夕方。
戸部邸に来ている。
『ご馳走を作ってあげるわ』と愛に言われていたのである。
玄関で出迎えてくれたのは明日美子さん。
「愛ちゃんが料理作るのを少し手伝ってあげるの」
「わあ、ステキ。明日美子さんは料理が凄腕だって聞いてますし」
「それほどでもないわよ〜、さやかちゃ〜ん」
天真爛漫な笑顔で明日美子さんは、
「リビングに行ってみると良いわよ? 愛ちゃんとアツマがくつろいでると思うわ」
「どのリビングですか?」
「いちばん大きなリビング」
彼女はそう答え、
「あのリビング、今日は七夕仕様なの」
「七夕仕様。というコトは……」
「行ってみてのお楽しみ」
× × ×
「ホントだ。明日美子さんの言った通り。七夕仕様だ。七夕笹に短冊がいっぱい……」
その七夕笹は、巨大リビングの巨大なガラス窓の近くにあった。
わたしが立ってそれを見つめていると、
「短冊書いてないのはあなたぐらいよ、さやか」
と、椅子に腰掛けている愛が、後ろから。
「お邸(やしき)の住人や、わたしとアツマくんは、もちろん書いた。他にも、たくさんの人の短冊があるわ」
眼を凝らしてみると、アカ子が書いた短冊を発見できた。
願い事は、もちろん、ハルくん……地球の裏側の彼氏に対する願い。切実だから、胸がジーンとなる。
あすかちゃんや利比古くんの短冊もあり、流(ながる)さんや梢さんの短冊もある。
この4人は現在お邸(やしき)住みなワケだが、愛の説明によると、今夜は4人ともどこかに出かけているそうだ。梢さんがいちばん早く帰ってくるらしい。
そこら辺のソファに腰を下ろしてわたしは、
「運が良ければ、梢さんに会えるかな」
「さやか、梢さんともっとお近づきになりたいんだ」
「なりたくないと言ったらウソになる」
「さやかよりスタイル良いもんね、さやかだってなかなかなスタイルだけど」
そこを突っついてくるかー。
「おい、変なイジり方はやめてあげろよ、愛」
見かねたアツマさんがたしなめる。わたしからは離れたトコロにあるソファに着席中のアツマさん。
「変じゃないし。というか、わたしはそもそもイジってなんかないし」
このコトバを発端に、口喧嘩の口火が切られた。
コドモみたいにギャーギャーとアツマさんを罵倒する愛。呆れながらも応戦するアツマさん。
そんなご様子をBGMにして、七夕笹にもう一度向き合い、アツマさんの短冊と愛の短冊を改めて見てみる。
アツマさんの短冊には、
『愛の支えになってやれますように』
という願いが書かれていた。
ステキで素晴らしい願いである。
「愛。あんたってホントのホントに幸せモノだよね。アツマさんが、『支えになってやれますように』って短冊に書いてくれて」
敢えて振り向き、敢えて愛の顔に視線を注いで言った。
うろたえ気味になって、ほっぺたを軽く染めて、視線を泳がせる愛は、
「わたしの短冊も……見てよ」
「もう見たよ。あんたのルックス同様にキレイな文字で、『オムレツがもっと上手に焼けるようになれますように』って書かれてた。あんたは、これ以上料理が得意になってどーすんの、って感じだけど」
「わたしの向上心は無限なのよ」
「にしても、ずいぶんとささやかな願いだね。もっともっと壮大な願いを愛は書くと思ってた」
アツマさんもわたしに同調し、
「だよなぁ、さやかさん。『横浜DeNAベイスターズが日本シリーズ10連覇しますように』ぐらいのコトは書くかと予想してたのに」
と言うけど、言った途端に、丸めた新聞紙で愛に殴打されてしまった。
× × ×
七夕笹の間近でお料理を食べるコトにした。
美味しそうなお皿。飲み物。グラス。それらを、愛とアツマさんのカップルが運んできてくれた。
小ぶりの丸いテーブルに高級そうな赤ワインが置かれている。
「この赤ワイン飲むつもりなんでしょ、愛」
「そうよ。飲むわよ」
「だったら、わたしが注(つ)いであげるよ。あんたはお料理とか運んできてくれたし」
それから、
「アツマさんも赤ワインですか?」
と訊く。
「そうするよ」
すぐに答えが返ってくる。
本来はウィスキー用と思われるグラスがわたしの眼に留まった。そのグラスはちょうど3つ。
『こんなグラスでワイン飲むのも楽しいよね』と思ったから、ボトルを手に取り、眼に留まった3つのグラスに赤ワインを注(そそ)いでいく。
アツマさんにグラスを渡してあげる。もちろん、愛にもグラスを渡してあげる。
3人で乾杯。
乾杯をした途端に、愛が、ワインの入ったグラス片手に、
「短冊にお願いを早く書いちゃいなさいよ、さやか」
と促してくる。
愛は、グラスをテーブルに置いたかと思うと、いつの間にやら存在していたマジックペンを手に取り、未記入の短冊と共にわたしに差し出してくる。
諸々の意味でわたしは悩んでしまう。
マジックペンのフタをなかなか取れないでいるわたしに、
「迷ってるのなら、書くコトバをわたしが考えてあげよーか」
と愛が言ってきた。
愛がそう言ったのが引き金になり、ドクン、という音が、わたしの胸の中で鳴る。
「こういうのは、どう?
『もう一度、荒木先生とめぐり逢えますように』
ってゆーのは☆」
ドクドクドクドクと心臓の音が鳴り響き始める。
体温が1℃も2℃も上昇するような錯覚を覚える。
脳裏に、女子校時代の荒木先生との『思い出』が、鮮明な映像として、次から次へと猛スピードで蘇ってくる。
フラッシュバックが止まらないぐらい、止められないぐらい、何とも言えない恥ずかしさ混じりの動揺がわたしを襲撃する。
「おいコラッ、デリカシーが無さ過ぎだぞっ、愛っ!」
「あなたに『デリカシー無い』とか言われる筋合い無いわよ〜、アツマく〜ん」
カップルのこういったやり取りも……耳をかすめるだけ。