中嶋小麦(なかじま こむぎ)と冷戦状態なワケではない。中嶋と口を利きたくないワケではない。
あいつと関わり合うのが怖い。だから、避けている。
『中嶋と巻林(まきばやし)はずっとケンカしたまま』。クラスメイトのほとんどがそう認識しているんだと思う。同じクラスの奴だけじゃなくて、違うクラスの奴にも、そんな認識が浸透してしまっているんだと思う。
そんな認識は間違いだ。みんな誤解してる。ケンカしたままなんじゃない。おれの方から過剰に距離をとってるだけ。
遠ざけて避けているのはおれの方。だから、中嶋は悪くない。
あいつの顔に眼が近付いた時、絶対に眼を逸らしてしまう。
あいつに対するおれの「意識」がオーバーヒートしてしまいそうになるから。
時折、授業中に、眼が合いそうになってしまうコトがある。不都合にも席が近いから。
先週もそんなコトがあった。危うく眼が合うところだった。慌てて反対側を向いた。反対側に居た女子が怪訝な表情になった。恥ずかしかった。
あの場でおれが反対側を向いてしまった時、背後の中嶋はどんな表情になっていたのだろうか。
想像するのが怖い。罪悪感がある。
中嶋が日直の日があった。授業後、日直の中嶋が白板(はくばん)の文字を消していた。中嶋の後ろ姿のほとんどがおれの眼に映った。
中嶋の髪が入学以降最も長くなっていた。
1年時と比べたら歴然だった。当初は、耳のすぐ下辺(あた)りまでの短さだった。あれから3年近く経って、髪先が両肩に触れるようになっていた。
眼を奪われる。特に両肩に眼が吸い寄せられる。ショートヘアを卒業した中嶋小麦。時間の経過と外見の変化。外見の変化は内面の変化ときっと連動していて。
内面の変化。単なる変化じゃない。成長、成熟……。そんな漢字2文字を思わず意識する。そして、意識し過ぎてしまったが故に、後ろ姿に釘付けになってしまった自分を恥じ、机の上に視線を下げていく。
× × ×
入学当初から知っていた。最初に『マッキー』とニックネームで呼んできた女子だったのかもしれない。もしかしたら、あいつが『マッキー』呼びを始めたのが発端になって、『マッキー』と呼んでくる女子の輪が拡がったのかもしれない。
最初から明るい女子だった。快活過ぎて中学4年生っぽく見えてしまう時もあった。文系科目の成績が芳しくなかったのも、コドモっぽく見えるのを助長していたのかもしれない。
『国語の成績上げたら、もうちょい高校生っぽく見えるのに』
直接そう言ったコトがあった。
途端にむすーっ、となった中嶋が、
『なにそれマッキー。国語の成績が悪いから、高校生っぽく見えないってゆーの? 国語の成績が、オトナっぽさやコドモっぽさを決めちゃうの? カンケーないよね、ゼッタイ』
と怒ってしまったので、慌てて、
『ご、ごめん、失言しちまった。取り消す。忘れてくれ』
と謝ったが、
『ふてきせつ』
とだけ呟いて、窓に視線をぷいっ、と逸らしてしまった。
そんな出来事もあったけど、「気さくな女子」という印象止まりだった。
印象が変わったキッカケは、2年に進級した時。
共に理系に進み、同じ組になった。始業式の翌日に実力テストがあった。理数系科目が理系クラス仕様になっていた。
理系クラス仕様の高レベルな数学のテストで、中嶋が組中(くみちゅう)最高得点を取った。
理系科目の成績が文系科目の成績と真反対であるのは知っていた。でも、同じテスト問題を解いていて、その難しさに『中嶋でも高得点は取れないかもしれない』と思った。
でも、おれの予想を中嶋は遥かに上回ってきた。
見る目が変わった。
数学のような理系科目で好成績を収める中嶋が眩しく見えるようになった。
数学の定期テストの答案が返却される時、必ずと言っていいほど、スキップしながら自分の席へと戻ってくる中嶋の姿があった。
その嬉しそうな横顔が、眩しく見える以上に、可愛く見えてしまう瞬間があって……おれはその時、胸のザワめきを確かに感じていた。
× × ×
しかし、ここに来て、この土壇場で、中嶋の数学の成績は伸び悩んでいる。
非常にハイレベルな模試を受けてしまったのが伸び悩みの始まりだった。歯が立たない設問に出会ってしまったのがショックで、定期テストの点数も振るわなくなった。2学期の中間も期末も、平均点こそ大きく超えているものの、あいつにしては平凡であるとしか言いようのない点数にとどまった。
× × ×
年はとっくに明けている。1月16日だ。共通試験2日前。土壇場も土壇場である。
下学年は授業中だが3年の授業は既に終わっている。校内の自習室。あるいは、校外の自習スペース。もしくは、塾や予備校。そうでなかったら、カフェやファーストフードやファミリーレストラン……。3年3組の面々はいろいろな場所に散らばっていった。
中嶋小麦の向かった場所が分からない。
遠ざけているから、遠ざかる。離れすぎたから、全然見えなくなる。
いちばん最後まで居残った3年3組の教室を出る。重い足取りで、廊下を歩き、階段を下りる。
某チャート式の数学参考書を左手に持っているものの、勉強する場所を見失う。校内にも校外にも見出せなくなる。
行き場所をどんどん失(な)くしていく。自分から失くしていく。
3年用の校舎からかけ離れた場所にそびえる大木(たいぼく)の陰に隠れる。
歯ぎしりしながら、チャート式数学参考書をバッグの中に突っ込む。