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中之条町の林昌寺を訪れる

(写真)林昌寺境内。しだれ桜は中之条町天然記念物。

2025年(令和7年)12月、群馬県吾妻郡中之条町にある林昌寺を訪れました。「中之条町の映画館」に続きます。

 

1. 林昌寺を訪れる

1.1 林昌寺の歴史

中之条町伊勢町1002にある林昌寺は曹洞宗の寺院であり、高崎市箕郷町富岡にある長純寺の末寺です。文安年間(1444年-1449年)に天台宗の寺として創建され、永禄4年(1561年)に曹洞宗に改宗した後、戦国時代の文禄3年(1594年)には吾妻郡を平定した矢沢頼綱によって中興され、江戸時代の寛永16年(1639年)に現在地に移りました。赤色のトタン屋根が印象的な山門は元文年間(1736年-1741年)建立です。

中之条市街地は小規模ながらも深い胡桃沢川を境に、中之条町役場や中之条町歴史と民俗の博物館「ミュゼ」がある中之条町地区、JR中之条駅中之条町立中之条小学校などがある伊勢町地区に二分されていますが、林昌寺は伊勢町地区側の胡桃沢川河畔にあります。

(写真)林昌寺本堂。

(写真)林昌寺山門。

(写真)板碑としだれ桜の説明看板。

 

1.2 林昌寺梵鐘

鐘楼は貞享元年(1684年)建立であり、境内の建造物では最も古いと思われます。梵鐘は1964年(昭和39年)4月に茨城県真壁郡真壁町(現・桜川市真壁)の小田部庄右衛門(小田部鋳造)によって再鋳されたものです。梵鐘表面の池の間には由来記が陽鋳されています。小田部鋳造は関東最大の梵鐘メーカーですが、中部地方以西では見たことがありません。なお、中之条市街地にもう1軒だけある清見寺の梵鐘もやはり1964年(昭和39年)再鋳とのことです。

旧鐘は当山六世棟峯雲梁和尚の時に造るも十一世究竟驢参和尚本寺を中興し安永四年更に大鐘を鋳る尓来百七十年法の恵み遍かりしが第二次世界大戦おこるや両鐘ともに国難に殉せしめて今亡し空白すでに二十年老衲偶と感あり発願して〇を拂し檀越進むで喜捨し茲に三度華鯨成る 声は〇谷を震はせ響は越嶺に及ぶ冀は一切有情菩提を證し得ん事を

昭和三十九年四月十八日 群馬県吾妻郡中之條町 当山二十三世七十七叟柴田實

(写真)林昌寺梵鐘。

1.3 「災変受難供養碑」

有史以来最大の噴火とも言われる天明3年(1783年)7月8日の浅間山大噴火の犠牲者の供養碑です。10時頃に爆発して火砕流を噴出すると、11時過ぎには吾妻川を流下して中之条町付近に達し、流域では2000人の死者を出したとのことです。噴火後には異常気象によって天明の大飢饉が起こり、周辺地域では長期間にわたって疲弊が続きました。浅間山大噴火の200回忌として、1983年(昭和58年)11月には山門前に「災変受難供養碑」が建立されました。

なお、林昌寺の境内には「萬國戦死者供養塔」や「おろかもの之碑 - Wikipedia」などの石碑もあります。もともと「おろかもの之碑」は大國魂神社境内に建立されましたが、太平洋戦争に出征した軍人を〈おろかもの〉とみなすことに対する遺族会からの抗議を経て、林昌寺境内に移設された経緯があります。

(写真)「災変受難供養碑」。




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