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中之条町の映画館

(写真)中之条銀映座に向かう路地入口。

2025年(令和7年)12月、群馬県吾妻郡中之条町を訪れました。

かつて中之条町には映画館「朝日座」と「中之条銀映座」があり、中之条銀映座は建物の一部が現存しています。「中之条町の林昌寺を訪れる」からの続きです。

 

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1. 中之条町を訪れる

吾妻郡(あがつまぐん)は群馬県の北西部にある地域であり、草津町の草津温泉や嬬恋村の高原キャベツでそられています。浅間山、榛名山、草津白根山などのある郡域は山地が卓越していますが、中心都市である中之条町の中心部は吾妻川が形成する広い中之条盆地にあります。

 

1.1 中之条町歴史と民俗の博物館「ミュゼ」

中之条町や吾妻郡の歴史・民俗を紹介する博物館として中之条町歴史と民俗の博物館「ミュゼ」があります。1982年(昭和57年)に中之条町歴史民俗資料館として開館し、2011年(平成23年)に現行名称に改称。常設展示室がある本館は1885年(明治18年)竣工の擬洋風建築(旧吾妻第三小学校校舎)であり、建物は群馬県指定文化財に指定されています。

(写真)中之条町歴史と民俗の博物館「ミュゼ」。本館。

(写真)中之条町歴史と民俗の博物館「ミュゼ」。本館の廊下。

(写真)中之条町歴史と民俗の博物館「ミュゼ」。本館の常設展示室。

(写真)中之条町歴史と民俗の博物館「ミュゼ」。本館の常設展示室。

 

1.2 林昌寺

中之条町歴史と民俗の博物館「ミュゼ」の常設展示室には、明治初期の沼田藩における廃仏毀釈に関する展示もありました。廃仏毀釈が関係してるかは定かでありませんが、中之条市街地の寺院は伊勢町地区にある曹洞宗の林昌寺、中之条地区にある浄土宗の清見寺の2寺のみのようです。林昌寺には「おろかもの之碑 - Wikipedia」などがあります。

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2. 中之条町の映画館

2.1 中之条銀映座(1917年4月-1968年頃)

所在地 : 群馬県吾妻郡中之条町伊勢町949(1968年)
開館年 : 1917年4月、1952年4月
閉館年 : 1968年頃
映画館の建物は「中之条町立中之条小学校プール」南東110mに前方部分の一部が現存。

JR中之条駅がある伊勢町地区には映画館として中之条銀映座がありました。1917年(大正6年)4月に求友館として開館し、芝居小屋の朝日座とは異なり活動写真の上映が多かったようです。1927年(昭和2年)には前橋市の野中康弘(野中興行、後の野中興業)の経営となって帝国館に改称しますが、数年後には地元興行主の経営に戻りました。

中之条町歴史と民俗の博物館「ミュゼ」には1917年(大正6年)の求友館竣工時の写真が展示されていますが、妻入りで下見板張りの建物であり、2階にはバルコニーのような部分も見えます。芝居小屋だった朝日座と差別化するためか、純和風の建築ではなかったことが分かります。

(写真)1917年の求友館。中之条町歴史と民俗の博物館「ミュゼ」の展示。

(写真)大正時代の中之条町。中之条町歴史と民俗の博物館「ミュゼ」の展示。

 

1950年(昭和25年)の映画館名簿には富士館という名前が見えますが、その後には中之条銀映座に改称し、晩年には中の条いせまち銀映座という名称で映画館名簿に掲載されています。戦後の経営者はまず石坂源吉、後に福田誠一です。各年版の映画館名簿には1969年(昭和44年)版から名前が消えていますが、『写真集 中之条いまむかし』によると閉館は1972年(昭和47年)頃とのことです。

中之条銀映座建物のうち、ロビーなどがあったと思われる前方部分のみが現存しています。客席だったと思われる後方部分は撤去され、福田武道具の経営者宅兼店舗と思われる民家が建てられています。現存する部分は福田武道具の倉庫となっているようです。

(写真)中之条銀映座。

(写真)中之条銀映座と福田武道具。

(写真)中之条銀映座が面していた国道145号。

 

2.2 朝日座(1898年-1979年)

所在地 : 群馬県吾妻郡中之条町西中之条724(1978年)
開館年 : 1898年
閉館年 : 1979年8月
跡地は「朝日座食堂」。

1898年(明治31年)には組合立の芝居小屋である朝日座が開場し、翌1899年(明治32年)12月に行った活動写真の興行は中之条町初の映画上映であると思われます。1923年(大正12年)には株式会社朝日劇場が設立されており、映画館名簿の年度によっては朝日座ではなく朝日劇場として掲載されています。

中之条町歴史と民俗の博物館「ミュゼ」には1904年(明治37年)の「中之条町市街略図」が展示されています。東西に延びる通り沿いに多数の店舗が描かれていますが、〈煙草商 後藤元治郎〉から路地を北に入った場所に〈劇場 朝日座〉の文字が見えます。かつて中之条町では葉たばこの栽培が盛んに行われていたとされ、煙草商が数軒あるのが目につきます。現在、朝日座跡地に向かう路地の入口右側には旧廣盛酒造がありますが、この造り酒屋に相当する商店は描かれていないように思われます。

(写真)劇場 朝日座が描かれている「中之条町市街略図」。中之条町歴史と民俗の博物館「ミュゼ」の展示。

(写真)劇場 朝日座が描かれている「中之条町市街略図」。中之条町歴史と民俗の博物館「ミュゼ」の展示。

 

「ミュゼ」には1924年(大正13年)の「劇場入場券」も展示されていました。数ミリの厚さを持つ木製の入場券であり、墨で〈近藤太郎殿〉と書かれていることから、株主に対して入場引換券として渡されたものでしょうか。

(写真)1924年の朝日劇場の入場券。中之条町歴史と民俗の博物館「ミュゼ」の展示。

 

1964年(昭和39年)の映画館名簿には東映・大映・洋画の上映館として掲載されています。1960年代中頃の定員は560人ですが、晩年の映画館名簿に掲載された客席数は130席に減少しており、大きな改修を行った可能性があります。戦後の経営者はまず関晋三であり、やがて関茂三郎に変わっています。テレビの普及などが理由で、1979年(昭和54年)8月に閉館し、1980年(昭和55年)5月に建物が解体されました。跡地には朝日座食堂が建っており、名称は映画館名に因んでいるとのことです。

(写真)中之条町の2館が掲載されている『映画便覧 1968』時事通信社、1968年。

(写真)朝日座跡地にある朝日座食堂。

 

中之条町の映画館について調べたことは「群馬県の映画館 - 消えた映画館の記憶」に掲載しており、その所在地については「消えた映画館の記憶地図(群馬県版)」にマッピングしています。

hekikaicinema.memo.wiki

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