フローベールの『感情教育』を読んでいたら、電車が湘南地方某駅に到着した。
駅を出たら、晴れ渡った綺麗な冬空が広がっていた。
これから、幼馴染のキョウくんに会いに行く。
× × ×
お昼ごはんを食べてから出発したから、キョウくんの家に着いた時には既に14時を過ぎていた。
大きめの液晶テレビに某・競馬中継番組が映し出されている。リビング。わたしとキョウくんの2人だけでソファに座っている。左隣のキョウくんとの距離は数センチしかない。
競馬中継を一緒に視(み)るのは今年初めてだ。大レースがあるわけでもないが、メインレースのみならず準メインレースまでも、インプットしてきた情報を余す所なくキョウくんに説明し、寄り添って競馬中継の開始時間を迎えた。
パドックをメインレースの出走馬が周回している。パドックが何なのかはとっくにキョウくんに教えている。
「むつみちゃんはパドックを予想に組み込まないんだよね。それで後悔したコトは無いの?」
左隣の彼からそんな声が聞こえた。
迷わずに、
「無いわ」
と答える。
「力強いね」
わたしの返答を「力強い」と形容するキョウくん。
「パドックでの『イレ込み』とか、馬体重の大幅増減とかで予想を変えたりはしないわ。そんなコトでジタバタしたって仕方無いし」
わたしは豪語する。解説者を敵に回してしまったかもしれない。
しかし、わたしの勢いは止まらず、
「調教もそうよ。新聞の調教タイムなんて、見方すら分かんない。G1レースの時とか公式で調教映像流すけど、あの映像ほどつまんないモノもなかなか無いわよね」
と、記者やトラックマンの怒りに火をつけるような発言をしてしまう。
「飛ばしてるねえ」
すぐ隣に居る彼の苦笑いが簡単に眼に浮かぶ。
「飛ばすわよ~。わたしは真実を言ってるんだもの」
さらに勢いを止めずに、
「もっとも、調教じゃなくって、『調教師の名前』は見るけどね」
「『◯◯厩舎所属』とかを、予想のヒントにするの?」
「そーよ。やっぱりあなた、賢いのね」
「ははは……」
「あとは、産まれた牧場の名前」
「そこまで!?」
「そこまで見るの。よく知らない下級条件の馬でも、ノーザンファーム生産だったら、見る目が変わる」
「ノーザンファームは、強い馬をたくさん生産してるよね」
「独占禁止法に違反してないか心配なぐらいにね……」
そんなデンジャラスなコトを言っていたわたしだったが、メインレースの発走時刻が近付いてきたので、姿勢を正した。
× × ×
『直線コースに入る前の時点で、むつみちゃん、どの馬が好走するのか、ある程度分かってたよね。天才的だったよ』
キョウくんが、そうホメてくれた。
胸が満たされた。
さて、競馬中継はとっくに終わり、今は夕方のニュース番組を視ている。リビングの窓の外が、かなり暗くなっている。
ソファに2人きり状態は続いている。左隣の彼との間隔が数センチしかない状態も続いている。
共通試験2日目の模様をニュースが伝える。
わたしは少し背筋を伸ばし、両膝の上に両手のひらをくっつけて、
「来年はわたしも、ああいう場に居るコトになる。2日間の試験を闘い抜く」
「『闘い抜く』なんて、気負い過ぎかも」
そういう彼の御指摘が聞こえてきたので、
「そうかしら?」
と、思わず彼の顔に視線を寄せる。
「チカラが入り過ぎるのは、不安だな」
わたしの最大の理解者の1人である彼はそう言って、
「おれ、現役の時、センター試験でも本命の入試でも、チカラが入り過ぎちゃって、振るわなかったから」
「……わたしが愛情を注いでいれば、結果も違ったのかしら」
「えっ?」
「その時は、まだ、あなたと『再会』してなかったし。想い続けていたあなたに愛情を注ぐ機会も無かった」
芝居がかったセリフではあった。
自分自身の話しコトバを上手に制御できなくなりつつあるのは、事実。
少し目線を下げてしまいながら、
「――わたしは、1発で決めなきゃね。合格を、リーチ1発ツモで。お馬さんにうつつを抜かすのも、控え目にしておかないと」
24歳なんだから、競馬法違反でも何でもないんだけど、のめり込んではいけない年になるのは明白。
天気予報になったテレビ画面を見据えつつ軽く息を吸い、軽く吐く。
「だいじょーぶだよ、むつみちゃんなら」
温かな幼馴染の声が左耳に響いてきた。
瞬時に両方の耳たぶが熱くなった。
「だいじょーぶだ、絶対に、ね。きみは、天才肌を超えて、正真正銘の天才なんだから」
『どうして、このタイミングで……ホメちぎり過ぎなぐらい、ホメちぎるのかしら』
ココロの中で疑問を抱いた次の瞬間。
わたしの右肩に、キョウくんが右腕を回し……抱き寄せてきた。
× × ×
テレビは一旦消した。キョウくんの御両親はあと30分ぐらいで帰宅してくる。
いつもより大胆なキョウくんの温もりが尾を引いている。
だけど、
「あのね」
と、依然として彼と共にソファの上のわたしは、
「今夜はお泊まりして、明日の午前中に帰るでしょ」
と言い、
「晩ごはん食べた後のコト、なんだけど」
と言って、それから、
「わたし、あなたのお部屋で、受験勉強がしたいの」
と打ち明ける。
『ごくり』
そんな音がした。
彼の喉仏(のどぼとけ)が鳴る音だった。
わたしの中で、温かさと、恥ずかしさと、くすぐったさと、微笑ましさが、『ないまぜ』になった。