
(写真)太陽の鐘。
2025年(令和7年)12月、群馬県前橋市の中心市街地を訪れました。「前橋市街地の梵鐘(1)」からの続きです。
1. 前橋市街地の梵鐘
1.5 「太陽の鐘」(1966年、岡本太郎制作)
中心市街地を流れる広瀬川と柳並木は前橋市を象徴する景観ですが、千代田町5丁目の広瀬川河岸には「太陽の鐘」が据えられています。鐘の上部には腕を太陽に向かって伸ばしているような人型のモチーフが数体据えられており、これは生命の歓喜やエネルギーの爆発を表現しているとのことです。また、鐘撞き棒から見て右側には大阪府の万博記念公園にある「太陽の塔」にも見られる太陽の顔が浮き彫りにされています。
これは1966年(昭和41年)に現代美術家の岡本太郎が制作した梵鐘であり、もとは静岡県伊豆の国市の日通伊豆富士見ランドに設置されていましたが、2018年(平成30年)に前橋市に移設されました。移設の際には建築家の藤本壮介がランドスケープデザインを担当しており、長さ22.5mの鐘撞き棒が木立の中に一直線に伸びる斬新な景観を創り出しています。

(写真)太陽の鐘。

(写真)太陽の鐘の鐘撞き棒。
なお、岡本太郎は2点の梵鐘を制作しており、もう片方は愛知県名古屋市の久国寺にある「歓喜の鐘」です。「太陽の鐘」と「歓喜の鐘」の鋳造を担ったのは三重県桑名市の中川正知(中川梵鐘)であり、『久国寺誌』は制作の背景にも言及していますが、岡本太郎のデザインを尊重しながら響きのよい鐘に仕上げるのには苦労も多かったと思われます。

(写真)広瀬川。
1.6 永寿寺梵鐘(1986年、鴇田力鋳造)
前橋駅に近い前橋市本町には日蓮宗の永寿寺があります。高さのある鉄筋コンクリート造の本堂であり、2階部分にある玄関脇に梵鐘が吊るされています。1986年(昭和61年)12月に栃木県足利市の鴇田力(ときたつとむ、トキタ商事)が鋳造したものです。
なお、すでに紹介した隆興寺梵鐘は1960年(昭和35年)に富山県高岡市の老子次右衛門が鋳造したものですが、〈設計意匠〉として鴇田力の名前も見られます。

(写真)永寿寺。

(写真)永寿寺梵鐘。

(写真)永寿寺梵鐘。
1.7 龍海院梵鐘(1996年、鋳造者不詳)
龍海院は前橋市紅雲町にある曹洞宗の寺院です。享禄3年(1530年)、徳川家康の祖父である松平清康を開基として三河国岡崎に創建され、清康の家臣である酒井氏の菩提寺となりました。酒井氏の前橋転封に合わせて慶長6年(1601年)には前橋城下に移転し、寛延2年(1749年)の姫路転封の際には前橋に留まりました。広大な境内には前橋藩主酒井氏歴代墓地などがあります。

(写真)龍海院。


(写真)龍海院山門と前橋藩主酒井氏歴代墓地。
楼門形式の山門は天保12年(1841年)竣工です。山門とは別に袴腰鐘楼がありますが、入口の扉は閉じられていて中に入ることはできません。鐘楼の手前には〈大梵鐘再鋳趣意書〉と書かれた石碑があり、太平洋戦争中の1944年(昭和19年)3月に梵鐘が供出された後、半世紀以上経った1996年(平成8年)5月に梵鐘を再鋳した旨が刻まれています。梵鐘の口径は3尺2寸(約96cm)、重量は300貫(約1125kg)という大型の梵鐘のようです。
大梵鐘再鋳趣意書
当山の大梵鐘は世界大戦のため昭和十九年三月国家の為に供出されました。戦後幾星霜五十年の歳月が過ぎ去りました。この度役員会に於いて開創以来連綿として継承して来た龍海院の姿を具現すべく鐘楼堂を補修して御先祖代々の報恩供養と檀信徒各位の家内安全福寿無量併せて世界人類の平和を祈念いたして檀信徒一同にて大梵鐘を再鋳す
平成八年五月二十七日 当山三十七世 発願主龍璋一雄
口径三尺二寸 重量三百貫


(写真)龍海院鐘楼と「大梵鐘再鋳趣意書」。
1.8 正幸寺梵鐘(1996年、老子次右衛門鋳造)
前橋市三河町は複数の寺院が並ぶ寺町を形成しており、最も東側には浄土宗の正幸寺があります。比較的珍しい妻入の本堂であり、壁や柱が赤色に塗られている点も特徴的です。鐘楼に吊るされている梵鐘は龍海院梵鐘と同年の1996年(平成8年)に老子次右衛門が鋳造したものです。

(写真)正幸寺。

(写真)正幸寺鐘楼。

(写真)正幸寺梵鐘。