
(写真)岩槻市街地にある「時の鐘」。
2026年(令和8年)1月、埼玉県さいたま市岩槻区(旧・岩槻市)を訪れました。かつて岩槻市街地には映画館「岩槻銀映劇場」「岩槻会館」「住吉劇場」がありました。
1. 岩槻市街地を訪れる
岩槻は岩槻藩の城下町として発展した町であり、脇街道の日光御成道の宿場町でもありました。寛文11年(1671年)には城下に「時の鐘」が設置され、天保年間(1831年-1845年)以後に建て替えられた鐘楼や銅鐘が現存しています。川越市の「時の鐘」と比べると小規模ですが、岩槻市街地のシンボル的存在となっています。
1.1 さいたま市岩槻郷土資料館
さいたま市岩槻郷土資料館(旧岩槻警察署)は1930年(昭和5年)竣工の近代建築であり、1982年(昭和57年)から郷土資料館の建物となっています。鉄筋コンクリート造で装飾性の少ない外観ですが、腰壁部分がタイル張りとなっており、2階中央部には半円形の窓があるなど、昭和初期の建築様式も感じます。

(写真)岩槻郷土資料館。

(写真)岩槻警察署時代の建物。
最も大きな空間である旧事務室部分は漆喰塗が際立つ無機質な見た目ですが、曲線が多様された階段の親柱は重厚感を感じさせる黒色の人造石研ぎ出し仕上げ、階段の床面は灰色の人造石研ぎ出し仕上げであり、曲線が多用された親柱にはアール・デコ要素を感じます。


(写真)岩槻郷土資料館の階段。
2. 岩槻市街地の劇場
2.1 友楽座(劇場)
所在地 : 埼玉県南埼玉郡岩槻町
開館年 : 1910年5月
閉館年 : 不明
映画館ではなく芝居小屋。跡地は「芳林寺」本堂南東130mの「芳林寺駐車場」。
岩槻市に関する多数の郷土資料が友楽座(友楽館)に言及しています。1910年(明治43年)に芳林寺の参道入口に開場した芝居小屋であり、後年には活動写真も上映していました。戦後にも営業を続けたという記述が確認できず、また閉館年が記された文献を見つけられていません。

(写真)友楽座が描かれた1917年の「岩槻市街図」。『岩槻市史 近・現代史料編 1 近代史料』岩槻市市史編さん室、1984年に収録。

(写真)「友楽座跡」が描かれた『埼玉ふるさと散歩 岩槻市』さきたま出版会、1992年。

(写真)友楽座に言及している『岩槻大百科』岩槻地方史研究会、1994年。
なお、1871年(明治4年)には廃藩置県によって岩槻藩が岩槻県に変わり、同年11月には岩槻県・浦和県・忍県が合併して埼玉県が発足しています。初代埼玉県庁は旧岩槻県の芳林寺に置かれましたが、同年12月には浦和に移転しており、岩槻に埼玉県庁があったのはわずか約1か月でした。
県庁移転の理由には諸説あるようですが、芳林寺の境内には「剣術の腕は立つが頭の悪い元家老格の男がいた。埼玉県庁への奉職を願ったが不採用となり、この男が芳林寺前で嫌がらせを続けた結果、県庁は岩槻から浦和に移転してしまった」という説を記した看板が立っています。

(写真)友楽座跡地の芳林寺駐車場。

(写真)芳林寺。
3. 岩槻市街地の映画館
3.1 住吉劇場(1959年頃-1962年頃)
所在地 : 埼玉県岩槻市岩槻(1962年)
開館年 : 1959年頃
閉館年 : 1962年頃
昭和30年代中頃の映画館名簿には住吉劇場という映画館が記されていますが、この映画館に言及している郷土資料は発見できていません。なお、岩槻区仲町2丁目には住吉神社があります。

(写真)岩槻市に3館が掲載されている『映画便覧 1962』時事通信社、1962年。
3.2 岩槻会館(1949年10月-1963年頃)
所在地 : 埼玉県岩槻市岩槻2488(1963年)
開館年 : 1949年10月
閉館年 : 1963年頃
跡地は大型商業施設「ワッツ東館」。
1949年(昭和24年)10月には岩槻駅前に岩槻会館が開館しました。名称に「会館」と付く映画館は公民館的機能を備えていたことが多いようですが、岩槻会館の設置者も民間事業者ではなく岩槻町であり、開館時の新聞記事には「町民の集会・娯楽の会場」という役割が記されています。岩槻会館は1963年(昭和38年)頃に閉館しましたが、その建物は長らくスーパーマーケットとして現存していたようです。

(写真)岩槻会館の開館に言及している『岩槻市史 近・現代史料編2 新聞史料』岩槻市、1985年。

(地図)岩槻会館が描かれている「岩槻市詳図」『日本都市地図全集 』人文社、1965年。

(写真)1960年代の航空写真。今昔マップ。
1996年(平成8年)には岩槻会館跡地にサティを核とするワッツ東館が開業し、2010年(平成22年)のサティ撤退後には岩槻区役所がワッツ東館に入居しています。

(写真)岩槻会館の跡地にあるワッツ東館。
3.3 岩槻銀映劇場(1956年8月頃-1963年頃)
所在地 : 埼玉県岩槻市岩槻2157(1963年)
開館年 : 1956年8月頃
閉館年 : 1963年頃
跡地は「真浄寺」本堂北北西40mの道路上付近。
1956年(昭和31年)8月頃、埼玉県で2番目のシネマスコープ劇場として岩槻銀映劇場が開館しました。埼玉県初のシネスコ館は1955年(昭和30年)12月22日に北足立郡蕨町に開館した埼玉シネマだと思われます。浦和市や大宮市などの大都市ではなく、蕨町や岩槻市などの中小都市が県内の先駆例だったことが驚きですが、浦和や大宮は都心の映画館に近すぎることが理由かもしれません。

(写真)岩槻銀映劇場の開館に言及している『岩槻市史 近・現代史料編2 新聞史料』岩槻市、1985年。元出典は「岩槻にシネマスコープ劇場」『埼玉新聞』1956年8月2日。
『埼玉ふるさと散歩 岩槻市』には、岩槻駅から南東に続く駅前通り(埼玉県道324号蒲生岩槻線)に被った場所に「銀映跡」と書かれた地図が掲載されています。これはどういうことかと思って古い航空写真を見てみると、1960年代前半には駅前通りが「岩槻駅入口」交差点までしか存在せず、岩槻銀映の閉館後に南側に延伸されたようです。延伸工事が閉館の理由だった可能性もあります。
なお、岩槻会館にしても岩槻銀映劇場にしても、映画館の外観や館内を映した写真は見つけられていません。

(写真)「銀映跡」が描かれた『埼玉ふるさと散歩 岩槻市』さきたま出版会、1992年。


(写真)1960年代と1970年代の岩槻市街地の航空写真。今昔マップ。
横町(栄町通り商友会)には魚常という料理店の建物がありますが、魚常の北側にある路地が岩槻銀映の入口でした。なお、路地の先には岩槻銀映の閉館後に建った民家があり、路地を歩いて駅前通りに抜けることはできません。

(写真)岩槻銀映の入口だった路地。

(写真)岩槻銀映の跡地付近。

(写真)「横町」の石碑。
1963年(昭和38年)頃には岩槻会館も岩槻銀映劇場も閉館しており、最寄りの映画館は大宮市または春日部市の映画館となりました。以後は岩槻市/さいたま市岩槻区に映画館が存在しない時代が続いています。
1987年(昭和62年)刊行の『岩槻城と町まちの歴史』には、「埼玉県内では、十万人以上の人口を持ちながら映画館がない都市は数少ない」とあり、映画館数が底に近かった時代でも10万都市には基本的に映画館が存在したようです。しかし、10万都市だった岩槻市については「岩槻では、すでに両館とも昭和三十年代後半には廃業し、現在は一館もない」とあり、自治体規模を考慮するとかなり早く映画館がなくなってしまいました。
岩槻市の映画館について調べたことは「さいたま市の映画館 - 消えた映画館の記憶」に掲載しており、その所在地については「消えた映画館の記憶地図(埼玉県版)」にマッピングしています。