テーブルの支柱(しちゅう)に足をぶつけて、目が覚めた。
いったぁ……。
なんでわたしって、こんな寝相悪いんだろ。
ほんと、バカ。
……。
起きるのが早すぎたかもしれない。
まだ外は暗いと思う。
早起きの愛も、いまだスヤスヤとベッドで眠っている。
読書灯を借りパクして、ついでに積ん読の山からこぼれ落ちてきた文庫本も借りパクして、しばし読書に耽(ふけ)る。
やがてカーテンの隙間(すきま)から明かりが漏れ、朝になるのに呼応(こおう)するように、愛がむくっ、と起き上がる。
「――祝日だから、目覚めが遅くなっちゃった」
「いつもはもっと早起きなの?」
「あ、さやか」
「おはよう」
「おはよう」
「ごめん、勝手に読書灯使っちゃってる。文庫本も、そこらへんに散らかってたから、もったいないと思って」
「もったいない、って」と愛は笑う。
「勤労感謝の日だよ、愛」
「そうだねー。
働いてる両親に、感謝しないとね」
「わたしは、父さんと兄さんに」
× × ×
受験勉強の合間に、訊いてみた。
「――読書灯、前はなかったよね」
「利比古から誕生日プレゼントでもらったのよ」
「ほー。うらやましい」
「でしょお? 弟、ほしかったんじゃないのぉ、さやか?」
「あのねー、そんな顔されたらほんとにほしくなっちゃうじゃないの」
「あげないよ、利比古は」
「……わたしには兄さんいるし」
「荒木先生もいる」
……ほんとにもうっ、愛は。
「荒木先生はきょうだいじゃないっ」
「でも、将来的には、さやかの――」
「『家族になる』、とか言ったらブン殴るよ」
「ええっ、さやかこわい」
「――じょうだんだけどさっ」
わたしは思わずため息ついて、
「荒木先生、吹奏楽部で、ますます阿久井(あくい)先生の陰に隠れてるみたいで」
「それどこ情報よ」
シャープペンをクルクル回して愛が食いつく。
「どこからともなく……。なにもさせてもらえないんだよ、阿久井先生が威張ってるから」
「阿久井先生がどんどん悪役になっていくなぁ」
「まぁ、わたしが荒木先生の肩、持ちすぎてるのかも」
「しょーがないよ、さやかだもん」
愛は、シャープペンでわたしを指差すようにして、
「荒木先生をさ、元気づけたい、とか思わない?」
「思ってる。」
「――『6年劇』の準備のとき、さやか、荒木先生にバイオリンの演奏、聴かせられなかったじゃない」
せっかくBGMを荒木先生が作曲してくれたのに、出張で先生不在の収録になってしまった。
そのことを、愛は言っているのだ。
「ぜったい心残りだよね、そうなんでしょ」
そうだよ、
心残りだよ。
でも――そんな眼で見つめてくるなっ。
「荒木先生に弾いてあげようよ! バイオリン」
「……わたしの問題で、愛の問題じゃないからっ」
「だけど、『その気』って表情じゃん、いまのさやか」
なにも言えない……。
「……バイオリン弾いてるヒマあったら、勉強する」
なにも言えないから……はぐらかす。
わざとらしい演技で、数学の参考書とにらめっこする。
いっぽう、愛は立ち上がって、CD棚に歩いていく。
愛の部屋のCD棚、わたしの部屋のCD棚より、たくさんCDが入っていて、ジェラシーを感じてしまう、
……じゃなくって。
そんなこと考えてる場合じゃない。
そんなことより勉強だし。
でもCD棚を物色してる愛のことを考えると、参考書の文字が、まるで得体のしれない言語みたいに見えてくる。
「集中できないじゃん、愛」
「どうして?」
「あんたは別のことに集中してるみたいだけどさぁ……。
『荒木先生に弾いてあげる曲はどんな曲がいいか』とか、余計なおせっかいだから」
「どうしてわたしの考えてることわかったの!?」
「だれだってわかるよ」
参考書を伏せて、ジリジリと苛立つ。
「さやか、
クラシックがいいと思う? それともUKロック?」
「だからっ!! 余計なおせっかいって言ってるでしょっ」
軽く怒鳴りつける。
あくまで、軽く、軽く。
素直に愛はテーブルに戻って、
「ごめんね」
「はい、よろしい」
わかればいいんだよ、わかれば。
「自分でなんとかするから。わたしそんなにヤワじゃないから」
「ヤワじゃないって??」
「――、
いちばん肝心なことぐらい、自分で考えて、自分でケリをつけられるから、さ」
しかし、眼の前の美少女は、なぜか心配そうな声になって、
「……お母さん心配だよ。さやかがちっとも具体的なこと言わないから」
「勝手にお母さんになるなっ!!!」
× × ×
「アツマさん、ほんとうにありがとうございました」
「愛がうるさかったみたいですまんかったな」
「はい、騒がしかったです」
笑ってアツマさんにレスポンス。
「……どうせわたしは根っからおてんばよっ」
アツマさんの横でスネる愛。
そんな愛に、
「明日からまた学校だけど、あんま調子に乗っちゃダメだよ」
「乗らないから、調子」
「信用ならないなぁ……。
あ、それと、」
「なーに??」
「…朝ごはんも昼ごはんも、美味しかった。作ってくれて、ありがとう」
「美味しかった? うれしい!」
「さすが愛、だった」
「簡単なものしか作らなかったんだけどね」
「でも、わたしには、あんなに美味しく作れないから」
× × ×
良妻賢母――なんて、古いか。
お邸(やしき)の入り口まで、愛が見送ってくれる。
「――しかし、ほんとうにあんたらの邸(いえ)は広いねえ」
建物の玄関から敷地の入り口まで、かなりの距離がある。
玄関と入り口の中間地点あたりで、立ち止まる。
それとなく、外の通りに人気(ひとけ)がないのを、確認する。
「このへんでいいかな、さやか」
「うん、またあした、
――と、いいたいところだけど」
「……?」
「な、
な、
なに、いきなりわたしハグしてんの、さやか」
答えてはあげない。
ボーンと、愛の背中を叩いてあげる。
ひとしきり赤くなった愛に、
「激励。ただの、激励」
ほんとうに、激励だった。
それ以外の、意味はない。
「じゃあね。またあした」
湿っぽくなりすぎないうちに、背を向けて、お邸(やしき)の外の通りに出る。
愛の身体(からだ)、たぶんわたしの身体より、やわらかい……と思ってしまう自分が、ちょっとだけ、イヤになる。
愛。
がんばろうね。
また、あしたからも。