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【愛の◯◯】ふたたび、邸宅の門の前で

 

姿見の前に立って髪をヘアブラシで整えていたら、ノックの音がやって来た。

弟のヒバリのノック音であると即座に断定できる。もう少し優しくドアを叩いた方がいいと思うんだけど?

勉強机の上にヘアブラシを置いてから、ドアまで歩み寄っていく。

ドアを開けたら、いつもと変わらない顔つきの弟が立っていた。いつもと変わらない顔つき。すなわち、攻撃的な色の浮かび出ている顔つき。初対面の人に、『なんだか睨んでるような眼つきだなあ……』と疑念や不審を抱かせてしまう危険性がある。

姉のわたしに微笑み顔など滅多に見せるコトのない弟が、眉間を険しくして、

「CD返す」

と、用件を手短に伝えてくる。

「モノを返す時は、もう少し丁寧なコトバづかいをした方がいいわよ?」

弟のためを思ってわたしは軽く叱る。

CDを持った右手を黙って差し出してくる弟。幾つになっても可愛くないわね。

受け取ったCDを棚に収めてドア付近まで戻ってくる。可愛げのない弟が依然として立っている。

「どうしたの、まだ何かあるの」

問うてみたら、

「……どっか行くんか? そんな格好(カッコ)してるってコトは」

と鋭い指摘が飛んできた。

短く深呼吸して息とココロを整えてから、直感がやけに鋭い弟の顔に視線を当てて、

「そうよ。出かけるの」

「どこに?」

「あなたが知る必要なんか無いわ」

「逃げるなよ」

うるさいわね。

「わたし、ブラシで髪を整えてる途中だったんですけど」

「だからなんなんだよ」

……あなた、明日から高校2年生でしょーがっ。『デリカシー』ってコトバ、いつになったら覚えるのよ!?

「わたしのお出かけを突っついてこないで。どうせ、春休みの宿題、山ほど残ってるんでしょ? 部屋に戻って取り掛かったらどーなの」

そう厳しく告げるのだが、聞く耳を持たない弟の口から、

「姉ちゃんに1つアドバイスだが——ファッション雑誌を丸々パクったような格好(カッコ)は、ほどほどにした方がいいと思うぜ」

 

× × ×

 

わたしが弟の頭部をファッション雑誌で殴打したかどうかは永遠に伏せておく。

 

× × ×

 

……さて、時は過ぎ、所も変わって、うららかな昼下がりの、多摩地域某所の住宅街。

わたしの前には、大いなる邸宅がドドーン、と立ちはだかっている。

豪邸と言っていいレベルだ。軽井沢あたりにあるクラシックなホテルのごとき……みたいな比喩がどれだけ的を射ているかはわからないけど、わたくし猪熊亜弥(いのくま あや)の眼にはそんな風に映る。

本当にホテルとして活用できるぐらいに部屋の数が多いみたい。温泉旅館の大浴場の半分ぐらいの規模を誇るお風呂場があるみたい。

『みたい』を語尾に付けるのは、建物内に入ったコトがまだ無いから。

 

スケールの大きな門がわたしと邸宅を隔てている。

この門の前に立つと、『あの時』の記憶が鮮やかに蘇ってくる。

もうずいぶん昔のコト。

郵便物を回収するために門の近くにやって来た『彼』と、門を挟んで向かい合った。

『彼』を激しく動揺させたわたしは、敷地内に足を踏み入れるコト無く帰った。

そして今回も実は、敷地内に足を踏み入れようなんて思ってもいない。

インターホンのボタンを押して、ここまで来てくれるよう『彼』にお願いする。『彼』がやって来てくれたら、敷地の外から、伝えたいコトだけを、手早く、余す所無く、伝える。

……そういう心積もりで、わたしは今ここに立っている。

 

長く強く深呼吸をしてから、門に向かってさらに歩み寄る。

右手を握ったり開いたりして、心身を整える。

それから、右手人差し指をインターホンにスゥッ……と伸ばしていく。

ボタンを押してから10秒と経たずに、

『はい』

という男性の声が聞こえてきた。

『彼』ではなかった。違う男性(ヒト)。

確か、この邸(いえ)に長く住み込んでいるヒト。流(ながる)さん、だったっけ?

軽く息を吸って吐き、

「猪熊亜弥と申します。羽田利比古(はねだ としひこ)くんの高校時代の同級生です」

と素性を明かす。

『利比古くんの、同級生』

「そうです」

『彼に何か用事があって、来たんだね』

「そうです。……あのっ、」

『在宅だよ、彼。ちょっと待っててもらえる? 呼んでくるから』

わたしが尋ねるよりも前に、『在宅』という情報が伝えられてきた。

 

心身をさらに整えられる時間はどれだけあるんだろう。

案外、彼の声はすぐに聞こえてくるのかもしれない。そうなったら、上手くしゃべられる自信が弱くなってしまう。自信の度合いが50%はダウンする。

右手をギュウッ、と握り締めてしまうわたしがいる。ココロにもカラダにもチカラが入り過ぎる……そんな流れをせき止められなくなってくる。

『こんな服装で、本当に良かったんだろうか……?』

なぜかは知らないけど、こんな思いが湧いてくる。まだ、インターホンを通して話す段階なのに。お互いの姿が見えない状態で話すのに。

『ファッション雑誌を丸々パクったような格好(カッコ)は、ほどほどにした方がいいと思うぜ』

憎らしい弟の憎むべき発言がぶり返してくる。

どっか行っててよ、ヒバリ。わたしの意識の中に入り込んでこないで。今、大事な局面なんだから。わたしにとって特別な存在の男の子と話そうとしてるんだから。

羽田利比古くんとすごく久しぶりに話すの。ヒバリのコトバがノイズになるの。おねがいだから、この場だけは、わたしの意識の外部に出ていって。

大人しくしてて。ノイズを作らないで。

羽田くんとのやり取りが終わるまで静かにしてくれてたら……あなたの春休みが終わる前に、美味しいモノを食べさせてあげるから。そう、あなたが好きなモノを、好きなだけ……!!

 

 

【愛の◯◯】桜並木からネットカフェへ

 

黄緑色のロングスカートに、エメラルドグリーンのカットソー。

『色合いがなんだかアンバランスだなあ……』

姉のコーディネートについてそう感じつつ、家を一緒に出たのだった。

ロングスカートがエメラルドグリーンで、カットソーが黄緑色だったならば、あまり疑問符は付けなかったであろうに。ぼく個人の意見に過ぎないが、本日の姉の衣服の取り合わせは、ボトムスに対してトップスの色が主張し過ぎていると思う。上下ともに緑系統なのだから、なおさら。

 

華々しいルックス・輝かしい栗色ロングヘア・均整の取れた体型……にもかかわらずファッションセンスが幾つになっても向上しない姉の背中を見ながら、桜並木の道を歩いている。

某・都市公園に来ているのだ。3月も終わりを告げようとしている。満開と言っていい桜並木が遊歩道の両サイドに立ち並んでいる。

そうだ。誰が何と言おうと、満開と言っていい桜並木が遊歩道の両サイドに立ち並んでいる。

『誰が何と言おうと』と記したのは、本ブログの制作体制ゆえに……なんであるが、

「利比古(としひこ)、ちゃんとついてこれてる?」

と振り向いてきた姉に言われてしまったので、ブログ制作体制云々を地の文でこねくり回している場合では無くなってくるのである。

姉との距離が若干長くなってしまっていたので、立ち止まる姉に向けて距離を詰めるコトにする。

「清々(すがすが)しい空気ね。そして、桜が満開。ここまで出かけて正解だったわ」

最高に麗しき微笑をたたえながら姉が言う。服装の色合いがアンバランスじゃなかったら、もっともっと完全無欠の23歳女子だったのに……。

「これで、あんたの気分も、完璧に晴れやかになるはず」

ぼくがココロの調子を崩してしまったコトに姉は言及しているのである。

塞ぎ込みまくっていたぼくを姉は付きっ切りで慰めて癒やしてくれた。真夜中に眼が覚めて涙を流してしまうほどダメになっていたぼくに愛情を降り注いでくれた。

愛情を絶え間なく降り注がれてしまったから、恥ずかしさのようなモノが胸の奥まった部分に未だ残っている。

でも、今歩いている公園の空気は本当に清々しいし、姉が言うように、恥ずかしさのようなモノも次第に消えていってココロの曇りも着実に晴れていくコトだろう。

「そうだね」

短く応えてから、姉により一層歩み寄る。

それから、

「ねえ、お姉ちゃん。このあと、どうするの? いつまでも桜並木の中を歩き続けるワケじゃないんでしょ? ――昨日、言ってたよね、『とっておきのデートスポット』があるって」

と訊く。

訊いた途端に、姉の微笑がイタズラでイジワルな笑みにシフトしていった……ような感覚を覚えてしまう。

なにその邪(よこしま)なスマイル。

不穏だよお姉ちゃん。

突拍子もなくてぼくを困惑させてくるような発言が口から出てくるとしか思えないんですけど。

「わたしの、『とっておきのデートスポット』はねぇ……」

わざとらしくコトバを溜めてから、

「……ネットカフェ。」

と言い放つ姉。

ぼくの不安が的中してしまった……! 

『ネットカフェ』。突拍子もないワードが口から飛び出てきて、ぼくに頭痛を催させる。

ネットカフェって、なに。

どーして、ネットカフェなの。

ここまで伏せてきた『とっておきのデートスポット』が、ネットカフェだなんて。

ぼくを困惑させてくるのもほどほどにしてよ……。実の弟だからって、なんでも要求していいわけじゃ、ないと思うよ!?

「『2人用の個室にお姉ちゃんと入るなんてイヤだ』だなんて、絶対に言わせないわよ?」

だからぁっ。

端麗過ぎる容姿に相応しくない口ぶり、しないでよっ。

どーして、下品な言い回しになっちゃうの!? 

ホントにホントにもったいないと思うよ。アンバランスな色合いの服装に加えて、下(くだ)らなさ過ぎる発言……。

「うつむかないでよぉ~」

当然のごとく、弟の心情に姉は一切配慮しない。

「わたし、気になる漫画がいっぱいあるのよ。『漫研ときどきソフトボールの会』に5年間も入り浸ってたんだから、気になる漫画作品だらけになるのも、当然の成り行きよね」

そう言いながら、ぼくの左肩まで右手を伸ばしてきて、

「4月になったら、平日の昼間のネットカフェに3時間以上滞在するコトなんて不可能になっちゃうんだし」

と、3時間以上のネットカフェ滞在を一方的に決定してくる。

ぼくの左肩に姉の右手が置かれる。

姉は姉の右手の熱を容赦無くぼくの左肩に染み込ませてくる。

お姉ちゃんが3時間以上漫画を読み続けるあいだ、ぼくは何をしていればいいの……と問うていく元気も萎(しぼ)んでしまう。

せめて、個室備え付けのPCぐらい、自由に使わせてほしいトコロなんですがね……。

 

 

 

【愛の◯◯】おとうさんに一方的に甘えて弟に一方的に要求する日曜

 

日曜の早朝。リビングのソファ。

おとうさんの左肩に右肩をぽみゅ、とくっつけて、

「あのね、おとうさん。わたし、利比古(としひこ)を癒やすのにエネルギーを使っちゃったの」

と、甘える。

「おれに肩を預けたら、エネルギー回復するんか?」

おとうさんのそんな問いに、

「……うん。」

と、甘い声を絞り出して答える。

ホントは、そこまで消耗してないんだけどね。

このフロアにおとうさんとわたしだけ。貴重な時間。

甘え過ぎるぐらいが、ちょうどいい。

おとうさんの左手を右手でムギュー、と握り、

「もう23歳だけど、おとうさんの娘であるコトには変わりが無い。だから、甘えに甘えたって許してくれるでしょ?」

おとうさんはあまり間を置かず、

「当然だ」

嬉しくて、テンションがうなぎ登りになって、

「4月から、いちおう、高校で、世界史とか教えるコトになるんだけど――どんな生意気な生徒が、いると思う!?」

「ほほー、ムズい質問だなー」

おとうさんの応答の声に苦笑いが混じる。

幸せ。

 

× × ×

 

日曜の夕方。日本テレビの長寿お笑い番組も始まらない微妙な時間帯。

2階フロアの一室のドアを勢い良く開けたわたしの眼に利比古の姿が映り込む。

カーペットに腰を下ろしてタブレット端末に視線を落としている。おそらく動画を視聴している。おそらくYouTubeの動画を視聴している。

「どのYouTuberのチャンネルの動画を視(み)てるの?」

ベッドに腰を下ろして利比古と向かい合い始めるわたしは訊く。

「……どうしてぼくがYouTube視てるってわかったの?」

不審げな視線を姉に伸ばしてきながら弟が訊き返す。

「『どのYouTuberのチャンネルの動画を視てるの?』って訊いてるんだけど、わたし」

姉の容赦の無さにたじろぎ、弟はうつむく。

厳し過ぎたかー。

――大事な用件は、早く伝えたいから、

「まあいいわ」

と許してあげて、

「利比古。今晩も、この家に泊まるわよ」

寝耳に水だったのか、弟の端正なお顔が一気に上昇し、

「今夜、帰るんじゃなかったの……。ぼく、荷造り、ほとんど終わってるんだけど」

イジワルでイタズラな姉として、一切構ってあげずに、

「明日の日中は、わたしとあんたの2人で、お出かけよ♪」

と、ニッコリニコニコして告げる。

「おでかけ……?」

戸惑いながら、

「どこまで、出ていくつもりで……」

と控えめな声を出す弟。

「吉祥寺」

キッパリハッキリ答えるわたし。

目線を徐々に下げながら、

「吉祥寺で、なにするの」

とゴニョゴニョ訊く弟。

「買い物して、井の頭公園歩いて、それから……」

敢えて言い切らないわたし。

「それから……??」

さらに戸惑う弟。

今の利比古の戸惑いが、ホントにホントにカワイイから、

「――やっぱ、明日のお楽しみにしておくわ。『とっておきのデートスポット』なんだから」

 

 

【愛の◯◯】24時間365日反抗期の終わり

 

利比古(としひこ)の様子を見るために階段をのぼる。

利比古は、わたしが昨夜寝ていたベッドに腰掛け、タブレット端末の画面に眼を凝らしていた。

タブレットを見られるぐらい回復したのね。

お姉ちゃんのわたしが全力で慰めてあげた甲斐があったわ……!!

わたしの入室を受けて、利比古はタブレットから眼を離す。

気恥ずかしいのか、姉に向かってまっすぐ目線を伸ばしていけない。

「おとうさんとお母さんだけど」

出張で住み家(か)を空けている両親にわたしは言及し始める。

「午後の1時ぐらいに、家(ここ)に戻ってくるそうよ。お昼ご飯は自分たちで食べるんだって」

そう情報を伝達してから、

「わたしとあんたの分のお昼ご飯は、朝に引き続いて、わたしが作ってあげるから」

と言いながら、微笑みかける。

姉の手料理を2連続で味わえるのが確定した弟の目線がさらに逸れていく。

「利比古」

敢えて名前を呼んでから、

「おとうさんとお母さんが帰ってきたら、おとうさんとお母さんにも優しくしてもらいましょ? わたしから2人に働きかけてあげるから☆」

と畳み掛ける。

弟の顔が微熱を発しているのが手に取るようにわかる。

 

× × ×

 

午後3時を少し過ぎた。日本全国コーヒータイムだ。

ダイニング・キッチンのダイニングテーブルでお母さんと向かい合って熱いコーヒーを味わっている。

・今わたしが飲んでいる熱いコーヒーは何杯目なのか

・おとうさんはどこに行っているのか

・利比古はどうしているのか。結局、おとうさんとお母さんに優しくしてもらったのかどうか

このような点は、主に文字数の都合によって省略。

――さてわたしはマグカップを軽快に置いて、

「お母さん、わたしをもっとホメてよ」

お母さんもマグカップを置いて、

「利比古を立ち直らせたのが、そんなに誇らしいの?」

わたしはすぐに、

「誇らしいのよ」

と答え、

「オトナのオンナになったって感じするでしょ。愛すべき弟を、闇の中から救い出してあげたんだから」

「確かにね」

軽く頷くお母さんが、

「10代の頃の『じゃじゃ馬(うま)』みたいなあなただったら、利比古のココロを上手に癒やしてあげるのは難しかったかもしれないわね」

とか言ってくるからほんのちょっとだけムカつきを覚えるけど、

「――10代の頃のわたしとは丸っきり違うの。細胞が全部生まれ変わったのよ」

と、すぐに立て直す23歳のわたしはそんな風に断言して、それからゆっくりと腰を上昇させていく。

それからそれから、

「もう、オトナでもコドモでも無いような時期は終わったんだから」

と言った直後に、お母さんが着席している側(がわ)まで歩み寄っていって、

「お母さんにだって――素直になれる」

「あらあ」

お母さんは面白そうに楽しそうに、

「つい最近まで、24時間365日、わたしに対して反抗期だったのに?」

動じないわたしは、

「反抗期は『店じまい』よ。5年かかったけど、大学も卒業したコトだし」

と応えて、お母さんの上着の左袖(ひだりそで)に右手で触れていく。

「……今は、逆に、甘えたいかも」

左袖をフニュフニュといじりながら、甘い声を出す。

思春期以降お母さんに対して1回も出したコトの無かった甘い声、出しちゃった。

恥ずかしいキモチとかは無い。

10代の頃のわたしとは全然違うんだから。

「ベタベタしたいのね」

お母さんは言う。

「反抗期が長過ぎたから、なのかしら」

お母さんはさらに言う、けど、

「理由なんて探る必要も無いでしょっ」

と、わたしは早口気味に言って、自分のカラダをお母さんのカラダにかぶせていく――。

 

 

【愛の◯◯】弟を癒やすのは世界一得意だから

 

わたしの寝る部屋に利比古(としひこ)も入らせた。『ベッドで寝ていいのよ?』と言ったけど、結局利比古は床に布団を敷いて自分の寝床(ねどこ)を作った。控えめな弟らしいと言えばらしいんだけどねー。

 

わたしはベッド上で『お仕事の予習』をしている。歴史の教科書や歴史書を敷き布団の上に広げている。4月から高校で(いちおう)教えるコトになるので、生徒たちにナメられないようにしたいのである。わたしの出身女子校には及ばないけど、かなりの進学校なんだもん。

器用なわたしは、『お仕事の予習』をするのと並行して、利比古の様子を見てあげている。

塞ぎ込むような体育座り。どんなモノにも手を付けていない。

「遠慮しなくたっていいでしょー? タブレットでもスマホでも自由に見たらいいじゃないの」

タブレットやスマホでWikipediaを閲覧している方がハンサムかつマニアックな弟らしい、と思ったので声を掛けた。

しかし、

「……そんな気分じゃないんだ」

と、テンション最底辺の声を出したあとで、首をふるふる横に振ってしまう。

う~~~む。

 

× × ×

 

消灯して双方身を横たえたんだけど、

『利比古が安眠できる確率は高くない』

とわたしは思っていた。

眠気の芽生えを感じつつも、

『どうやら、もっと助けてあげなきゃいけないみたいね』

という思いを強くしたのだった。

 

× × ×

 

目が覚めて俊敏に起き上がってデジタルクロックを確認したら【AM 5:45】という表示だった。

わたしは朝に強いから瞬時にエネルギーのスイッチが入る。

そして、朝に強いがゆえに……利比古のピンチを、耳で感じ取る。

LEDを点けたあとで、利比古の寝床に素早くカラダを向けてあげる。

利比古の両眼が濡れているのに気付かないワケが無かった。

きっと、よく眠れなくて、真夜中に身を起こしてしまったんだろう。そしてそれから、極限まで身を縮めて、泣き出してしまったんだろう。

利比古が泣くのを見るのは本当に久しぶりだ。

わたしが小学校高学年の時、利比古をイジるのがエスカレートしてしまって、『お姉ちゃんがヒドくイジメてくる』という認識になってしまった利比古を号泣させてしまった。わたしはお母さんにこっぴどく叱られた。

わたしが某女子校中等部に入って以降は、利比古を泣かせたコトは一度も無かったはず。

……まあ、現在(いま)の利比古は、誰かに泣かされたんじゃなくて、自分から泣き出したんだけどね。

――自分から泣き出したにせよ、涙が眼からどんどん出ているコトには変わりが無い。

『大ピンチに陥っている弟の涙を拭ってあげたい』という姉としてのキモチがムクムク膨れ上がっている。

ハンカチで眼の涙を拭ってあげるだけじゃ足りない。

『ココロの涙』も拭ってあげなきゃ。

 

「……うまく眠れなかったのね」

ベッドを椅子代わりにして120%の優しさを声に籠めて言う。

利比古は2回首を縦に振る。

2回首を縦に振ったあとの利比古のほっぺたに涙の筋(すじ)ができているのを姉のわたしは見逃さなかった。

「ねえ」

150%の優しさを籠めた声を発して、

「あんたのキレイな顔がグシャグシャになっちゃうと、こっちも心苦しくなってきちゃうのよ」

とキモチを伝えるのと同時に、ベッドから腰を浮かす。

弟が小さく弱くなっている敷き布団に腰を下ろす。

手を伸ばせばいつでも髪やほっぺたをナデナデできる位置。

だけど、髪やほっぺたではなく、両肩に向けてわたしの両手を伸ばしていく。

カラダを抱き締める。

互いに小学生だった時のように。

いっぱいケンカもしたけど、かけがえの無い弟のコトが、わたしは大好きだった。だから、こうやって弟を包み込むコトも、しょっちゅうだった。

『仲直りのシルシ』で包み込むコトが、多かったっけ。

……長々と回想に浸りたくないし、浸っている場合じゃないから、

「ごめんなさいね。もっと早めに駆けつけてあげて、あなたのSOSに応えてあげるべきだったのかも」

と謝り、

「だけど、今からでも、全然遅くないって思うから」

と告げ、

「たった1人の姉に、甘えてちょうだいよ」

と、200%の優しさをわたしの全部に籠めて、言ってあげる。

涙声で、

「……でも……でも……ぼく、大学生なんだし、オトナなんだし」

と弟は言うけど、

「姉のわたしよりは、コドモよ」

とツッコみながら、包み込むチカラを上昇させてあげる。

それから、

「いろいろと、こんがらかってるんでしょう? それで、どうしようもなくなってきてるんでしょう?」

ややコトバを溜めたあとで弟は、

「……うん。」

とハッキリ応答してくれる。

「だったら、わたしの出番よ。あんたを癒やすのが世界一得意なのは、わたしなんだから」

そう告げてから、背中を、強すぎず弱すぎずのチカラで、撫でていってあげる。

利比古の背中ナデナデには自信がある。

お母さんでも敵(かな)わないはず。

 

 

 

【愛の◯◯】『姉パワー』発動開始

 

両親の家に来ている。弟の利比古(としひこ)と一緒に来ている。

金曜の夜。両親は出張で家に帰ってこない。

となると。

 

「中華丼の方が良かった?」

八宝菜を突っついている最中の利比古に問うてみる。

利比古の箸がピタリと止まる。

「中華丼の方が、食べやすくて良かったかもしれないわね」

優しく言ってあげる。

いつもの2割増しの優しさを声に籠めてあげた。

利比古の食べっぷりが見るからに弱々しかったからだ。

姉であるわたしの手作り料理をうつむき通しで食している。

落ち込んでいるのね。

いろんな要素が重なって、今みたいな落ち込みに至ってるんだって思う。

優しくしたいわ。

たった1人の姉として。

おとうさんもお母さんも今夜は帰らないんだから、なおさら。

「……そんなコト、無いよ。お姉ちゃんの八宝菜、とっても美味しいよ」

ハンサムフェイスを上昇させてくれないまま利比古は言うけど、

「『とっても美味しい』を、もっと具体的に説明してほしい」

と、わたしは、イジワルに。

利比古が完全に口ごもってしまう。

八宝菜が冷めるのは良くないから、

「――ゴメンナサイね、イジワルなコト言って。お食事、再開しましょうね」

と告げ、

「わたしが、あんたのお食事を見守ってあげるから」

と、甘く告げる。

利比古が真下を向いてしまう。

可愛い仕草なんだけどねー。

 

× × ×

 

「あんたの深いトコロには、触れないようにするわ」

食後のコーヒーも2杯目に差し掛かったわたしはズバリと言ってみる。

真向かいの利比古は、動揺。

「いきなり何言うの……」

型通りうろたえるんだけど、

「バレバレよ。精神的に、相当参ってるのが」

と、姉のわたしはまたもやズバリと。

うろたえが2倍になる弟。

わたしに目線を寄せられず、

「……どうしてわかるの」

とナヨナヨと言うけど、

「わかんないワケ、なーい☆」

と、わたしは愉しく、容赦無く。

 

× × ×

 

「ぼく、そろそろ……」

利比古は立ち上がって逃げようとするけど、

「行かせないわよ」

と、わたしは愉しく容赦無く、ピシャリ。

「部屋に引きこもってWikipediaに没頭とか、ちょっと許してあげられないわねー」

「う、Wikipediaするために部屋に行くんじゃ、ないからっ」

「嘘つくの、下手過ぎ」

怯えるように固まる利比古。

わたしの方を向き続けられなくなり、逃げ道を探すように後ろを向いてしまう。

こんな弟も可愛いんだけど、やっぱりこの空間に留めておきたいから、

「このフロアでわたしと過ごす方が、絶対良(い)いから」

と言い、

「わたしと寄り添うのが、立ち直る近道よ」

と言い、椅子からスパッと立ち上がり、軽やかに弟に歩み寄って、

「あんた、いつまでも苦しいキモチのままだと、ヘンな方向に行っちゃいそうだし」

と言ってから、耳元に口を寄せて、

「姉のチカラで、助けてあげる」

と、ささやく。

ビビった利比古が、わたしから少しだけカラダを遠ざける。

そして、

「……イヤらしいよっ」

と、懸命に抵抗する。

だけどもわたしは利比古のカラダに限りなく近付いて、

「素直になりなさいよ。――姉弟(きょうだい)でしょ?」

と告げ、その1秒後、ぎゅむっ、と抱き締め始めていく。

カラダを包み込み始めるやいなや、

「相変わらず、わたしの彼氏とは大違いね。やわらかいから、コレはコレでいいけど」

と言っちゃう。

右肩から二の腕辺りまでをゆっくりと撫でていき、癒やす。

余分なチカラが抜け切っていないのが簡単に分かる。

背中を3回、ポンポンポン、と軽く優しく叩いてあげる。

それから、抱き締める強さを30%上げてあげる。

弟の抵抗力が緩んでいくのを肌で感じる。

 

――この程度で弟が立ち直るとは思っていない。

だから、

「ねえ、オネガイがあるんだけど」

と声を寄せたあとで、弟のカラダからいったん離れ、弟の両手にわたしの両手を軽く優しく絡ませていく。

 

 

【愛の◯◯】微妙な雰囲気じゃ帰れない

 

かなり雰囲気のいい喫茶店に来ている。

「充実してたわね」

カフェラテを啜ったあとでわたしは言う。

眼の前には幼馴染男子のキョウくん。

「魅力的な古書店も、早くも2軒見つけられたし」

わたしは言い足す。

ずっと上機嫌のわたし。ステキな微笑みをキョウくんに見せるコトができているはず。

ブレンドコーヒーを啜ったあとのキョウくんから、

「むつみちゃんが幸せそうで、なによりだよ」

というおコトバ。

ほらほらぁ。

キョウくん、感じ取ってくれてるじゃないの、わたしの抱いてる幸福感を……!

 

× × ×

 

ブレンドコーヒーをほぼ飲みきったキョウくんが、

「隣で見てて……輝いて見えた」

ドキッ、となりながら前のめりになるわたしは、

「わたしのコト、言ってるの?」

キョウくんはためらわず、

「もちろん」

濃厚な熱がココロに帯びるのを実感しながらも、

「ありがとう、『輝いて見えた』なんて言ってくれて」

わたしのコトバを受け取ってから、彼は彼の首すじをポリポリと掻いて、

「おれ、むつみちゃんに、負けてるというか、なんというか……だな」

わたしは真心を籠めて微笑(わら)いながら、

「自信がイマイチみたいね」

と言い、

「卑屈になる必要も無いって思うけど? そもそも、『勝ち負け』の問題でも無いでしょーに」

テーブルに両手を置くキョウくんが、

「そうかもな」

と言い、少しだけ前のめりになって、

「ところで――話は大きく変わるんだけど」

「なあに」

「ナナコさんのコトだよ」

「ナナコさんのコト?」

「昨日とか、きみ、ナナコさんにタジタジ、みたいに見えた」

あー。

これが、幼馴染男子の観察眼かー。

「たしかに、タジタジだったかも。だけど、これから一緒に暮らしていくんだから、折り合っていかないとね」

苦笑とともに言うわたし。

……なぜか、さらに前のめりになるキョウくん。

どうして?

「――あんまし、折り合う必要も、無いんじゃーないかなあ」

前のめりかつ苦笑い顔のキョウくんから、意外な発言が飛び出てきた。

「なっなにゆーのキョウくん」

条件反射的に声が出て、

「折り合わなきゃ、ナナコさんの方だって、困っちゃう……」

と言いながら、下向き目線になる。

真向かいの彼は何を思って、『折り合う必要も無い』だなんて……。

「むつみちゃん」

彼が、

「そんなにうつむかないでよ」

と言ってくる。

でも、「……」と何もコトバを出さず、わたしは下を見続けてしまう。

 

× × ×

 

微妙な雰囲気で喫茶店を出てしまった。

会計は全てキョウくんが支払った。

 

ナナコさん宅へと歩いて帰る。

気が重いので、右隣のキョウくんの左手に眼を寄せる。

キョウくんの左手に注目したのは、

『左手を触ったら、気の重さも軽くなっていくかもしれない……』

と思ったからだ。

微妙な雰囲気も改善していかないと、ナナコさん宅に帰ったあとの空気が美味しく無くなっちゃう。

――折り合う折り合わない以前の問題じゃないの。

「あのねキョウくん」

やや早口に彼の名を呼ぶわたし。

「なに」

「ごめんね、いろいろと」

そう言うやいなや、彼の左手を右手で掴む。

「ナナコさんの話題になってから、ヘンな雰囲気作っちゃった。わたしのせいで」

左手を右手でギュッと握り、

「折り合う・折り合わないの問題は、宿題にする。自分で考える」

と告げる。

「謝る必要無いよ」

とキョウくん。

「それに、『折り合う・折り合わない』を、抱え込まなくたっていいし」

とキョウくん。

――あなたなら、そういうお返事するって思ってた。

でも、

「謝らせてよ、抱え込ませてよ」

と、敢えて反発する。

「なんで、そこまで……」

途中まで言って口ごもっちゃうキョウくん。

ここがチャンス……!! と思って、

「あなたのコトがダイスキだから、謝るし、抱え込むのっ」

と応えて、立ち止まる。

キョウくんはうろたえて何にも言えない。

キョウくんのうろたえる左手の感触を味わってから、わたしはわたしの右手を離す。

それから、彼のカラダに限りなく近付く。

「人通り、結構あるけど」

ワザと声を甘くして、呟くように言う。

彼のカラダのどの部分から触れていくのかは既に決めている。

幼馴染女子なんだから、瞬時に決められないワケも無く。

 

 

 

【愛の◯◯】下宿先のナナコさんが手強くて◯◯……

 

「キョウくんが出かけちゃって、寂しいでしょ?」

菜七子(ナナコ)さんがいささか唐突に言ってくる。

ティーカップの把手(とって)に伸ばそうとした右人差し指が滞(とどこお)る。ナナコさんが痛いトコロを突いてきたからだ。

鋭いナナコさんに直面してしまったけど、指を動かすのをなんとか再開して、ミルクティーの入ったティーカップを口へと持っていく。

できるだけ音を立てないように気をつけて啜ったあと、

「彼にも、『仕事』というモノがあるので……」

とわたしはボショボショ言うんだけど、

「やっぱり寂しいんだ~、むつみちゃん!! わたしからのクエスチョンに上手に答えられないってコトは」

というコトバを食い込ませられるから、つらくなる。

 

大きいサイズの丸テーブルの周囲が掘りごたつのようになっている。わたしもナナコさんも掘りごたつのようになっている空間に足を下ろしている。

わたしから見て左斜め前のナナコさんが下宿開始早々手強(てごわ)いから、彼女から視線を少し外して、キョウくんの部屋へと続く階段の方に向く。

キョウくんの部屋へと続く階段を見やるわたしの背後にわたしの部屋へと続く階段が伸びている。

正反対の位置にある部屋で寝起きするわたし&キョウくんは、朝晩の食事時間などになると、大きな丸テーブルと掘りごたつ的スペースの目立つ、現在(いま)わたしが過ごしている居間のような場所で合流するのである。

『文字だけの説明じゃ、ナナコさんの家がどんな造りになってるのか想像しづらいわよね……』

胸中でもどかしく呟きながら、わたしは肩を落としてしまう。

「むつみちゃん、むつみちゃん」

左横からのナナコさんの声が耳に食い込んでくる。びっくり。

わたしが肩を落としてしまったコトに6割6分以上の確率で気付いていると思われる。ひと筋(すじ)の冷(ひや)っこい戦慄が背中を流れる。

「あなた、起きてくるの遅かったし、エンジン、まだ入り切ってないみたいだから――」

心臓がふるふる震えてくるわたしに、

「――わたしのそばに、来てちょーだいよ。むつみちゃんが住み込み始めてわたしの孤独を埋めてくれるのが、嬉しくってしょーがないの……!!」

と、ナナコさんは容赦無く……。

 

× × ×

 

『むつみちゃん、パジャマのまま居間(ここ)に下りてくるんじゃなくて、キチンと着替えて下りてきたから、とっても驚いちゃった』

と言うナナコさんの楽しげな声音が、茶番劇に拍車をかけたのだった。

 

× × ×

 

結局日中(にっちゅう)は、新しいわたしの部屋で本を読んだり音楽を聴いたりして過ごした。

 

――さて、夕飯のお時間。

わたしは、帰ってきたキョウくんと向かい合って箸や食器を動かしている。ナナコさんは、茶番劇が繰り広げられてしまった朝と同じ位置、すなわちわたしから見て左斜め前。彼女は、今のトコロは静かだ。

『明日は、キョウくん、1日まるまるフリー。なんとしてでも、2人きりで京都の街をぶらついてみたい……!』

そう強く思うわたしの箸を持つ手が一時停止する。

だけど箸を握り締め続けたらナナコさんの観察眼が光りそうで怖いから、大人しく、水菜と油揚げの煮浸しへと箸を伸ばしていく。

我ながら、お行儀が良いとは言えない箸の使い方だけど、願わくば、ナナコさんもキョウくんも許容してほしい。

雑な手つきで箸置きに箸を置く。グラスの中の冷たいお茶を飲む。

そしてそれからわたくし葉山(はやま)むつみは、夕ご飯をモグモグと味わっているキョウくん目がけて、渾身の温もりを籠めた視線を伸ばしていく。

――つまりは、温もりに満ちた視線を伸ばし続けていくコトで、

『キョウくん。わたし、明日、あなたと生まれて初めての、京都デートが、したいの……!!』

という幼馴染女子としてのキモチを、染み込ませたいのである。

キョウくんなら。

キョウくんならば。

わたしがこうして、トクベツなイミを濃厚に含んだ視線を送るだけで、何もかも、見通してくれる。

見通してくれるに、ちがいない……!!!

期待に胸を膨らませるわたし。

キョウくんに視線を固定しながら、高揚感とともに再び箸を掴むわたし。

……が、しかし。

「キョウくん? むつみちゃんが、あなたに何か言いたそうよ?」

とコトバを投げかけながらキョウくんの方を向くナナコさんがいて、

「もしかしたら……。『ごちそうさま』のあとで、むつみちゃん、あなたのお部屋に押しかけたいのかも☆」

と、不都合なぐらい満面な笑みでキョウくんを揺さぶっていくナナコさんがいて……!!!

 

 




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