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【愛の◯◯】家庭教師と2人の北里博士

 

 

バロック時代の音楽ばかり最近聴いている。ベッドに寝ているわたしの後ろのCDラジカセからバッハの旋律が流れ続けている。穏やかで優しい旋律に微睡(まどろ)む。もうとっくに夜が明けている時間。夜明けどころか、カーテンの隙間から夏の陽光が今にも溢れ出てきそうだ。

ウトウトしながらも、バッハの旋律が終わったので、ゆっくりユルユルと身を起こした。眠たい眼で、デジタルクロックを抱きかかえるようにして持つ。8時半だった。予想以上に朝だった。高校時代だったら完全に遅刻の時間帯だ。今は大学生だけど、こんな時間まで寝ていたら、当然ながら1限の授業に間に合わない。

大学2年の夏休み。怠けるだけ怠けられる。いろいろ意見はあるだろうけど、大学は勉強する場所だとわたしは思っている。ただし、思っているだけで、こういう風にして長期休暇になった途端に起床時間が遅くなる。思っているコトとやっているコトが違う。自堕落。

 

× × ×

 

8時半に起きたのだから昼食の時間は少々遅くなっても良い。キッチンのコンロの前に立ったのは午後1時過ぎだった。鍋にお湯を沸かし、乾麺の冷や麦を投入する。月曜日から、そうめん→冷や麦→そうめんというローテーションで、木曜日の今日は順番的に冷や麦だった。

冷や麦を啜(すす)っていたらダイニングキッチンに弟のヒバリが現れた。ヒバリは中学3年生であり、わたしとかなり歳が離れている。ヒバリが通っている中学は公立中学だ。ということは、この夏にヒバリがすべきコトは、言うまでも無く……。

箸を置いてヒバリの行動を眼で追う。ずんずんと冷蔵庫に直行し、乱暴に冷蔵庫の扉を開ける。麦茶の入った容れ物を取り出し、乱暴に冷蔵庫を閉め、コップにゴボボボボと麦茶を注ぐ。

ヒバリは無言でわたしの右斜め前に着席し、わたしは無言で冷や麦の残りを啜っていく。

椅子から立ち、全部の食器を流しに持っていく。乱暴に冷蔵庫を開け閉めしたヒバリとは対照的に、丁寧に丁寧に食器を洗っていく。洗った食器をその場で拭き、元あった場所に戻す。

そして席に戻る。姉弟の間に形成されていた沈黙。姉のわたしの方からそれを破る。

「ずいぶんお気楽な御様子ね」

「いきなり何だよ姉ちゃん。挑発か!?」

「バカじゃないのあなた」

「うるさいな」

「ねぇヒバリ。自分がどんな状況に置かれてるのか、理解はできないの」

キョトーンとする弟。絶対に理解なんてできていない。

「あなたの中学生活はあと8か月ぐらいで終わるのよ?」

「それがどーした」

「中学最後の夏休みにはどんな意味合いがあると思う?」

「んっ……」

徐々に感づいていったようで、ひと安心である。

「高校生になるためには、受験勉強をしなきゃいけないわよね」

そう指摘すると同時に、ヒバリがわたしの逆方向に顔を逸らした。

素直さ皆無の弟の横顔をジーッと眺めてみる。だいぶ大人びたモノだ。声変わりして身長がぐんぐん伸びたのがつい最近だと思っていたのに。もっとも、大人びたといっても、中身にあまり変化は無い。家族の中で姉のわたしに対して特に攻撃的な、生意気な弟だ。受験勉強を促したいけど、手こずるのは明白。

人の言うコトをあまり聴けない性質なのならば、極端な手段を取っても許される。極端といっても、勉強をサボったら『お仕置き』するとか、そんな手段ではない。前時代的な鞭(ムチ)のふるい方とはむしろ真逆。ムチではなくアメである。そう。つまり、何かでヒバリを『釣る』のだ。それを『施し』と言い換えても良い。

ソッポを向き続けるヒバリに、若干の甘さを含ませた声で、

「わたしからお願いがあるんだけど」

と言い、視線をこっちに寄せてきたタイミングで、

「わたしを家庭教師として雇ってくれないかしら?」

と申し出てみる。

「ハァ!?」

『何を言い出しやがるんだこの姉ちゃんは』というキモチの凝縮された声だった。でも、顔の向きはわたしの方に変わっていた。

「わたしを雇えば無料よ。塾に行ったりしたら高いお金がかかるでしょ。それに、あなたは塾とか向いてないと思うのよ。いかにもすぐサボっちゃいそうだし」

カテキョーだなんて……勉強を教えられるって自信あんのか、姉ちゃん? 自信があったとしても、理由の無い自信なんじゃねーのか」

弟の疑問を華麗にスルーし、

「わたしの家庭教師には『特典』が付くんだけど」

「……ワケ分からんコトばかり言われても困るぜ」

『勝手に困ってなさいよ……』とココロの中で呟き、微笑ましいキモチになり、右腕で頬杖をつき、笑顔でヒバリの眼を見ながら、

「もし、今日から1週間、わたしを家庭教師として雇ってくれたのなら、北里柴三郎博士を2人あなたにあげるわ」

困惑に困惑が重なったヒバリは、

「い、いみフメーなコトばっかいってんじゃねーよ」

と言うが、

「難しい言い回しだったかしら? 要するに、わたしの指導をガマンして受け続けてくれたら、おこづかい2000円あげるってコトなんだけど。どう? わたしから2000円貰えるなんて、滅多に無い大チャンスよ?」

「か……カネで釣るのかよ!? なんだその2000円って!? 口止め料とかか!? 口止め料とかじゃねーだろうな!?」

「落ち着きなさい」

わたしはピシャリ。

「会場はわたしの部屋」

「ね、姉ちゃんの部屋だと、落ち着いて勉強できなくなる」

「2000円出してあげるんだから、そういう文句言うのはやめなさい」

再び、ピシャリ。

うつむき気味になったヒバリは、悪あがきのごとく、

「ワセダでも、ケイオーでも無いくせに。カテキョーとかマジで出来んのかよっ。もし姉ちゃんのカテキョーが逆効果になったりしたら……」

「あなたって家族を怒らせる天才みたいね」

「ななっ!?」

「今はわたしはそんなに怒ってないけど♫」

 

 

 




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