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湯村温泉の映画館

(写真)湯村温泉劇場の建物。

2026年(令和8年)2月、兵庫県美方郡新温泉町の湯村温泉を訪れました。

湯村温泉にはストリップ劇場の湯村温泉劇場の建物が現存しており、昭和30年代以前にはこの場所に映画館の「温泉座」があったようです。「湯村温泉を訪れる」からの続きです。

 

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2. 湯村温泉の映画館

2.1 温泉座(大正時代頃-1966年頃)

所在地 : 兵庫県美方郡温泉町(1966年)
開館年 : 大正時代頃
閉館年 : 1966年頃
跡地は「さんきん旅館」南東70mにある湯村温泉劇場という文字のある建物。

 

1926年(大正15年)に刊行された『浜坂川下祭典記念』には、浜坂町の大富座、湯村温泉の温泉座、村岡村の中島館の経営者である松岡興行部の広告が掲載されています。この文献によって温泉座が大正時代まで遡る芝居小屋だったことはわかりますが、正確な設立年や竣工年はわかりません。

なお、大富座は明治時代から1939年(昭和14年)まで初代施設が、1942年から1961年頃まで2代目施設が浜坂市街地にあった芝居小屋・映画館です。

(写真)『浜坂川下祭典記念』宇都野神社社務所、1926年。

 

1950年代前半には映画館名簿には温泉座が初登場し、1966年版まで掲載されています。1950年代前半の経営者は森田竜吉、1950年代中頃の経営者は朝野文吉、1950年代後半以降の経営者は池田四郎です。森田竜吉は戦前に温泉町の収入役を務めた人物であり、朝野文吉は戦前からとみや旅館(現・湯村温泉とみや)を経営していた人物です。

(写真)温泉座が掲載されている『映画便覧 1966』時事通信社、1966年。

 

興行師の池田四郎

池田四郎は但馬地方の町村部で多数の映画館を経営していた人物であり、拠点は氷上郡山南町の谷川映画劇場(谷川劇場)ではないかと思われます。

1966年(昭和61年)の映画館名簿を見ると、温泉座のほかに、美方郡浜坂町の浜坂映劇、城崎郡日高町の池田映画劇場、竹野町の竹野会館、城香住町の大黒座、氷上郡山南町の和田映画劇場と谷川映画劇場、成松町の成松劇場、青垣町の佐治劇場、出石郡出石町の出石映画劇場、朝来郡朝来町の朝来映劇、山東町のヤナセ映劇の欄にも池田が経営者として記されており、池田が経営する映画館は12館に達していました。これほど経営館が多いにもかかわらず、但馬地方の中心都市である豊岡市には経営館を有しておらず、町村部に拠点を置いて町村部の映画館文化を維持し続けた功績は大きいと思われます。

 

3. 湯村温泉劇場(ストリップ劇場)

荒湯の東側を南北に延びる通りが湯村温泉におけるメインストリートです。中心部の荒湯周辺は本町通りと呼ばれ、その北側の夢千代館付近は天神通り、南側は堅町通り(かたまちどおり)と呼ばれます。堅町通りにはファサードに「湯村温泉劇場」と書かれたストリップ劇場の建物が残っており、現在はガレージ兼倉庫として用いられています。

ウェブ上に「この建物はストリップ劇場だったとされる」という記述があるだけで、ストリップ劇場としての営業時に言及した文献記録は一切見つけられていません。なお、1991年(平成3年)7月16日にテレビ朝日系列で放送された火曜ミステリー劇場のドラマ「温泉劇場殺人事件 女座長とさすらいの男」では、タイトルにも用いられる主要なロケ地となったようです。

 

建物は堅町通りに面した手前側のみ2階建になっており、2階にはストリップ劇場に不可欠な調光室と音響室が存在したと思われるほか、仮にこの建物で映画も上映されていたのであれば、2階は映写室の場所として適当です。内部は基本的に平屋建ての大空間であり、かつてホールとして用いられていた中央部は4m超の天井高がありますが、ホールの右端と最後部にあたる部分には屋根裏状の床面が設置されており、天井高が2m程度に抑えられています。

(写真)湯村温泉劇場の建物。

(写真)湯村温泉劇場の建物。

 

夢千代館には昭和期の湯村温泉の姿が残るスポットを紹介する地図がありました。

喜多島通りの温泉町役場(1番)と行政書士中井事務所(2番)、本町通りの温泉米穀(3番)、堅町通りのみよしや(4番)とタクシーのりば(5番)と旧温泉劇場の看板(10番)、みよしや渡り廊下(6番)、清正通りの井上邸(7番)と矢須田邸(8番)、荒湯小路の木造の蔵(9番)、京口通りの北村邸(11番)、夢ホール前の河原蛍(12番)が紹介されています。

(地図)夢千代館にある「現代にのこる湯村の中の『昭和』」。

(地図)夢千代館にある「現代にのこる湯村の中の『昭和』」。

 

温泉公民館の職員に温泉座について尋ねたところ、「小学校低学年の頃、学校の団体鑑賞で映画館に入ったことがある。人が死ぬ場面のある怖い物語を上映していた。この映画館があったのは、堅町通りのヌードスタジオの場所である」とのことでした。

ヌードスタジオとストリップ劇場は区別されることもありますが、この文脈では堅町通りの湯村温泉劇場を指していると考えてよいと思われます。また、湯村温泉にあった映画館は温泉座のみであるため、「かつて映画館の温泉座があった場所に、ストリップ劇場の湯村温泉劇場ができた」という意味だと理解できます。もっとも、温泉座の建物を解体した後に湯村温泉劇場の建物が新築されたのか、温泉座の建物を解体せずに湯村温泉劇場に転用したのかについては、現時点では確証を得ていません。

1948年(昭和23年)の航空写真を見ると、温泉座の建物の東側には農地と思われる土地利用が広がっており、温泉座は市街地の東端に位置していたことが分かります。

(写真)1948年の航空写真。地図・空中写真閲覧サービス ※うっかり湯村座と書いちゃいましたが誤り。正しくは温泉座。

(写真)1964年の航空写真。地図・空中写真閲覧サービス ※うっかり湯村座と書いちゃいましたが誤り。正しくは温泉座。

(写真)湯村温泉劇場と堅町通り

(写真)湯村温泉劇場と堅町通り

 

湯村温泉の映画館について調べたことは「兵庫県の映画館 - 消えた映画館の記憶」に掲載しており、その所在地については「消えた映画館の記憶地図(兵庫県版)」にマッピングしています。

hekikaicinema.memo.wiki

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