羽田さんに午前中から葉山家に来てもらって、勉強を教えてもらっている。
11時になる少し前。今やっているのは世界史のお勉強。
「やっぱり教え方がとっても上手ね、羽田さん」
隣の椅子に座っている羽田さんに嘘偽り無いキモチを伝える。
「もしかしたら、わたしが女子校時代に習った先生を『超えている』んじゃないかしら」
「『超えている』?」
「あなたの方が教え方が上手いんじゃないかってコトよ」
「えーっ」
軽く戸惑った顔で羽田さんは、
「社会科の皆口先生のコトですよね? センパイの言う『習った先生』って」
「そうよ」
「わたしも皆口先生に習いましたけど、良い先生だったじゃないですか、彼女は」
「もちろん、皆口先生はリスペクトしているわよ? だけど、羽田さん、フレッシュな若さにあなたは溢れていて……」
「なんですか、その表現」
『やれやれ、センパイってば』と思っていそうな羽田さんは、
「そもそもわたし、教師じゃなくて大学生に過ぎないんですよ?」
ふふっ。
「あなたが大学生であるのは関係が無いと思う」
「ありますよぉ」
「もしかして、自分自身の『教えるチカラ』を過小評価してるんじゃないの? あなたにしては珍しいわね」
「ん……」
ふふふっ。
弱った眼の羽田さんがカワイイ。
もう少し、イタズラをしてみたくなって、
「ねぇ。羽田さんは、ビスマルクをどう評価しているの?」
「は、はいっ!? ビスマルクって、ドイツの、ビスマルク!?」
「そうに決まってるじゃないの。ほら、19世紀後半のヨーロッパの政治史をこの前やったでしょ? ビスマルクも出てきたでしょ」
「出てきましたけど、いきなり評価しなさいと言われても」
「それでもあなたならできると思うの」
わたしから少し目線を逸らし、某出版社の水色の教科書を見つめる。
彼女はやがて真剣な顔になり、わたしの方に視線を戻し始める。
× × ×
「ポテンシャルが違うのね。ビスマルクの政策のコトだとか、こんなに語られるんだもの」
「ホメてくれてありがとうございます、と言っておきます、とりあえず」
「とりあえず?」
「とりあえず。」
今度は、羽田さんは、ベッドの枕元に積まれている本の方に眼を向けた。
やっぱり10代じゃなくて20代なのね。
というのは、彼女も『美少女』はもう卒業……というコト。『美少女』の『少』が取れる。オトナのお姉さん。2つ年上のわたしと同等。
いいえ。同等じゃないんだわ、たぶん。2つ年下の彼女の方が、オトナ。わたしと違って大学に通っているんだもの。
わたしは、女子校を卒業して5年以上経って、初めて大学受験勉強をしている。
志望校の入試にパスできたら、彼女に追いつけるかしら。
さて、枕元に積まれた日本文学全集に羽田さんは眼を凝らしている。
やがて、口を開いてこう言った。
「芹沢『みちよし』の作品も、文学全集に収録されてるんですね」
あれれ〜〜?
らしくないなー、羽田さーん。
「『みちよし』って読んでたの? 羽田さん、それ、間違い。下の名前は『こうじろう』って読むの。芹沢光治良(せりざわ こうじろう)よ」
「ええぇっ」
後輩ちゃんはとってもビックリして、
「恥かいちゃった。恥、かいちゃった、わたし。情けなさ過ぎ、情けなさ過ぎ」
混乱の色が見えるわね。
それも良し。
× × ×
いったんお昼ごはんにして、わたしの部屋に再び戻り、勉強机の前に2人隣り合う。
センター試験の国語の過去問を解き、答え合わせをしてみる。
小説の設問以外は全部正解だったんだけど、小説の設問で1つ間違えちゃった。
そんなコトもある。これまで、3桁どころでは無い数の文学作品を読んできたわたしであっても、小説の問題で誤答するコトだって、そりゃーあるわよ。
うん、あるのよね。
割り切り、切り換え。
右隣の羽田さんは、過去問の解答の解説に視線を集中させていた。
「ふう」
ため息のような声を漏らし、椅子の背もたれに背中をくっつけ、天井を仰いだかと思うと、眼をつぶる。
わたしは、彼女に優しくしてあげたいキモチになって、
「疲れてきたんじゃない?」
と言ってあげる。
「消耗は、あるんですけど、もう少し、頑張れます」
「その言い方は疲れを隠せてないわねえ」
「……」という彼女の微妙な沈黙。
きっと図星だったのね。
「ごめんなさい。すみません」
謝りコトバを2つ重ねた。
「謝罪する必要も恐縮する必要も無いのよ。そもそも、そうする理由も無いんだし」
柔らかく温かい声で話すことにわたしは努めて、
「わたし、あなたのために、枕元の積ん読を片してあげるわ」
片してあげる、とは、つまりは、
「ごろ〜んって寝転んじゃいなさいよ」
「エエッ。でも、センパイのベッドなのに……」
「どうしてためらうかなー。わたしのベッド貸すのを嫌がっちゃ嫌よ」
縮こまり、下向き目線になる彼女。
身長160.5センチ。わたしとまったく背丈が同じな彼女が、150センチ前後まで小さくなっちゃったように見える。
ところで、実をいうと、わたしの方も、長時間に渡る勉強への取り組みにより、くたびれを自覚し始めていて、だから、
「わたしもお昼寝がしてみたいかなー☆」
羽田さんがビクッ! となり、
「な、なんですか、お昼寝?? わたしがセンパイのベッド使っちゃったら、お昼寝、カーペットでしかできなくなって……」
「あれれれ〜〜? あなたはもうちょっとお利口さんだと思ってたんだけどな〜〜??」
大げさに言ってみた。
反発があるかな? とも思ったけど、困惑の方が勝(まさ)っていたみたいで、
「たしかに、ベッドには2人で余裕で入られますけど……だけど」
「恥ずかしがっちゃだめよ」
「ど、どーしてですか」
わたしは立ち上がる。
ベッドの枕元の積ん読を持ち上げる。
適当な場所に置く。
椅子に座り続けの羽田さんの前に立つ。
頭頂部に置くか肩に置くか迷ったけど、彼女の左肩にわたしの右手を置くコトにする。
左肩に触れられた彼女が下向き目線を脱却し、わたしの顔を見上げる。
もちろん、半ば唖然とした、紅い顔で。
× × ×
わたしの右側に羽田さんは横になっている。
わたしが先にベッドに入ったからだ。
当然それには理由があった。
利き腕の方が彼女をナデナデしやすいからだ。
言うまでも無く、ナデナデする部分は、彼女の鮮やかな栗色の髪。
「どんどん伸びてきてるわね。前からあなたは髪を伸ばし続けだけど、ここまで伸びていったら、地面に髪がくっつかないか心配」
そう言いながら、ロングヘアどころではない栗色の髪を丁寧に丁寧に弄(もてあそ)んでいく。
「スケベですよ、センパイ。ほんとに世話が焼けるんだから」
「スケベだから世話が焼けるの? スゴいロジックねえ」
「わたしはちゃんと論理的です!」
「ケナゲだ」
「わたし、センパイが触るのの2倍、センパイに触りたい」
「どこに? どの部分に?」
「……」
「やっぱりケナゲだ♫」