借りていた『ホリミヤ』の単行本を、秋葉さんに返した。
「読み終わったんだね」
「はい」
「いっぱい、キャラクター出てくるんだけどさ」
「はい」
「羽田さんは、だれが好きだった?」
「……吉川由紀ちゃんです」
「だろうと思った」
「!?」
他人(ひと)のこころが読めたりするんだろうか……。
「羽田さんは堀さん似だよね」
そう言いながら、『ホリミヤ』の単行本を受け取る、秋葉さん。
サークル部屋にいるのである。
新田くんが、例によって、スケッチブックになにか描(か)いている。
そして例によって、新田くんの近くの席の秋葉さんが、スケッチブックをのぞきこみ、
「――きみもミーハーだなぁ」
「ですね…」
と苦笑いの新田くん。
「ウマ娘」
「ウマ娘です」
「まあ、アニメ2期の主役ということで」
「――気合い入れて描いたのは、トウカイテイオーのほうだろう」
「そ、そう思われますか!? 秋葉さんは」
「隠したって無駄だよ」
「……」
「テイオー推し、なんだねえ」
「……テイオーだけじゃないです、推しは」
「おっ?」
ウマ娘、かあ。
葉山先輩も、ウマ娘のゲーム、やってるのかなあ。
なんだか、やってそう。
葉山先輩の性格だと、課金はしなさそうだけど――。
あ、
葉山先輩といえば、
オークスは、きょうの3時40分から、だったかしら?
センパイの馬券勝負の行方――少し気になる。
アールドヴィーヴルという馬が、彼女の本命。
今朝、お邸(やしき)で定期購読してるスポーツ新聞で調べてみたら、
アールドヴィーヴルは割りと人気薄だった。
穴馬券だ。
――3時のフジテレビに間に合うように、帰ろうかなあ…。
というようなことを考えてしまっていて、
となりの大井町さんの様子にまで、気が回らなかったのだが、
さっきまで、静かに読書していた大井町さんは、
新田くんと秋葉さんのウマ娘談義が盛り上がりに盛り上がっているのを見かねたのか、
そっと読書の手を止め、
仏頂面で……ふたりの盛り上がりっぷりを、眺め始めた。
新田くんと秋葉さんは、気づいていない。
とくに……新田くんのほうに、厳しい眼差しを向けているような。
ダメよ大井町さん。
新田くんに軽蔑は、ダメ。
敵意持つのは、なおさらダメっ。
わたしは大井町さんに、ゆっくり優しく微笑みかけた。
落ち着こうね~、って。
意図を察知してくれたのか、ふっ、と小さなため息をついて、
ふたたび、文庫本に向き合い始めてくれる。
あんがい、物分かり、いいのかも。
大井町さん…そういうところ、素敵よ。
「ウマ娘に熱を上げるのもいいんだけどさ」
ノートPCに向き直りつつ、秋葉さんは新田くんに、
「自分のオリジナル漫画の構想も――ふくらませてみたら?」
新田くんは恐縮そうに、
「そうするべきなんですけどねぇ」
「群像劇がどうとか、青春ラブコメがどうとか言ってたじゃないか」
彼女は軽快にノートPCをタイプしつつ、
「早くきみのネームが、見たいな」
「…過度な期待は」
「しやがらないでください、と?」
「…はい」
「しょうがないねえ」
彼女はタイピングの手を止めることなく、
「グズグズしてると、ほかの漫画家志望に置いてかれちゃうぞ~」
「…ですよね」
ガックリとなる新田くん。
彼女も、割りに辛口だ。
うつむき加減の新田くんを、微笑ましそうに流し目で見てから、
リズミカルにタイピングを続けていく、秋葉さん。
すごい速さ。
さすがに、高校時代から、WEBライターやっているだけある。
1時間に、何千字書けるのかな。
それこそ、ウマ娘関連の記事を執筆してるのかもしれない……そう思いながら、わたしはひそかに秋葉さんの仕事ぶりを観察していた。
わたしの観察の視線に気づくことなく、彼女はPC画面に集中している。
…スマホのバイブレーションが聞こえた。
震えているのは…ノートPCのかたわらに置かれた、秋葉さんのスマホ。
秋葉さんのタイピングの手がピタリと止まった。
なにゆえか、慎重な手つきになって、
ゆっくり、そーっと、スマホを自分のほうに引き寄せる。
彼女がスマホの画面を、見た瞬間。
――わたしは見逃さなかった。
秋葉さんが――出会ってから一度たりとも見せなかったような表情になったことを。
それは、どんな表情かというと――、
彼女に似つかわしくない幼さ、というか、なんというか、
たとえてみるならば、
恋をしてる17歳の女の子が、想いを秘めた男の子に対して、焦(こ)がれているときのような――表情。
焦がれる想いを、持て余しているような。
思春期特有の、揺れ動く感情を抑えきれずにいる状態、みたいな――。
ひとことで言うなら、
少女になっていた。
……秋葉さん、
とっくに思春期なんか、卒業してたと思ったのに……。
ふだんの余裕さが、
表情や挙動から、感じられない。
バァッ!! と、椅子を吹き飛ばすようにして、立ち上がる。
いったん、棒立ち状態になり、
やがて、『なにを見たのか』さとられたくないと、
慌ててスマホをズボンのポケットにしまいこむ。
10秒間ぐらい、眼を泳がせて、
それから、いてもたってもいられないかのように、
慌てふためきながら、なにも持たずに、小走りになって、
サークル部屋から『脱走』する……。
小走りに部屋の出口に向かう秋葉さんの、ほっぺたに、
赤みが…滲(にじ)んでいるような、そんな気がした。
呆然としてる。
新田くんも。
大井町さんも。
わたしだって、『事件が起こった』って、思っちゃうよ。
――タイミングよく、
さっきまで、新田くんの後方のソファで安眠状態だった日暮さんが、眼を覚ました。
ぬい~ん、と身を起こす日暮さん。
「あ、風子、消えてる~」
秋葉さんのいなくなった席に向かって、
若干、ニヤつきまじりの顔で、
「…PCもなんもかんも、ほっぽりだしてんじゃん」
と日暮さんは言う。
「あの……日暮さん。秋葉さんは、いったいどうしてしまったんでしょうか?」
わたしは問うた。
…すると、
「アレだよ、アレ」
「『アレ』って、いったい…?」
「だから、『アレ』に決まってんでしょ」
不敵な笑い満面で……彼女はわたしのほうを見て、
「羽田さん、そんなにカンが鈍かった?」
初々しく恋する女子高生のように見えた、秋葉さん――、
恋する、女子高生のように――、
あ、
あっ、
「ああっ」
大きな声が飛び出てしまった……!
「日暮さん……もしや、まさか」
「もしや、まさかだよ。羽田さん」
――そうだよね。
男っぽいことばづかいで、裏に秘めた感情があるという素振りもなく、サークルのみんなと渡り合っているけれど、
秋葉さんだって――女の子なんだよね。
裏に秘めた感情、
しまっておいた『想い』が、
ないほうが……不自然というもの。
女の子が、みんながみんな、そういう二面性を持ってるとは、限らないけれど。
典型的な……『乙女ごころ』を内に秘めたタイプだったんだ、
秋葉さんは。
わたしも女の子だけど――、
秋葉さんに、
『ギャップ萌え』、
しちゃいそう。