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古川為三郎に関する史跡

(写真)古川為三郎の墓石。

古川為三郎(古川爲三郞)はヘラルドグループの創業者であり、昭和期の日本を代表する実業家のひとりです。名古屋市には為三郎に関する史跡がいくつかあります。

 

1. 古川為三郎の経歴

1890年(明治23年)、愛知県中島郡萩原村(現・一宮市)の中野家に為三郎が生まれると、幼少期に遠縁の古川己之助の養子となり、貴金属商の古川己之助商店を再興させました。1921年(大正10年)には大須の映画館「太陽館」の経営者となり、興行主としての道を歩み始めます。昭和初期には平安通今池にも映画館を開館させ、貴金属商を廃業して本格的に映画館経営者となりました。

名古屋大空襲では為三郎が経営していた映画館も大きな被害を受けますが、1960年(昭和35年)には名古屋駅前に毎日ホール大劇場、1964年(昭和39年)には中日シネラマ会館(後のヘラルドシネプラザ)を開館させ、さらにボウリング場、ゴルフ場、スキー場などのレジャー産業にも手を広げてヘラルドグループを拡大させています。1988年(昭和63年)にはアメリカの『フォーチュン』誌によって「世界最高齢の富豪」として紹介され、1993年(平成5年)に103歳で死去しました。

2025年(令和7年)1月にはWikipedia「古川為三郎」を大幅加筆しました。

ja.wikipedia.org

(写真)大須の太陽館。

(左)青年期の古川為三郎。(右)壮年期の古川為三郎。

 

2. 古川為三郎に関する史跡

2.1 爲三郎記念館(名古屋市千種区堀割町)

戦後に為三郎が住んでいたのは名古屋市営地下鉄東山線池下駅の北側でした。為三郎の死後の2007年(平成15年)、主屋や庭園などが古川美術館分館の爲三郎記念館となっています。

(写真)茶室 知足庵。

(写真)爲春亭。

(写真)爲春亭。

 

2.2 大須観音名古屋市中区大須

1945年(昭和20年)の名古屋大空襲では大須観音の本堂や仁王門も焼失しましたが、戦後には境内の整備が進められ、1970年(昭和45年)には現行の本堂が再建されました。大須観音の境内には寄進者名を刻んだ玉垣が数多く並んでおり、仁王門の左脇には古川為三郎の名前も見えます。名古屋市内の大企業の名前も数多くありますが、この玉垣はヘラルドグループ名義ではなく為三郎の個人名義です。

(写真)大須観音玉垣

(写真)大須観音

 

2.3 覚音寺(名古屋市東区新出来)

古川家の菩提寺は徳源寺の東側にある覚音寺です。鐘楼には1976年(昭和51年)4月に再鋳造された梵鐘が吊られており、「(信徒)総代 古川為三郎」という文字も刻まれています。鋳物師は京都市の若林仏具製作所の(2代目または3代目)西澤吉太郎であり、初代は横浜市にある總持寺大梵鐘を鋳造した人物です。

(写真)覚音寺梵鐘。

(写真)覚音寺。

 

2.4 覚王山日泰寺墓地(名古屋市千種区自由ケ丘) 

覚王山日泰寺墓地には様々な著名人の墓がありますが、東墓地の中央部には古川家の墓があり、3基並ぶ墓石の中央が為三郎の墓です。

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(写真)古川家の墓。中央が古川為三郎の墓。

(写真)覚王山日泰寺墓地(東墓地)における著名人の墓。

(写真)覚王山日泰寺

 




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