
(写真)城崎温泉の温泉街と大谿川。
2026年(令和8年)2月、兵庫県豊岡市城崎町を訪れました。昭和初期から戦後にかけて、城崎温泉には芝居小屋・映画館の常盤館(温城館)がありました。
1. 城崎温泉を訪れる
城崎温泉は養老4年(720年)に開湯したという伝承のある湯治場です。1909年(明治42年)に城崎駅(現・JR山陰本線城崎温泉駅)が開業すると近代的な温泉地として発展し、1917年(大正6年)には志賀直哉が短編私小説『城の崎にて』を発表しています。志賀直哉以外の文豪では、正岡子規、与謝野晶子、武者小路実篤なども療養などの目的で城崎温泉を訪れています。
1925年(大正14年)には但馬地方に大きな被害を与えた北但馬地震が発生し、城崎温泉も市街地の大部分が焼失するという壊滅的な被害を受けましたが、震災後には大谿川河岸の整備など計画的な温泉街づくりが行われ、今日にも見られる景観が生まれました。鳥瞰図「城崎温泉御案内」は刊行年が定かでないものの、1927年(昭和2年)に近代建築の城崎郵便局が建てられた後の城崎温泉が描かれています。

(写真)鳥瞰図「城崎温泉御案内」刊行年不明。日文研デジタルアーカイブ
私が訪れたのはJR山陰本線の亀岡駅-益田駅間500km超が計画運休した大雪の日です。日中の積雪量はそれほどでもなく、多数の観光客が温泉街を散策していました。

(写真)湯の里通りの消雪パイプ。


(左)販売される松葉ガニ。(右)大谿川への雪流し。
2. 城崎温泉の映画館
2.1 常盤館(温城館、1927年頃-1964年頃)
戦前の温城館
温泉街に芝居小屋は付き物ですが、近代には城崎温泉にも温城館(おんきかん)が開場しています。城崎に鉄道が通じる前の1898年(明治31年)のことです。温城館は花道や廻り舞台がある立派な芝居小屋でしたが、開館年には活動写真の上映も行われています。志賀直哉の『城の崎にて』や正岡子規の『城崎温泉の七日』などは城崎温泉を主題とする随筆ですが、これらの文豪が城崎温泉で芝居や活動写真を見物したという記録は見つかりません。
1925年(大正14年)の北但馬地震では市街地の大部分が被害を受け、温城館の建物も焼失しましたが、1927年(昭和2年)1月頃にはもう再建されました。鳥瞰図「城崎温泉御案内」には「劇場」という表記が確認でき、作成時点で城崎温泉を代表する施設の一つとして認識されていたようです。
戦前は基本的に芝居小屋として営業していたと思われますが、1940年代前半の映画館名簿には温城館の名前が見えます。なお、戦争末期の1945年(昭和20年)5月には三菱電機の軍需工場に転用され、航空機部品の製造が行われました。

(写真)温城館の再建計画を伝える『セメント界彙報』セメント界彙報発行所、1926年10月。
戦後の常盤座
戦後の映画館名簿を見ると、1950年(昭和25年)版から1964年(昭和39年)版まで継続して城崎町の常盤座(トキワ館)が掲載されています。戦前の温城館と戦後の常盤座が同一施設であると断定できる文献が見つからないのですが、両者はともに現在の城崎郵便局の場所にあったとされ、同一施設であると考えるのが妥当と思われます。
なお、1965年(昭和40年)にはときわ別館という温泉旅館が創業していますが、旅館の名称は経営者の先祖が経営していた常盤座に由来しているとのことです。

(写真)「劇場」が描かれている鳥瞰図「城崎温泉御案内」刊行年不明。日文研デジタルアーカイブ

(写真)1948年の航空写真における温城館や城崎温泉。地図・空中写真閲覧サービス

(写真)城崎町の常盤座が掲載されている『映画便覧 1963』時事通信社、1963年。
城崎郵便局は2020年(令和2年)に同一地点で建て替えられています。鳥瞰図「城崎温泉御案内」に描かれている旧城崎郵便局も城崎駅通りに現存しています。

(写真)温城館/常盤館の跡地にある城崎郵便局。

(写真)旧城崎郵便局。登録有形文化財。
城崎温泉の映画館について調べたことは「豊岡市の映画館 - 消えた映画館の記憶」に掲載しており、その所在地については「消えた映画館の記憶地図(兵庫県版)」にマッピングしています。