豊島区のJR某駅の近くのカフェに来ている。もうすぐ午後4時だ。窓からこぼれる春の陽射(ひざ)しが暖かい。麗(うら)らかで長閑(のどか)な季節の到来だ。
金曜日。平日なワケだが仕事は午前中で終わっていた。飛び石連休って概念ご存知ですよね? 祝日だった昨日と土曜日である明日の間(あいだ)に挟まった今日は平日。ただの平日になってしまうのがイヤだったおれは日曜日までの4連休に近付けたくて、今日の勤務が半日で終わるように調整したのです。『社会人2年目なのに自由過ぎない!?』みたいな意見は受け付けません。
さて、おれの真向かいの席に大井町侑(おおいまち ゆう)ちゃんが居るワケである。春の陽射しが窓からたくさんこぼれているから、彼女の黒髪がキラキラツヤツヤと輝く。おれのパートナーの栗色の超・ロングヘアに匹敵する鮮やかさである。
おれのパートナーとは異なりコーヒーに砂糖とミルクを入れるのを欠かさない侑ちゃんが、コーヒーカップを口に持っていく。砂糖・ミルク入りのブレンドコーヒーはもうすぐ飲み干されることだろう。
音を立てずにカップを置いた彼女が、
「アツマさん。『プロ』として、このお店のコーヒーは、どうですか?」
と訊いてくる。
彼女は『プロ』だとか言ってくれているけど、喫茶店員として正式に働き始めてから3年未満なワケだし、味の見極めはまだまだ発展途上だ。おれのパートナーの方がよっぽど見極められる。呆れるほどのコーヒーマニアなんですからねえ。
しかし、せっかく訊いてきたのだから、答えてあげないワケにも行かず、
「なかなかだね」
とコメントする。
『なかなかだね』。最高に便利なひらがな6文字である。最高に便利であるがゆえに、何も言っていないに等しいと咎(とが)められがちなひらがな6文字だ。ただ、酸味がどうこうとか通(つう)ぶったコトは言えないし、通(つう)っぽく説明しても彼女に上手く伝えるコトはできないだろう。『なかなかだね』とだけ言った方がまだ「共有」できるのである。
おれの『なかなかだね』を侑ちゃんはジックリと受け止めて、
「ホントは、もうちょっと詳しい解説を頂(いただ)きたかったんですけど。確かに、『なかなか』が相応(ふさわ)しいようなお味な気がしてます」
と共感してくれる。
……おれのパートナーだったら、『なかなかだね』と言っただけじゃあ許してくれないんだろうな。
侑ちゃんは、おれのパートナーよりも確実に良(い)い子だ。
× × ×
このカフェに来る前にバッティングセンターに行っていたのである。
おれを慕(した)ってくれている侑ちゃんが、
『社会人になる前に、バッティングの極意をわたしに教えてください!!』
と言ってきたのであった。
『バッティングセンターを、仕事のストレスを発散させる『拠点』にしたいので』
という理由を添えた彼女。
『拠点』とは、なかなか巧(うま)い表現である。
で、最初におれがバッターボックスに立って、左へ右へと打ち分けて、彼女にお手本を見せてあげたんである。
『どうしてそんなにホームラン級の当たりばっかり量産できるんですか!?』
ハイテンションで訊いてきてくれたのは嬉しかったが、
『大事なのは飛距離じゃなくて打ち分けだよ。きみは『プルヒッター』って自覚があるから、流し打ちも身に付けたいんだろ?』
と指摘したものの、彼女の眼の輝きは失われず、
『流し打ちを身に付けた上で、ホームランが打ちたいんです!』
彼女の勢いが凄くて一歩後(あと)ずさってしまうおれは、
『右方向に……ホームラン、打ちたいってコトだよね?』
右投げ右打ちの彼女は、
『カブレラです』
と、おれを見据えたまま言う。
アレックス・カブレラの全盛期をよく知らないおれではあったが、彼女の発言の意味は把握できたので、
『カブレラの領域にはそう簡単には近付けないけど……まぁ、ライト方向への飛距離を伸ばすのを地道にやっていこうか』
高校に入りたての少女のような眼の輝きで、大学卒業が目前の彼女が、
『わたし幸せ。『日本のカブレラ』のアツマさんに直接指導してもらえるなんて』
とプレッシャーを与えてきたから、少しツラかった。
× × ×
「――おれとアレックス・カブレラの共通点、右投げ右打ちぐらいしか無いと思ってるけど」
バッティングセンターに行ったのを振り返る中でこう言ったおれに、
「そんなコトありませんよぉ」
と、まるで16歳であるが如(ごと)きスマイルで言う侑ちゃん。
「い、いや……カブレラみたいな飛距離の出せる日本人、いないでしょ?」
狼狽(うろた)え気味におれは言うが、
「今の埼玉西武ライオンズにアツマさんが入団したら、リーグ優勝できますよ」
と、止まらない彼女の口から、衝撃発言。
侑ちゃん、きみ……「誇張(こちょう)」ってコトバの意味、分かるよね??
「たしかに、西口文也監督は、現役時代は『勝ち運』が無かった。でも、アツマさんが入団したなら、監督の『負け運』なんて帳消しにできる」
彼女の発言によって背筋(せすじ)から体温が奪われていくおれは、メニュー表に『打開策』を求めて、
「侑ちゃん……。さっき『春季限定スペシャルワッフル』食べてたけど、追加で、『3月限定フルーツパンケーキ』頼んであげよっか」
しかし即座に、
「いいえ間に合ってますので」
と断られてしまう。
破竹の勢いを持続させる彼女は、頬杖をつきながら、おれの狼狽(うろた)えがすこぶる面白いと言わんばかりの笑顔。無邪気過ぎて驚くしかない。いつもは凛々(りり)しい印象なのに、なぜ今日はここまで、幼(おさな)げな可愛らしさを炸裂させて……!!
「このお店には悪いんですけど、『3月限定フルーツパンケーキ』よりも、愛がアツマさんに作ってあげるパンケーキの方が、何倍も美味しいと思うんですよぉ」
なにそれ!?
アクロバティックに、おれのパートナーのお料理スキルに、話を移行ッ!?
おれのパートナーたる愛の名前を出してきたかと思えば、仄(ほの)かな恥じらいのようなモノを顔に浮かばせる愛の親友女子。
次に何を言い出してくるか見当も付かなくてコワい。
やや目線を下げた。もはや空(から)っぽのはずのコーヒーカップの中をスプーンでクルクルかき回し始めた。
それから、『フフッ……』と謎の笑い声を発してから、目線を上げ、自らの背筋をピン! と伸ばし、その直後に真面目さを表情に少し取り戻して、
「アツマさん。」
と凛(りん)とした声で呼んできて、それからそれから、
「寄り添える男の子が居るって、良いですよね。」
と、本心を籠(こ)めるように、言ってきた。
眼を奪われる。
彼女の発言に籠められた『本心』の正体が分かりかねて、懸命に頭を働かせて突き止めようとするが、そのたびに答えから遠ざかる。
ニコニコとする彼女の表情がツラかったが、
「それは……それはさ、誰のコト、なのかな」
と、懸命に疑問を振り絞る。
すると、
「わたし自身のコトでもあります」
と、キッパリとした侑ちゃんの答えが突き刺さってきて、深過ぎる衝撃を食らってしまう。
ななななんぞ!?
それ、どゆこと!? 自分自身!? ……侑ちゃん? きみ、カレシ、いつの間にかできたの!? できちゃったの!?
……ところが、
「ゴメンナサイ。取り消しちゃってもいいですか、この発言は」
と、彼女は、さっきとは違った意味で、キッパリと。