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2025年(令和7年)12月、群馬県前橋市の中心市街地を訪れました。「前橋市街地の梵鐘(2)」に続きます。
紹介する梵鐘
妙安寺梵鐘 - 室町時代鋳造。藤原吉久(群馬県)。群馬県指定文化財。
橋林寺梵鐘 - 1895年鋳造。山岸九郎兵衛(新潟県)。
太陽の鐘 - 1966年鋳造。岡本太郎制作。中川梵鐘(三重県)。
永寿寺梵鐘 - 1986年鋳造。鴇田力(栃木県)。
龍海院梵鐘 - 1996年鋳造。鋳造者不詳。
1. 前橋市街地の梵鐘
1.1 妙安寺梵鐘(南北朝時代、藤原吉久鋳造、県指定文化財)
前橋市立川町の妙安寺は真宗大谷派の寺院。1945年(昭和20年)8月5日には前橋市街地が前橋空襲を受けており、妙安寺の本堂は戦後に再建された鉄筋コンクリート造の建物です。なお、東側には大蓮寺がありますが、大蓮寺は妙安寺より高さのある2階建ての本堂です。

(写真)妙安寺。

(写真)妙安寺鐘楼。
妙安寺の鐘楼には、南北朝時代に鋳造された高さ86cm、口径54cmの梵鐘が吊るされています。大きな絵柄は陽鋳されておらず、草の間に唐草模様がみられるだけの簡素な意匠です。造形も現代の梵鐘とほぼ変わらず、説明看板がなければ600年以上前の梵鐘とは気づきません。
関ヶ原の戦い翌年の慶長6年(1601年)には酒井氏が前橋に転封されて前橋藩初代藩主となっていますが、妙安寺も酒井氏に伴って川越から前橋に移転しており、梵鐘はこの際に妙安寺に移設されたようです。1942年(昭和17年)には金属類回収令に基づいて全国の寺院から梵鐘が供出されましたが、慶長年間(1596年-1615年)以前の梵鐘は文化財的価値を評価されて供出を免れており、妙安寺梵鐘も供出されずに現在に至っているようです。
妙安寺梵鐘は群馬県指定文化財に指定されています。梵鐘の個体によって文化財的評価にはばらつきがありますが、室町時代中期以前に鋳造された梵鐘の過半数は市町村指定文化財ではなく都道府県指定文化財に指定されているようです。

(写真)妙安寺梵鐘。

(写真)妙安寺梵鐘。
1.2 橋林寺梵鐘(1895年、山岸九郎兵衛鋳造)
橋林寺は前橋市住吉町にある曹洞宗の寺院。1932年(昭和7年)には鉄筋コンクリート技術の先駆者とされる中村鎮の設計で納骨堂が竣工。1945年(昭和20年)の前橋空襲では本堂などが焼失したため、納骨堂が本堂に転用されています。戦後には本堂が再建されたため、この建物は開山堂に転換されています。コンクリートブロック造(CB造)という個性的な工法の建物は境内で存在感を放っています。

(写真)橋林寺本堂。

(写真)橋林寺開山堂。


(写真)橋林寺鐘楼と開山堂。

(写真)橋林寺梵鐘。
橋林寺梵鐘は妙安寺梵鐘と同様に意匠が少ないのですが、縦横の帯が草の間にも進出している点が珍しい。乳は四方に5列×5段があって計100個です。上部の乳の間と同じ高さには「明治廿八年九月廿八日」と鋳造年が陽鋳されており、中央部の池の間には「鋳造師 山岸九郎兵衛」と鋳造者が陰刻されていました。
戦時中の金属供出の際には、坪井良平の論文「慶長末年以前の梵鐘」を根拠にして慶長年間以前の梵鐘が供出の対象外となり、また、江戸時代に鋳造された一定数の梵鐘も供出を免れました。一方で、明治・大正・昭和初期の梵鐘はほぼ全てが供出されたため、現在の寺院でこの時代の梵鐘を見ることはほとんどありません。
体感では「明治・大正・昭和初期の梵鐘」の個数は「江戸時代の梵鐘」の1割程度でしかなく、橋林寺梵鐘は文化財指定こそされていないものの稀少価値の高い梵鐘です。毎年12月31日の大晦日には「除夜の鐘」としてこの梵鐘を撞くことができるようです。

(写真)橋林寺梵鐘。

(写真)橋林寺梵鐘。
1.3 隆興寺梵鐘(1960年、老子次右衛門鋳造)
私が愛知県碧海地域を対象として実施した調査では、戦後に鋳造された梵鐘の70%が1946年(昭和21年)から1950年(昭和25年)までの5年間に鋳造されていました。しかし、前橋市の中心市街地にはこの期間に鋳造された梵鐘はなく、戦後初の梵鐘は1960年(昭和35年)に富山県高岡市の老子次右衛門(老子製作所)が鋳造した隆興寺梵鐘です。前橋市は戦時中の前橋空襲で大きな被害を受けているため、戦後には檀家の復興を優先させた寺院が多いのかもしれません。

(写真)隆興寺。
1.4 東福寺(梵鐘なし)
前橋市三河町の東福寺は真言宗の寺院であり、アジア的と言える重層の屋根や鳥衾状の突起などが個性的です。東福寺は梵鐘を有していませんが、墓地入口にはミニチュア梵鐘が置かれていました。なお、梵鐘や半鐘に類似する性格を持つ鰐口は前橋市指定文化財です。

(写真)東福寺。

(写真)東福寺のミニチュア梵鐘。