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【愛の◯◯】チワワを堪能する平和は脆くも崩れ去る

 

長い髪がまだ乾き切っていなかった。ドライヤーを満遍(まんべん)無くあてたつもりだったけど不十分だった。わたしの部屋でわたしの湿り気を帯びた髪をつまむ。半分だけカーテンを開けた窓の外は曇り空だ。曇りといっても灰色がかった不穏な雲ではなく真っ白で穏やかな雲。そんな平穏な雲が敷き詰められた空を、ベッドを椅子代わりにして眺めている。

バスタオルを髪にくっつけるようにしてボーッと窓の外を眺めていたら、部屋に戻ってからいつの間にか30分以上経過していたのに気付いた。慌ててバスタオルで髪をゴシゴシする。なんだか、大学が長期休暇に入ってから、1日中ボーッと過ごしている日が連続しているかのようだ。弟のヒバリよりも怠惰の度合いが高くなっていそうで怖い。

長い髪なんだけども、これでも以前よりは短いのである。美容室で短くしてもらったばかりだ。わたしから自発的に美容室に行ったワケでは無かった。『亜弥? あなた良い加減にその髪切りなさいよ。女子大学生のだらし無さを象徴してるみたいでイヤだわ。お金は出してあげるから』。母にそう言われてしまったのである。ある種の悔しさを感じながらわたしは紙幣を受け取った。

現在の猪熊家は「静か」のひとことだ。母も父も弟もみんな出かけているのだから。『この静寂をあと何時間味わえるのだろう』と思う。静寂イコール平和である。ゴシゴシと髪をしごいていたバスタオルを勉強机手前の椅子に引っ掛け、両方の手のひらをベッドの敷き布団に密着させ、穏やかで和やかな曇り空を上目遣いに見る。

弟のヒバリのスケジュールはだいたい把握していた。ヒバリが帰宅する時刻から逆算して、わたし自身のスケジュールを漠然ながら構築していたのだ。ヒバリが帰宅した途端に平和なひと時は終わってしまう。そんな確信があった。したがって、わたしが好きなコトを好きなだけできるのはヒバリの帰宅までだった。『ボンヤリするのにも限度がある。曇り空を眺めているだけで夕暮れを迎えてしまうワケには行かない』と思い、腰を上げ、勉強机の上のスマートフォンを手に取る。

スマートフォンで何をするのか? 画像を見るのだ。何の画像を見るのか? 動物の画像を見るのだ。何の動物の画像を見るのか? 犬の画像を見るのだ。なぜ犬の画像を見るのか? ……決まってるでしょ。わたしが稀代の猫嫌いで稀代の犬好きだからよ。

スマートフォンに蓄積された可愛い犬画像を次々に味わっていく。とりわけ気に入っているワンちゃんの写真に差し掛かったら、そのワンちゃんの顔を数分間凝視し続ける。そうするコトで、カラダもココロもほぐれていき、家の中の静寂も相まって、自分自身が整っていくのを実感する。たぶん、わたしの目前に宙に浮いた鏡があったとしたら、これ以上無いほどリラックスした笑顔を映すコトだろう。

調子が出てきたので、スマホをいったん置き、再度腰を上げ、勉強机のそばにある低い本棚から、可愛らしい子犬ちゃんたちが沢山撮影された写真集を抜き出す。この写真集はシリーズ物で、わたしが抜き出したのは第3巻で、この巻に収録されたとあるチワワの子の写真を見ていると、まるで自分が世界を統べる女王になったかのような、愉しくて悦ばしい気分が満ち溢れてくるのである。

同世代の知り合いで『猫派』の女子が2人居る。猫好きなキモチを否定するつもりは全く無い、というのは建前で、『犬の方が断然良いじゃないの!! あなたたちが猫に靡(なび)くのだけは理解できないわ。わたし、あなたたちが猫グッズなんかを見せびらかしてきたら、常に携帯している犬グッズを即座に出して応戦するんだから』という風な想いを、面と向かってはコトバにしないものの、胸の中に所有しているのだ。

世界でオンリーワンかつナンバーワンのチワワに見入る。もう少しで写真の中の世界に吸い込まれそうだ。

時間を完全に忘却する。

ヒバリの帰宅予定時刻がどうでも良くなる。

ただ、『どうでも良くなった』のが、マズかった。

階段が踏み鳴らされる音が突然響いてきたのだ。

現実に引き戻されるのと全く同時に嫌(イヤ)すぎる汗がどんどん出てきた。ヒバリが帰ってきたのだ。そして、チワワに夢中になり過ぎて、わたしはヒバリの帰宅に全然気付けなかったのだ。

恐る恐る、部屋の入り口ドア方面に視線を映す。ヒバリがドアをノックしてくる可能性は何パーセント? 咄嗟(とっさ)の計算が、上手くできない。ノックの可能性は、高いか低いかで言ったら、高そうだ。『わたしが家庭教師になって高校受験の勉強を教えてあげる』、ヒバリにそう告げたばかりだった。わたしはこんな風に想定する。ヒバリはまずヒバリの部屋に入る。それから持てるだけ勉強道具を持ち、部屋を出る。それから、勉強道具を抱え込みながら、わたしの部屋のドアを乱雑に叩いてくる……。

自然に立ち上がっていた。チワワほか可愛過ぎるワンちゃんたちへの依存から脱却し、着実にドア前へと進んでいく。ドア間近で立ち止まり、ガサツな弟たるヒバリの進撃に備える。

ゴンゴンゴンゴンと、4回連続でドアが叩かれる音がした。

『バカじゃないの!? ドアをそんなに乱暴に叩くなんて、ドアが可哀想よ』。そういうキモチが胸の中で盛り上がると共に、ドアノブを握って回す。

ヒバリが現れる。実際には不機嫌では無いんだろうけど不機嫌そうな眼つきをしている。やっぱり勉強道具を右腕で抱え込んでいた。読みは当たった。

部屋に通す前に、胸の前で腕を組んで弟に立ちはだかり、

「感心しないわね」

と怒る。

「なにが?」

「あなたの階段の上がり方と、ドアのノックのやり方よ」

「それ、前も言ってなかったか!?」

「言ったわよ。でも、3回以上同じコト言わないと、あなた学習しないでしょ」

「めんどくせ」

「ヒバリ!!」

「大声はやめれ、姉ちゃん」

「あなたに命令形でモノを言われる筋合いなんか無いわ」

ヒバリが舌打ち。小さくてささやかな舌打ちだけど、わたしの苛立ちを増幅させてくる。だから両腕を組み続け、舌打ちの弟を睨みつけ、次なるお説教のコトバを絞り出そうとする。

だが、しかし。

ようやくお説教コトバを絞り出せたと思った途端に、

「あのさぁー」

と、悪い弟が、姉であるわたしをたしなめる意図のあるような声で、

「今の姉ちゃんの服、もうちょい何とかならんの? 大学に行く必要が無いからって、ユルユルし過ぎなんじゃねーの? そんなパジャマみたいな格好(カッコ)に腕組みは似合わねーよ。しかも、上も下も犬柄(いぬがら)だし。いくら、テレビ番組で犬が映った途端に大興奮するからって……」

 

 

 




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