにする手伝いをしてやるよ」
と告げてからすぐに、腰を浮かせる。
× × ×
「アツマくんはいろいろしてくれるね。わたしが物事に落ち着いて対処できないでいる時、あなたがいちばん助けてくれる」
甘えながら言ってきた。おれの右腕に左腕を既に絡めてきていた。
「当たり前だろーが。何年つきあってると思ってんだ」
「……6年以上。」
そういう答えになるよな。
おまえが高校1年の夏に、おまえが告白してきたんだから。
『好きなんだと思う』
とある騒動の弾みで愛がそう『告白』してきたのを、昨日のコトのように思い出す。
控えめ過ぎるぐらい控えめな告白だった。
ただ、その控えめな告白を起点として、抱きつかれたり、寄り添われたり、逆にこっちが抱き締めたり……と、いろいろな触れ合いの中で、自分の『好き』をどんどんカタチにしていく愛と、どんどん明確化していく愛の『好き』に対する自覚を着実に強めていくおれがいた。
『好き』なキモチに応えるには、『同じキモチ』で応える以外に選択肢は無かった。
現在(イマ)の、ソファでひっつき合っている状況だってそうだ。キモチを寄せ合う。ただそれだけ。
絡められた右腕を絡めてきた左腕から離す。そしてそれから、その右腕をパートナーの背中まで伸ばし、ぽんっ、と叩いてやる。
叩いた後でサワサワと擦(さす)ってやる。アフターケアを欠かすワケがない。
「ありがと。これで、胸張って、卒業式の会場に行ける」
「おうよ」
「なによ、『おうよ』だなんて。あなたっていつでも、ヘンな言い回し。」
そうツッコミを入れる愛の声は落ち着きを完全に取り戻している。余裕ありありな声で、面白そうに楽しそうにツッコんでくる。
――これでこそ、大好きなパートナーだ。