夕食後。わたしの部屋。弟のヒバリに受験勉強の指導をしている。ヒバリの高校受験はすぐそこに迫っている。金曜の夜なのだから、念入りに指導をしたい。
国語の問題集の採点を終えて、わたしは、
「『伸び』が感じられるわね。国語力の『伸び』が。この調子で行けば、『3分の2』だった合格可能性も『4分の3』にはなるでしょう」
とヒバリに眼を合わせて言う。
担任の先生には『3回受けたら2回は受かるけど1回は落ちる』と言われていたヒバリだったが、わたしの熱を込めた指導のお陰だろうか、『4回受けたら3回受かる』トコロまで成績が伸びてきた実感がある。
『よくついてきてくれたわね。偉いわよ……』というキモチを込めてヒバリに微笑みかける。
姉のわたしに直視されたからか、ヒバリは顔を逸らす。
顔を逸らした先には本棚があって、
「姉ちゃんは『国語に自信アリ姉ちゃん』だよな。読書が好きだから、国語も得意科目なんか」
というヒバリのコトバが届いてくる。
わたしはまず、
「『国語に自信アリ姉ちゃん』なんてイヤな言い方はやめてちょうだい」
とたしなめ、次に、
「たしかに、国語は割りと得意だったけど、読書が好きなのと国語の成績にそんなに因果関係があるのかしら?」
とヒバリの発言に疑問を呈する。
それから、
「あのね? ……わたしの知り合いの女の子が昔交際していた先輩の男子(ヒト)がいるんだけど、彼は高校の3年間で計500冊も本を読んでいて、『年度最多貸し出し記録達成者』として学校の図書館に表彰されたコトもあるの。だけど、その男子(ヒト)はなんと国語が5教科の中でいちばん苦手で、理系に的を絞って、某有名私立大学の理工系学部に現役合格したというワケで」
と、余計過ぎるエピソードを、敢えて付け加える。
「……『というワケで』って、なんだよっ。変(ヘン)だろが」
そう言うと同時にヒバリが椅子から立ち上がった。
乱暴な口ぶりに、乱暴な動き。わたしの中に苛立ちが芽生えるのも自然の流れだった。
わたしから溢れ出るピリピリを感じ取ったからか、弟は慌てるようにして背中を向け、出口のドアへと歩み出す。
可愛くない弟は、可愛くないドアの閉め方をして、部屋から出ていった。
× × ×
わたしはわたしの椅子に座り込んだままになってしまう。
ヒバリが座っていた眼の前の椅子には『虚(むな)しさ』が残っている。
哀しいキモチの一歩手前のキモチだった。
過剰に俯(うつむ)いて、カラダを小さくしていってしまう。
金曜の夜だから張り切っていたのに、受験勉強は呆気なく中断されてしまった。
ヒバリのせいだけじゃないんだと思う。わたしもたぶん不用意だった。姉であるのをいいことに、上から目線の態度で弟に接してしまっていた。
二十歳(ハタチ)を過ぎても自分の弟に柔らかく接するコトができない。5つも年が下なのに、向き合うとすぐ攻撃的になってしまい、優しくなれない。
さっきのヒバリと同じぐらい乱暴に椅子から立ち上がってしまった。ずかずかとコドモじみた床の踏み方でベッドに歩み寄った。飛び乗って、うつ伏せになって、掛け布団を一瞬で皺(しわ)くちゃにした。枕に前髪を押し付けた。
× × ×
そのままの体勢を1時間近く持続させている内に、
『このままでいいワケが無い、このまま土曜の朝を迎えたくない』
という感情がふつふつと湧いてきて、やがてわたしは……這いつくばるのを『やめ』にした。
× × ×
部屋から出る前にヘアブラシを使って長い髪を整えた。弟に対してここまで身だしなみに気をつかう必要は本来ない。でも、必要がない『からこそ』、髪の細かい乱れを直してからドアを叩くべきだと思った。
わたしのノックに応えてドアを開けたヒバリがしょげていた。
わたしみたいに部屋の中で悶々(もんもん)としていたのではないかと思ってしまい、ドッキリとしてしまう。
「ごめん、姉ちゃん」
ヒバリの方から謝ってきたから、胃袋が跳ね上がるかのような衝撃を受ける。
「逃げちまって、ごめん。こんなに受験が近いのに、国語の勉強ほっぽり出して部屋に逃げ込むだなんて、サイテーだよな」
こんなに謝るだなんて。反省してるだなんて。
弟に言ってあげようと思った柔らかくて優しいコトバを全て忘れてしまった。
とるべき態度を見失って混乱のさなかに居る姉のわたしに、
「イヤなコトから逃げてばっかいたら、困るのはジブンなんだよな。メンドくさくても、やるべきコトは、ちゃんとやる。勉強はメンドいけど、ちゃんとやらなかったら、きっと高校落っこちる。だから――」
「ちょっちょっとまってヒバリ。おかしくない!? どうしてそんなに急にマジメになったの!? どうしてそんなにマジメなことを次々と口から出すの!? 何か変な食べ物でも部屋に隠し持っていて……」
「はあ??」
前のめりでどんどんヒバリのカラダに迫っていくのを抑え切れないわたしに、
「おかしいのは姉ちゃんの方だろ。反省して、ココロを入れ替えてるんだよ」
衝撃のレベルがもう1段階上がる。
ココロを……入れ替えてる……!?
「こ、こ、『ココロを入れ替えてる』だなんてっ、そ、そ、そんなコトバ、あなたの口からは一生聞けないかと思ってたっ」
「なんだそれ」
部屋から抜け出したヒバリが、わたしの部屋目がけて着実に脚を近付けていく。
いったん立ち止まって、わたしに振り返って、
「なーに硬直してんだ姉ちゃん。受験勉強、再開しようぜ」
わけもわからず、
「わたし……わたし……姉として、ココロの準備が……」
という弱りに弱ったコトバしか出せなくなる。
「バカだなぁ。ココロの準備も何もねーだろ」
「脚が……脚が、ふ、ふるえてるのっ」
「そんなに寒いんか? 冷え性ってか」
「ちがうわよっ!? ちがうにきまってるでしょっ!? ちちちちがうけど、ふるえるのは、ふるえるのっ……!!!」