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新潟市西堀通寺町の梵鐘(2)

(写真)正福寺鐘楼。

2025年(令和7年)12月、新潟県新潟市の西堀通りにある寺町を訪れました。「新潟市西堀通寺町の梵鐘(1)」からの続きです。「新潟市西堀通寺町の梵鐘(3)」に続きます。

 

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1. 西堀通寺町の梵鐘

1.4 浄泉寺(鐘楼のみあり)

真宗大谷派の浄泉寺には梵鐘が吊り下げられていない鐘楼があります。太平洋戦争中の1942年(昭和17年)頃に供出(金属供出)され、戦後にも再鋳されなかったものと思われます。入母屋屋根の鐘楼やコンクリートの基壇は新しそうなのが気になるのですが…。鐘楼の造形はシンプルであるものの、格天井や扇垂木が用いられていて立派です。

(写真)浄泉寺。

(写真)浄泉寺鐘楼。

(写真)浄泉寺鐘楼。

 

1.5 正福寺梵鐘(1955年 加藤忠三郎鋳造)

真宗大谷派の正福寺には1869年(明治2年)に施蘭薬院が設置され、新潟県で初めて西洋医療が行われた場所とのことです。まるで蔵のような本堂はなまこ壁風の意匠を持ち、白く塗られた柱の中で虹梁の文様のみは緑色に塗られている点が独特です。鐘楼は煉瓦の基壇である点が珍しく、また基壇の低さも他の鐘楼と異なる点です。

(写真)正福寺。

(写真)正福寺鐘楼。

(写真)正福寺鐘楼。

 

梵鐘には「鋳師 名古屋 十一代忠三朗」と陽鋳されており、1955年(昭和30年)に愛知県名古屋市の加藤忠三郎(※朗ではない)が鋳造したもの。愛知県周辺で多く見かける鋳造者ですが、本貫地である「名古屋」という文字が陽鋳されているものは珍しい。また、音響面の監修者として京都工芸繊維大学青木一郎博士の名前も陽鋳されています。最も大きな絵柄は音声菩薩。

(写真)正福寺梵鐘。

(写真)正福寺梵鐘。

 

1.6 勝楽寺梵鐘(1947年 渡邊鋳造所鋳造)

勝楽寺の梵鐘は1947年(昭和22年)に新潟市の渡邊鋳造所が鋳造したものであり、代表者として渡邊政吉、その他の鋳工として渡邊政次と鰐渕長治郎の名前が陽鋳されています。勝楽寺梵鐘には所在地について「新潟市」とだけ陽鋳されていますが、新潟市歴史博物館みなとぴあの北側、現在の新潟市中央区東入船町に工場があったようです。

新潟市内の別の寺院でも渡邊鋳造所の梵鐘を見かけたことがありますが、西堀通寺町では勝楽寺のものが唯一です。地元の鋳造者ということで輸送時の時間的・金銭的負担が少なく、また豪雪地帯の気候に適した梵鐘の鋳造に強みがあるのではないかと思われますが、他の寺院は県外の鋳造者に依頼しています。

(写真)勝楽寺。

(写真)勝楽寺鐘楼と梵鐘。

(写真)勝楽寺梵鐘。




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