ホフマンの短編小説を読んでいたら、電車が湘南地方某駅に到着した。
キョウくんの家に行く時は電車内でフランス文学を読むのが恒例になっているんだけど、今日はドイツ文学だった。たまにはお決まりのパターンから逸脱するのもアリだと思う。たしかにわたしはフランス文学に傾倒している。でも、他国の文学に興味が無いワケでは無いのだ。ドイツ文学だって好きだ。そこの所は誤解無きようよろしくお願いします。
× × ×
キョウくんのお部屋に入っている。カーペットにぺたり、と腰を下ろし、テーブル上のメロンソーダとケーキを味わっている。キョウくんはわたしの正面でベッドに着座している。
ストローを軽くつまんでメロンソーダを飲んだ後で、ストローをつまみ続けながら、
「なんだか眠そうじゃない? 今日のキョウくん。たぶん睡眠不足なんでしょ」
「よく分かったね、むつみちゃん。なんで分かるのかな」
「ときどき瞼(まぶた)が下がるコトがあるし。眠いのを堪えているのよね」
「バレてたか」
彼は苦笑いしながら、
「昨日、夜遅くまで建築の勉強をしていて……寝不足なのさ」
「偉いわねえ夜遅くまでお勉強だなんて。熱心で素晴らしくステキだわ」
「あはは……。だけど、せっかくむつみちゃん来てくれるのに、夜更かしはマズかったかもな。睡眠不足できみに応対してしまってる」
「いいのよ〜〜。たとえキョウくんがお昼寝を始めたとしても、わたしはあなたの寝顔を見るだけですこぶる楽しめるんだから」
「それ、本当? おれの寝顔を見るだけで、楽しいの?」
わたしは力強く頷いた。
× × ×
とうとうキョウくんが夢の世界に入っていった。
湘南地方までやって来たくたびれを癒やすためにわたしがキョウくんのベッドで寝るパターンの方が断然多かったんだけど、今日はキョウくんがキョウくんのベッドで睡眠不足を癒やしている。キョウくんのお昼寝である。時刻は15時に迫ろうとしている。日曜日。当然のコトながらフジテレビ系列の中央競馬中継番組がまもなく始まるんだけど、現在はJRA公式サイトでもレースを生中継してくれているので、ベッドでグッスリのキョウくんを見守るのに集中しつつ、時折スマホでレースの行方を確かめるコトにする。
繰り返しになるけど、キョウくん1人が寝ていてわたしがそれを見守る状況なんて、レア中のレア。
彼の睡眠を妨げてはいけないという想いに満ちている。そう思いながらも、今腰を下ろしている場所から、もっと距離を詰めていきたかった。間近で彼の寝顔が見たい。何故か? ……だって、「そういう関係性」なんだもの。
キョウくんのベッドのすぐそばまで来た。キョウくんの寝顔に優しくて熱い視線を送る。彼の肌はとっても日焼けしている。夏が過ぎたばかりの季節なんだし、残暑もとっても厳しいから、必然的に日焼けする。それもチャームポイントだ。
ちなみに、「夏が過ぎたばかり」と言ったけれど、この時期のJRA開催は、一流馬がステップレースを使うとはいえ、ほとんど夏競馬の延長線上のようなモノである。
……余計な段落を挟んでしまったが、わたしはキョウくんの日焼けに魅入られるあまり、彼のカラダに自分のカラダをさらに近付けたくて、ベッドの縁(ふち)に両手を置いて、彼の寝顔を覗き込むような体勢になる。
キョウくんの胸の辺りに自分の顔をくっつけたいという欲求が芽生えてしまった。
でも、わたしの密着に気付いて、たぶん眼を覚ましてしまう。過剰なスキンシップは睡眠妨害だ。彼が起き出すのをじっくりと見守る方が明らかにベターだ。距離は詰めまくっているんだけど、寝息に耳をすますコトなどに集中しようと思う。
だけど、彼の左腕にちょっと触れるぐらいなら、睡眠妨害にはならない……という想いもあった。
だから、彼のよく日焼けした左腕の真ん中辺りに、そっと右手を置いてみた。ぶわり、と「照れ」の感情が立ち昇ってきてしまったけど、左腕に置く右手を離したくは無かった。
× × ×
16時を過ぎてキョウくんは目覚めた。
身を起こしてベッドに座り、頭部をポリポリ掻きながら、
「こんな時間まで寝てしまうなんてな。メインレース終わっちゃったね、むつみちゃん。リビングに行って競馬中継観たりはしなかったの?」
「しなかった。今はG1レースは組まれていないけど、あなたの寝顔は確実にG1級だったから」
「なにそれ」
苦笑いかつ照れ笑いでキョウくんがわたしに言う。
「ねえねえキョウくん」
「なんだい?」
「帰りの電車は、かなり夜遅くにもあるんだから――晩ごはん、作ってあげよっか」
「ええっ!? そんなコトまでしてくれるの!? 恐縮しちゃうなぁ」
「恐縮しちゃう、なんて言ってほしくないわ」
「んんっ」
「サザエさんでも見ながら、わたしと一緒に晩ごはん食べてよ。今月最大のオ・ネ・ガ・イ」
「んんんっ……」
「もうっ。そんなリアクションしかできないんだからぁ」
もちろん、本音で不満を表明しているワケじゃない。ある種の「お遊び」だとも言える。どれだけ上手にキョウくんを翻弄できるのかは未知数。だけど、もっともっと彼を可愛がりたかった。そして、もっともっと彼に迫りたかった。
迫りたかった、とは、もちろんのコト、物理的な距離において。
立ち上がる。ぺたぺたと彼の座るベッドまで歩み寄り、何の断りもせずに、彼の左隣に静かに腰掛ける。
それから、すぐさま、彼の横顔に熱の籠もった視線を送った。
わたしの熱いキモチが伝わったのか、下向きがちになって、ドギマギしているみたいなオーラを身にまとい始める彼。
晩ごはんの支度もしないといけない。だから、急いで、キョウくんの顔にわたしの顔をどんどん接近させる。
ピンチ(?)を感じたのか、キョウくんはごっくん、と息を呑む。
わたしの視線はキョウくんのほっぺたに収束していく。
わたしのくちびるがスタンバイをする。
わたしのカラダは弱いから、あからさまな◯◯は全然できない。
だけど――「こういった行為」ならば、今まで何回もしてきたんだから。
くちびるを、嫌らしくならないように、そぉっと近付ける。
キョウくんは未だに「慣れてない」らしい。横顔がハッキリと物語っている。
かわいい。