
2025年(令和7年)12月23日(火)、群馬県前橋市で開催された「前橋工科大特別講義&まち歩き」に参加しました。「前橋工科大特別講義&まち歩き」に参加する(2)に続きます。
1. 「前橋工科大特別講義&まち歩き」
1.1 連続企画「映画はどこから生まれるのか」
本企画は映画監督の飯塚花笑監督が3大学と連携した連続企画「映画はどこから生まれるのか~前橋~発信する映画づくり~」の一環です。
「前橋工科大特別講義&まち歩き」は公立の前橋工科大学で建築学の教員を務める臼井敬太郎教授などと連携し、前橋市の映画館史などの特別講義、映画館跡地巡りやロケ地巡りなどのまち歩きが行われました。コーディネーターである中村ひろみさんは舞台女優であるだけではなく、演劇プロデューサーや演出家としても活動しています。
飯塚花笑監督の最新作である『ブルーボーイ事件』はこの11月に公開されています。2022年公開の『フタリノセカイ』、2023年公開の『世界は僕らに気づかない』に続けて、LGBTQ(性的少数者)を主人公に据えた作品であり、全体の8割が前橋市内で撮影されたとのこと。シネコンも含めて上映館は全国100館を超え、口コミで話題となって高評価を得ています。飯塚花笑監督は経営する映画制作会社「スタジオ6.11」で映画制作を行うだけでなく、演技レッスンやフィルムコミッションの活動なども行っており、地方に拠点を置いた映画制作が地域おこしにもつながるという点を強調していました。

(写真)中村ひろみさんと飯塚花笑監督。

(写真)会場のcomm。
1.2 前橋映画館史と映画制作の講義
中村ひろみさんによる「前橋の芝居小屋と昭和の映画館」の講義も興味深いものでした。東海地方では岐阜県域に農村歌舞伎舞台が数多く建てられており、その他には兵庫県や長野県などの内陸部にも多く見られますが、群馬県も農村歌舞伎の歴史において重要な地域だそうです。宝暦2年(1752年)に始まった横室歌舞伎は日本における農村歌舞伎の先駆けとされ、また、文政2年(1819年)竣工の上三原田の歌舞伎舞台は現存する世界最古級の廻り舞台を有しています。

(写真)「前橋の芝居小屋と昭和の映画館」レジュメ。

(写真)前橋の映画館史の年表。

(写真)『ブルーボーイ事件』チラシ。
1.3 『ブルーボーイ事件』ロケ地巡り
講義会場であるcommは全蓋式アーケードの前橋中央通り商店街にありますが、『ブルーボーイ事件』のロケ地や映画館跡地も周辺に固まっています。約1時間の講義の後はまち歩きに繰り出し、数か所で飯塚花笑監督からロケ地の説明、中村ひろみさんから映画館跡地の説明を受けました。
『ブルーボーイ事件』の舞台は1960年代の東京です。スズラン百貨店は東側の本館と西側の新館(旧丸井前橋店)が連絡通路で連結されており、連絡通路がある路地沿いには大理石の壁面に赤色の庇テントが架かっている部分があります。主人公のサチ(中川未悠)と狩野弁護士(錦戸亮)が出会うシーンはこの場所を望遠レンズで撮ったそうです。

(写真)すずらん百貨店脇の路地について説明する飯塚花笑監督。
近年の前橋市では商業施設が閉鎖されたり空きビルが増加するなどの問題が発生しています。銀座通りのハウゼビル(通称:グーチョキパービル)からはバブル時代の匂いを感じますが、キャバレーだった3階がバーのロケ地になるなど、本作の撮影時には大活躍だったそうです。
法廷映画である本作では法廷のロケ地も重要ですが、東京地方裁判所の外観やロビーには群馬県民会館が用いられたそうです。群馬県民会館の設計者は岡田新一ですが、岡田は最高裁判所の設計者でもあり、両者の外観の雰囲気はよく似ています。群馬県立図書館(1978年)、八戸市立図書館(1984年)、徳島県立図書館(1989年)、小田原市立中央図書館(1994年)、金沢市立泉野図書館(1994年)、岐阜県図書館(1995年)、新潟市立中央図書館(2007年)、日進市立図書館(2008年)など、岡田は多数の公共図書館も設計しています。


(写真)ハウゼビルと群馬県民会館で説明する飯塚花笑監督。
1.4 前橋市街地の映画館跡地巡り
commがある中央通り商店街の東100mには、やはり全蓋式アーケードのオリオン通り商店街があります。名称は戦後に開館した映画館「オリオン座」(1947年開館-1957年閉館)に由来しており、後継の映画館ビル「オリオン座ビル」(1957年開館-2003年閉館)は最大4館が入っていました。
群馬県初のシネコンは1996年(平成8年)開館の太田コロナシネマワールドですが、前橋市の既存興行館に影響を与えたのは1999年(平成11年)開館のMOVIX伊勢崎だと思われ、2001年(平成13年)には109シネマズ高崎も開館しました。2000年(平成12年)時点の前橋市には4スクリーンの前橋オリオン座、2スクリーンの前橋文映、2スクリーンの前橋テアトル西友の3施設8館がありましたが、同年には前橋文映が閉館し、2003年(平成15年)には前橋オリオン座も閉館しています。
前橋オリオン座ビルの跡地は広い駐車場となっていますが、アーケードに吊り下げられた「映画ロードショウ オリオン座ビル」の看板は20年以上たった現在も残っています。

(写真)前橋オリオン座ビル跡地で説明する中村ひろみさんと参加者。

(写真)前橋オリオン座ビルの看板。
前橋オリオン座ビルの東50m、繭市場通りと千代田通りの交差点近くのビルには「前橋スバル」(1981年頃開館-1989年頃閉館)がありました。2棟のビルが連結した奇妙な形状であり、奥側の棟の2階にはスナック 済州島が入っていますが、このスナックの場所に映画館があったそうです。

(写真)前橋スバル跡地で説明する中村ひろみさんと参加者。
銀座通りはアーツ前橋の北側で緩やかに湾曲していますが、2023年(令和5年)にオープンしたまえばしガレリアの地点には「前橋シネマ・前橋国際劇場」(1955年開館-1982年頃閉館)と「前橋ヒカリ座」(1919年開館-1972年頃閉館)が並んでおり、その北側には「前橋銀星座」(1945年9月開館-1961年閉館)もありました。
私は2022年(令和4年)1月に前橋市街地の映画館跡地を散策していますが、後にまえばしガレリアが建つ地点は寂しい駐車場だったことを記憶しています。映画館跡地は大きな敷地が取れるため、町村部や中小都市では駐車場に転用されている例が多く見られますが、県庁所在地でこれほど駐車場となっている映画館跡地が多いことに愕然としました。アートを中心とする商業施設が建ったことで、銀座通りの印象は大きく変化しています。

(写真)前橋シネマ・前橋国際劇場などの跡地で説明する中村ひろみさんと参加者。

(写真)1961年の航空写真における中心市街地の映画館。地図・空中写真閲覧サービス