
(写真)金堂の弘誓寺。
2025年(令和7年)12月、滋賀県東近江市を訪れました。五個荘金堂町の弘誓寺の境内、小田苅町の金壽堂第二工場の敷地内にそれぞれコンクリート製代替梵鐘が置かれています。
1. 東近江市の代替梵鐘
1.1 弘誓寺(五個荘金堂町)
東近江市五個荘金堂町(旧・神崎郡五個荘町)は近江商人を構成する小幡商人の拠点として栄えた地区であり、商人屋敷や寺院が集まった集落は「東近江市五個荘金堂」として重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。堀に囲まれた大きな敷地を持つ寺院が真宗大谷派の弘誓寺(ぐぜいじ)であり、宝暦5年(1755年)に建てられた本堂は重要文化財に指定されています。

(写真)弘誓寺本堂。重要文化財。
なお、元禄5年(1692年)の表門、寛政12年(1800年)の鐘楼の2棟は東近江市指定文化財に指定されています。境内の南西隅にある鐘楼には、1949年(昭和24年)9月に西澤吉太郎が鋳造した梵鐘が吊るされており、「近江国神崎郡三俣 鋳匠西澤吉太郎鋳之」。と陽鋳されています。西澤吉太郎は五個荘竜田町に拠点を置いていた鋳物師であり、西澤吉太郎家は弘誓寺からわずか1kmの距離にあります。

(写真)弘誓寺鐘楼と代替梵鐘。

(写真)西澤吉太郎が鋳造した弘誓寺梵鐘。
鐘楼の脇にはコンクリート製の代替梵鐘が置かれています。代替梵鐘とは、太平洋戦争時に金属類回収令によって供出された梵鐘の代わりに製造された物のことであり、鐘楼を安定させるために重しとして吊り下げられていたものです。旧梵鐘の供出はおそらく1942年(昭和17年)であり、現梵鐘の鋳造が1949年(昭和24年)ですので、わずか7年間ほどしか用いられなかったことになります。ayc.hatenablog.com
弘誓寺の代替梵鐘はほぼ円筒形で、一般的な梵鐘よりも細長い。梵鐘に必ず存在する乳や撞座は省略されており、梵鐘の竜頭に相当する部分はU字型の金属でできています。撞いて音を鳴らすために梵鐘は中空となっていますが、この代替梵鐘はコンクリートを型枠に流し込んだだけの製造方法と思われます。極めて粗野な印象を受ける外観であり、物資が不足していた戦時中という背景を想像させられます。

(写真)弘誓寺のコンクリート製代替梵鐘。
1.2 金壽堂第二工場(小田苅町)
弘誓寺から約5km南東、愛知川を渡った先には長村鋳物師に源を持つ金壽堂(きんじゅどう)があります。本社・第一工場の南150mには第二工場があり、滋賀県道221号に面した敷地内にはやはりコンクリート製の代替梵鐘が置かれています。
竜頭に相当する部分がU字型の金属でできている点は弘誓寺の代替梵鐘と同様ですが、上部には乳を模した突起が付いていた痕跡があり、また撞座に相当する部分も銭で描かれています。形状も一般的な梵鐘とほぼ同一であり、弘誓寺の代替梵鐘と比べると梵鐘らしさの表現に工夫が見られます。

(写真)金壽堂第二工場のコンクリート製代替梵鐘。
一般的な梵鐘には鋳造年月や鋳造者名の銘があるものですが、この代替梵鐘にも製造年月が「昭和拾八年四月」(1943年4月)とあります。製造者名は確認できませんが、「龍徳山 浄満寺」という文字も見えます。和歌山県有田市にはこの山号と寺号を持つ寺があるため、戦後に金壽堂が浄満寺の梵鐘を鋳造した際に引き取ったものと思われます。

(写真)金壽堂第二工場のコンクリート製代替梵鐘。

(写真)金壽堂第二工場のコンクリート製代替梵鐘。
なお、金壽堂は近年まで梵鐘鋳造を続けており、愛知県内の寺院にも当主の名である「黄地佐平」の銘が入った梵鐘が多数あります。2021年(令和3年)に操業を停止した後には、大正時代の工場を地域イベントに活用する試みも行われています。

(写真)金壽堂。

(写真)金壽堂の工場。