
(写真)映画ポスター。
2026年(令和8年)1月10日、兵庫県尼崎市の尼崎市立歴史博物館で開催されている企画展「戦後尼崎の映画・演劇」を鑑賞し、担当学芸員によるギャラリートークに参加しました。「尼崎市立歴史博物館を訪れる」からの続きです。
2. 企画展「戦後尼崎の映画・演劇」
2.1 ギャラリートーク
「戦後尼崎の映画・演劇」は尼崎市立歴史博物館の第16回企画展であり、会期は2026年(令和8年)1月10日から3月29日までです。1月10日14時から、担当学芸員の桃谷和則さんによるギャラリートークが行われました。なお、桃谷さんは2023年(令和5年)の定年時に〈名物学芸員〉として紹介されています。
参考:「『館のない博物館』名物学芸員が定年 尼崎の産業遺産調査37年」『毎日新聞』2023年3月27日
本企画展は映画が3章、演劇が1章の計4章構成です。尼崎市歴史博物館に所在する地域研究史料室(あまがさきアーカイブズ)では、長年に渡って映画館関係資料を収集していたとのことですが、本企画展の直接の契機となったのは後述する映画労働運動の資料群だそうです。

(写真)ギャラリートーク。


(左)地域研究史料室(あまがさきアーカイブズ)。(右)企画展のチラシ。
第1章 尼崎に所在した映画館・劇場
第1章は尼崎に所在した映画館・劇場に関する展示であり、映画館マップ、映画館年表、映画ポスター、映画チラシ、新聞記事、写真など、様々な資料を用いて尼崎の映画館・劇場が紹介されています。
尼崎初の活動写真館は1920年(大正9年)開館の栄俱楽部とのことですが、映画館マップや年表は1889年(明治22年)から2025年(令和7年)までの130年以上を対象とした力作であり、明治時代以降の尼崎には映画館または劇場が計78館あったそうです。なお、映画館マップと映画館年表はあまがさきアーカイブズにおいて150円で販売されています。第1章の調査成果は会期中に刊行予定の『地域史研究』第125号に論文として掲載される予定です。

(写真)企画展の室内。

(写真)尼崎に所在した映画館・劇場。

(写真)映画館・劇場マップ。

(写真)映画館・劇場年表。
映画館数がピークを迎えたのは1958年(昭和33年)から1962年(昭和37年)であり、市域に37館もの映画館が存在したとのことでした。約18人いたの参加者はほぼ全員が60代以上に見えましたが、桃谷さんは昭和30年代の映画作品について「この作品を知ってる方はここにはいないかと思いますが…」という口調で説明されていたのが印象的でした。展示には1964年(昭和39年)を舞台とした『ALWAYS 三丁目の夕日'64』があり、〈昭和30年代〉という言葉からは〈日本が希望と熱気に満ちていた時代〉というイメージが想起されますが、青年期に昭和30年代の暮らしを経験している世代は若くても80歳前後になっており、博物館を訪れることが困難な方も多いと思われます。

(写真)昭和30年代頃の塚口第一劇場などのチラシ。

(写真)昭和30年代頃の三都座のチラシ。
第1章で最も興味を惹かれたのは、昭和30年代に尼崎市の個別の映画館が作成してたポスター5枚の展示です。鮮やかなカラーの手書きポスターであり、「日栄」(出屋敷日栄劇場)、「尼松」(尼崎松竹)、「阪神東映・尼崎東映」などといった映画館名がポスター最下部に記されています。複数の館で使いまわすことなく特定の館のために描かれたようで、かなり珍しいポスターであると思います。日栄のポスターには「55円」と記されていますが、映画黄金期の封切館の入場料は120円、二番館は70円、三番館は55円であることが多く、55円という値段は昭和30年代の映画ポスターではよく見かけます。
常設展示室には尼崎のダンスホールに関する展示がありました。大阪市では事実上ダンスホールが禁止されていたため、昭和初期の尼崎には4施設のダンスホールが開業して繁栄しましたが、日中戦争勃発後の1940年(昭和15年)には国によってダンス禁止令が発令され、阪神会館ダンスパレスは映画館の尼崎松竹に転向しています。鉄筋コンクリート造の尼崎松竹は1945年(昭和20年)6月の尼崎空襲を耐え、1982年(昭和57年)頃まで営業を続けています。

(写真)昭和30年代と昭和50年代の映画ポスター。


(写真)昭和50年代頃の尼崎東宝のチラシ。


(左)絵看板・ポスター。(右)チラシ・チケット。

(写真)新聞広告。
第2章 全尼崎労働者映画協議会(尼労映)
第2章は尼崎の映画労働運動に関する展示であり、今回の企画展を開催する動機になった章とのことです。2016年(平成28年)、京都大学人文科学研究所に戦後の映画や映画サークル運動に関する約1万5千点の資料群「⼭本明コレクション」が寄贈されました。この中に尼崎市に関するの資料があったことから、京都大学と尼崎市歴史博物館が共同研究を行っているとのことです。
参考:森岡洋史「資料紹介 ⼭本明コレクションの映画資料概要と整理⽅針」『⼈⽂學報』2021年、116号、pp.249-268
戦後には尼崎市の企業内に映画サークルが設立され、昭和20年代には市内全域の映画サークルが集まって尼崎映画サークル協議会(後に全尼崎労働者映画協議会、尼労映)が発足しました。日本の映画観客数がピークを迎えたのは1958年(昭和33年)であり、同年頃の尼崎市の人口は約37万人でしたが、尼労映の会員数は1万8000人に達していました。独自の事務所に専任スタッフがおり、機関紙も発行されています。同時期の尼労映の会費は月10円でしたが、会員は市内の映画館入場料が毎回10円引となったようです。

(写真)全尼崎労働者映画協議会の活動。

(写真)全尼崎労働者映画協議会の会員一覧。
第3章 尼崎の映画ロケ
尼崎市立文化財収蔵庫(現・博物館)でロケが行われた映画作品として、映画『ALWAYS 三丁目の夕日'64』(2012年公開、山崎貴監督)と『焼肉ドラゴン』(2018年公開、鄭義信監督)、尼崎市を舞台にした映画作品として『あまろっく』(2024年公開、中村和宏監督)があります。第3章ではこの3作品に関する展示がありました。

(写真)『ALWAYS 三丁目の夕日'64』で用いられた「凡天堂病院」の看板など。
第4章 尼崎市演劇祭
第4章は〈日本で最も歴史の長い演劇祭〉である尼崎市演劇祭の展示です。1951年(昭和26年)のサンフランシスコ講和条約を記念して、1952年(昭和27年)に尼崎市演劇競演会(現・尼崎市演劇祭)が開催され、翌年からも継続して開催されており、2026年(令和8年)2月には第74回尼崎市演劇祭が開催される予定とのことです。
歴史の長い演劇祭としては長崎市民演劇祭もあるそうで、尼崎市と同じく1952年(昭和27年)に初開催されていますが、尼崎市の第1回開催日のほうがわずかに早かったようです。なお、1946年(昭和21年)には演劇祭に先駆けて尼崎市文芸祭が初開催されていますが、これは工業都市尼崎において〈職域〉のサークル活動が盛んだったことに起因するようで、これらの映画・演劇・文芸サークル活動は尼崎市が他市に誇れる文化活動として紹介されていました。ただし、全ての分野で〈職域〉のサークル活動は廃止されているとのことです。

(写真)第1回尼崎市演劇競演会プログラム。