例のごとく宿題提出が遅れた加賀くんを叱るために、スポーツ新聞部の活動教室に赴いた。
お説教をして活動教室を出たあとで、図書館へと足を運ぶ。
加賀くんの問題児ぶりにホトホト呆れつつ、日本文学の棚から本を抜き取って、奥まったところの座席につく。
――目線を、上げれば。
正面の席に、英語の二宮先生が、座っているではありませんか。
……珍しいこともあるものだ。
二宮先生には失礼だけど、図書館に通い詰めるようなイメージからは遠く離れていたから。
大きなハードカバーの本が積まれている。
気になって、少しだけ身を乗り出したら――、
眼が合った。
× × ×
缶コーヒーを啜(すす)る二宮先生。
――ふたりしてラグビー部の練習風景を眺めている。
わたしと二宮先生の距離は、3メートルか4メートル。
「…加賀は、手が焼けますよね」
いきなり二宮先生が言うから、ちょっとドッキリ。
さらに、
「椛島先生、きょうも加賀にお説教したんでは」
と言ってきたから……かなりドッキリ。
「よ、よくわかりましたね、二宮先生」
「ビンゴですか」
「ビンゴです」
「ま、スポーツ新聞部の部長ですからね、加賀は」
「…はい。わたしがなんとかしないと、って、常々(つねづね)」
「大変ですねえ……。
お互い。」
え。
お互い……って。
「二宮先生にも……なにか懸案事項が」
「あるんですよ、それが」
ラグビー部の練習風景をまっすぐ見据えて言う、二宮先生。
詳しく訊かないほうがいいのかしら。
……迷っていると、
「うまくいかないことが、多くて。うまくいかないことが、うまくいくためには、どうしたらいいんだろうか、って。ノイローゼ気味…って言うと、ヘンですけど」
二宮先生……。
「……ノイローゼ、なんて。大変どころでは……ないような気が」
思わず言うと、
「部活の奴らも、なかなか言うことを聞いてくれないし、ほかにも、諸々のことが混ざり合って――参ってるんです」
と二宮先生は打ち明け、それから、嘆息。
どう反応すればいいか分からず、困惑する。
「――椛島先生。」
「は、ハイッ」
「おれ、さっき図書館で、マーガレット・ミッチェルの『風と共に去りぬ』を読んでたんですが――」
そういえば、そうだった。
二宮先生がページをめくっていたのは、『風と共に去りぬ』だった。
「――『風と共に去りぬ』みたいな大長編小説の中には、生きるヒントみたいなものが、あるんじゃあないかと思いまして。…それで」
「…正直、意外でした。二宮先生と『風と共に去りぬ』の取り合わせは」
「おれは英文科出身なんですよ」
――あ。いけない。
「す、すみませんっ、意外だったなんて言ってしまって」
「恐縮しないでくださいよ」
「でも……」
「ま、英文科っつっても、作品名しか知らないまま卒業しちまった、ダメ学生だったんですけどね」
「……」
「――なかなか読みこなせないんですわ。いつまで経っても、小説は先に進まなくって」
苦笑いで言う二宮先生。
「無謀なんですかね、おれ程度の教養で、『風と共に去りぬ』に挑むなんてのは」
……無謀とか、教養とか。
そんなことよりも。
わたしは……『風と共に去りぬ』について、ふと、あることを想い起こして、
「――綿矢りさ、っていう小説家、ご存知でしょう?」
「――はい。知ってますよ? もっとも、読んではいませんが」
「綿矢りさが……昔、どこかの媒体で語っていたんです、『風と共に去りぬ』について」
「なんと」
「……高校時代に、『風と共に去りぬ』をよく読んでいたとか。記憶が曖昧なんですけども」
「さすがに早熟なんですね、綿矢りさ」
「はい……」
「え!?」
「そんなことを、よく記憶されている」
「き、記憶といっても、わたしの記憶は曖昧で」
「謙遜なさらなくても」
二宮先生が缶コーヒーを置き、コツン、という音がする。
意味深(いみしん)さを……含んだような声で、
「椛島先生は、ご存知ですか?」
「――えっ、なにを……ですか」
「綿矢りさって、結婚してましたっけか」
ええっ……。
「ど……どうでしたっけ。すみません。存じ上げません」
「ハハハ」
軽く笑って、
「こっちこそ、ヘンな質問して、申し訳ない」
と、二宮先生は。
そういえば……。
二宮先生って、独身だったな。
わたしも、だけど。