――こうして俺は古木紬子(ふるき つむぎこ)に俺の料理が「おいしい」と言わせるコトに成功した。
ただ、これで『めでたしめでたし』じゃなかった。古木が「おいしい」と言った時点で話が終わるワケじゃない。
愛さん。俺の話にもうちょい付き合ってくれるか?
……くれるみたいだな。なんだか期待に満ち溢れた眼になってるし。
本当にこのスペースに誰も近寄ってこないんだよな? あんたがこの邸(いえ)の人に『近寄らないで』って言ってくれてるんだよな?
……よし、安心だ。力強く頷(うなず)いてくれてありがとう。
じゃ、話を続ける。
過度な期待はしないでくれよ。そう言っても過度にならない方が無理かもしれないが。
× × ×
渾身の玉子丼を作って古木に「おいしい」と言わせるのに成功した翌日だった。
「おいしい」と言った張本人から本部キャンパスに俺は連れてこられた。
まだ操作に慣れてないスマホに奴(ヤツ)からの連絡が来た時に変(ヘン)な胸騒ぎがした。
「おいしい」と言わせて屈服させて、それで終わりじゃ無かったのだ。4年間にわたる文学部カフェテリアでの『勝負』に俺は勝利した。しかし、『勝利した後で『勝敗に関係ない事態』がやって来る』コトに俺は無自覚だった。
仕事場の文学部カフェテリアを出て本部キャンパスの古木が指定した場所にたどり着いた時には空が夕暮れの赤に染まっていた。
古木は俺よりも先に来ていた。待ち構えていたようだった。静寂の中に古木は立っていた。どうやら本部キャンパスの中でも『穴場』な場所のようだった。……分かるか愛さん、『体育館裏に連れてこられて……』とかよく言うだろ? 俺は高校に通ったコトが無いから想像するだけだが、あんたが通ってた名門女子校にもそういうスポットがあったんじゃないのか? ……そーか。あったんか、やっぱり。ただ、あんたは中学高校と男女共学じゃなかったんだし、『場所』のニュアンスがちょっとばかり違うんだろうけどな。
ともかく、体育館裏の大学バージョンみたいな場所に来たんだと理解した。下半期の長期休みに大学は突入していたから、他人が通行する可能性は著(いちじる)しく低いと思われた。本部キャンパスの奥まった所に授業には使われてない建物があるのは愛さんも知ってるよな? あの建物の裏手からさらに奥に進んだ所がアイツが指定した場所だったんだ。雑草が無秩序に生えているのが眼についた。古い草も生えていれば新しい草も生えてきている。雑草の群れは人間の手入れが為(な)されていない証拠だった。誰かが足を踏み入れてくる確率はやはり極端に低そうだった。
「こんなトコにおびき寄せた理由は何だ」
先制パンチを繰り出したのは俺だった。真正面から古木を見てさっそく疑問をぶつけた。
「『おびき寄せた』ワケでは無いわよ。日本語がお上手でないのね」
最高に耳ざわりの良くないコトバで古木が挑発してきた。
アイツはいったんは俺をマトモに睨んだ。しかし、睨みつけは長く続かず、地面の方向に顔を傾けた。
その仕草に微(かす)かな困惑を感じながらも、
「うるさいぞ。理由を答えやがれ。答えないようだったら『コムギコ』って呼ぶぞ」
と言って、紬子(つむぎこ)という名前のオンナに数歩近寄った。
脅された古木紬子は反発する素振りを見せなかった。地面の方角を向き通しだった。反発のコトバが来なかったのはあまりにも予想外だった。いつもと違い過ぎる古木紬子に直面してしまったから、微かな困惑が微かでなくなり、ココロにざわめきを感じてしまった。
俺は立ち止まり続けた。まるまる4年の関わりの中で最も微妙な間(ま)が生まれていた。居心地の悪い沈黙が俺と古木を隔てた。
イヤな沈黙に我慢できずに俺が一歩前に踏み込んだら、
「……あなたって、どこまで最低なのかしら」
と小さめの声で罵倒された。
「料理の腕前以外は、人格に問題だらけ」
こういう風にさらに罵倒を付け加えられた。普通の人間同様に俺はムカつきを覚えた。『人格に問題だらけ』と言われてムカつかない人間なんて居ないよな?
「悪口フェスティバルでも開催する気か。性格が凶悪なのは明らかにおまえの方だぞ。自覚が無いなら自覚しろ」
そう言いながら俺は迫った。古木の方から腕を伸ばせば俺の腕に届く位置まで迫った。
古木は怯(ひる)んだ。
怯まれた俺はたじろいでしまった。
なんというか……古木の怯み方に、可愛げ、みたいなモノが感じられてしまったからだ。
勢いでは俺の方が勝っているはずなのに、眼の前のオンナを追い詰めている実感があまり無かった。眼の前のオンナによる予想外の仕草に戸惑いが誘発され、これ以上物理的に近付いていく気になれなくなり、視線を直(ジカ)に当てるのも難しくなってきてしまった。
「……なんなのよ。詰め寄ってきたかと思えば、いきなり優柔不断みたいになって」
弱々しさが残る声ではあったが、古木の指摘の正確さは鋭く俺に食い込んだ。
そして、あまり間を置かず、
「あなたが優柔不断なオトコノコになってしまったら、私の言いたいコトも言えなくなっちゃうじゃないの」
と古木は言ってきた。
俺は俺の手足に緊張を感じた。強張(こわば)るからカラダが上手く動かせない状態になった。強張るからココロの状態を上手く把握できなくなった。
それから古木紬子は押し黙った。チラリと眼を向けると、視線で地面に穴を開けるかのように俯いていた。
極度に居心地の悪い約2分間が過ぎた。
「私が」
目線を徐々に上昇させながら古木紬子が口を開き、
「私が、言いたいのはねっ、太陽(たいよう)くんっ」
と衝撃的にも俺の下の名前を言ってきて俺の顔面をぐぐぐっ、と見上げて、
「あなたの、作る、お料理が……」
と言ってきてから、コトバをいったん切ったかと思えば、握り締めた右拳(みぎこぶし)を俺の胸のド真ん中にぶつけて、
「あなたの作るお料理が……世界でいちばん、おいしい」
と、『キモチ』を打ち明けてきた。
俺はどんなコトバも口から出せなくなった。
古木紬子が左拳も握り締めて俺の右脇腹にぶつけてくるのに時間はかからなかった。
よく見てやれば、細かく見てやれば、お嬢さま育ちゆえなのか、古木紬子には古木紬子特有の可憐(かれん)さみたいなモノがある……そのコトに初めて気が付いた俺に、あまり大きくない右拳と左拳が密着していた。
うろたえる俺を咎(とが)めるように、古木紬子が両方の拳で上半身を連打し始めた。
腕っぷしが強くないから、少なくともカラダは痛くならなかった。
ただ、
「私、あなたの料理がおいしい。おいしい、本当においしい。これからずっとずっと、おいしい。繰り返すけれど、世界でいちばんおいしい。あなたの料理から離れたくない。卒業しても、あなたの料理の近くに居たい、間近に居たい。約束して。いちばんおいしい料理を作れるあなたが、私のために、いちばんおいしい料理をずっとずっと作ってくれるって。離さないで。私に、言わせて。『おいしい』って、あなたの料理に言い続けさせてよ……」
という、『お嬢さま』の『告白』は、俺の精神(ココロ)に響き続け、響きを停(と)めるコトが無かった……。