日曜日の雨模様の昼下がり、葉山先輩のお家(うち)に赴(おもむ)いているわたしは、彼女の『家庭教師』役になってあげている。
来年の1月になったらセンパイは共通試験を受ける。問題なく国立大学の2次試験に進めるコトだろう。関西地方でいちばん偏差値の高い大学だから、センパイをもってしてもフリーパスというワケにはいかない。だけど、センパイならば、きっと大丈夫。家庭教師役としてわたしが支えてあげているのだから、なおさらだ。
英語の勉強がひと段落した。右隣のセンパイがぐ~んと背伸びをする。相当な単語数の長文を読んだのだから、お疲れなのだろう。
「センパイ、ハンドマッサージでもしてあげましょーか?」
訊くわたし。
「お願いするわ、ありがとう」
答えるセンパイ。
「ふぅ」
短く可愛く呟いた後で、センパイは、
「腕が軽~くなったコトだし、あなたの『おともだち』のコトについて訊いてみたいんだけど」
「『おともだち』?」
首を傾(かし)げるわたしに、
とセンパイが親友の名前を出してくる。
「侑がどうかしたんですか」
「去年11月のあなたのバースデーパーティーで出会ってるから面識はあるんだけど、それから逢(あ)う機会は無いままで」
「侑に逢いたいんですか? わたしから場(ば)をセッティングしましょうか」
なぜかふるふる首を横に振ったセンパイは、
「逢ってみたいんだけどね、逢う前に、確実なモノにしておきたい『情報』があって」
「じょうほう……?」
「羽田さん。あなた、少し前に言ってたでしょ。大井町さんの住むアパートの最寄り駅を」
確かに言った。
だけど、どうして侑のアパートの最寄り駅が気になるんだろう。
わたしの訝(いぶか)しみを表情から察知したらしく、センパイが、
「記憶が間違ってなかったら――大井町さんの最寄り駅と、わたしの父が大学時代に住んでたアパートの最寄り駅、同じなのよ」
え。
そうなの。ホントなの。
照らし合わせた結果、現在の侑の最寄り駅と大学時代のセンパイのお父さんの最寄り駅が同一であるコトが確定した。
数多(あまた)の都合上、『西武新宿線の某駅』であるとしか示せないのだが、それはそうとして、
「センパイのお父さんは相当な苦学生(くがくせい)だったそうですが……ワセダ、でしたっけ?」
『葉山パパ』の学歴があやふやだったわたしは娘であるセンパイに尋ねてみる。
しかし、センパイはニヤつきの混じったニコニコスマイルをわたしに見せつけるだけで、なんにも答えてくれない。
「んっと……不用意に親御さんの学歴を訊くのは、やっぱしマズかったでしょうか」
わたしがそう言っても、センパイはニコニコスマイルをただひたすら持続させるだけ。
「なんだか、すみません……」
ココロもカラダも恐縮してしまうわたしに、
「謝らないでよ」
と、至近距離の彼女は依然として微笑んで、
「『最寄り駅が同じだった』のが嬉しいの。これって貴重な『接点』でしょ? 大井町さんに逢えた暁(あかつき)には、この『結びつき』を是非とも強調したいわ」
どうやら、センパイは侑と仲良しさんになりたいらしい。
センパイと侑とが、どう化学反応をするのか。それは、2人が逢ってからのお楽しみ……といったところだろうか。
× × ×
15時からの競馬中継が終わってセンパイのお部屋に戻ってきた。
勉強机には、先程読み解いていた英語長文のプリントがそのままにしてある。
センパイがそのプリントをひょいっ、とつまみ上げ、軽く眼を通したかと思えば、
「英語といえば、なんだけど……」
と、探(さぐ)りを入れ始めるような口調になって、
「あなたの彼氏は、大学を卒業してから、英語力が鈍ったりしてるんじゃないかしら? せっかく4年間英米文学を勉強したのに、社会に出た途端に英語力がダウンしちゃってる……そうなってないかどうか、とっても心配なの」
アツマくんの英語力のコトに話題を転じてきたかーっ。
今のセンパイのお顔、まさにドヤッとしたお顔。『わたしの方が英語を10倍ペラペラ喋れる!!』とココロの中で如何(いか)にも思っていそう。
……とりあえず、
「センパイが危惧するレベルよりは、酷くありませんよ」
と答え、
「英会話は、ちゃんとできてます。あのですね、先日、池袋で外国人観光客に道を尋ねられたんですけど、わたしじゃなくってアツマくんが、最初から最後まで英語オンリーで応対していて」
言った途端にセンパイが、
「それホントなのマジなの!? 都市伝説じゃないわよね!?」
と絶叫に近い声のボリュームで驚きを示してくる。
わたしは呆れ気味に、
「アツマくんの意外な側面を全部『都市伝説』にしないでくださいよ、センパイ」
「……ホントでマジなのよね、今あなたが提示した情報」
「ホントでマジです。事実を提供してます」
「なるほどォ……」
どういうわけかお腹の辺りで腕組みし、数回首を縦に振る。彼女とは長年との付き合いだから、『企(たくら)み』の色が顔に見え始めているのに気が付く。
「センパイ、もしやアツマくんに『挑戦』してみたいとか?」
わたしは砕けた口調で、
「英語勝負でも、たぶんセンパイが勝つんでしょーけど。あんまりわたしの彼氏がいたぶられ過ぎるの見るのは、やーですよ」
と、たしなめる。
しかしセンパイは、わたしの『たしなめ』にビクともしない。勉強机に右肘(みぎひじ)を突いて頬杖を始めたかと思えば、余裕に余裕を重ねたような表情で、
「英語勝負だとか、そんなコト全然思ってないわよ。あのね羽田さん?? わたし、彼を好き勝手にイジめるのは確かに好きだけど、サディズム一辺倒では無いの」
サディズムでは無い……? 加虐(かぎゃく)趣味の否定……?
「むしろ、羽田さんからさっきのエピソードを提供されて、彼へのリスペクトの念が高まってきているわ」
アツマくんを『リスペクトしてる』だなんて普段のセンパイは全く言わないから、わたしの胸がドキッとして、それからドキドキを始める。
「せ、センパイ?? いったい、いちばん仰(おっしゃ)りたいコトは、なんなんでしょーか……??」
懸命に問うわたし。
対するセンパイは、頬杖をやめ、ロングスカートに両手を柔らかく置き、背筋をぴん、と伸ばして……それから、
「今の戸部アツマくんだったら、あなたのコトを、安心して任せられる。」
と、ハッキリと、言った。
『安心して任せられる』の響きが強烈にわたしを打った。
ゆっくり咀嚼(そしゃく)するまでも無く、センパイのコトバの意味を全部理解した。
だから、だからこそ、センパイのお顔が……上手に見られなくなってしまった。
ドキドキは増幅をやめなかった。『安心して任せられる』と彼女が言ってきたコトで、ドキドキを鎮(しず)めてから帰宅するのが困難になってきた。
『どうしてそう思うの、センパイ……?』と弱く声を出すコトまでも……不可能になってしまう、わたし。