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横浜市の總持寺大梵鐘を訪れる

(写真)總持寺梵鐘。

2025年(令和7年)11月、神奈川県横浜市鶴見区にある曹洞宗大本山總持寺を訪れました。

 

1. 總持寺を訪れる

もともと總持寺は石川県鳳珠郡門前町にありましたが、1898年(明治31年)の伽藍焼失を機に移転が計画され、1911年(明治44年)に神奈川県横浜市(現・鶴見区)に移転しました。現在の總持寺の建物の多くは大正時代に建てられたものです。いずれも竣工から約100年が建っており、大雄宝殿(仏殿)を代表とする建物の多くが登録文化財となっています。

 

1.1 總持寺大梵鐘

1915年(大正4年)竣工の鐘楼も登録有形文化財に登録されていますが、鐘楼に吊るされた大梵鐘は1913年(大正2年)鋳造であり、横浜市指定文化財に指定されています。

図案は東京帝国大学を出たばかりの渡辺仁であり、後に銀座の和光(旧服部時計店)などを設計する建築家です。鋳造技師は京都の高橋才治郎(高橋鐘聲堂)と西澤吉太郎であり、巨大すぎて運搬が困難なために境内に鋳造所を仮設して鋳造する方式が取られたようです。

(写真)總持寺鐘楼。登録有形文化財

(写真)總持寺梵鐘。

 

大梵鐘は現在でも関東最大級の梵鐘だそうで、直径は1.9m、高さは3.2m、重量は約18.5トンあります。写真では大きさが伝わりにくいのですが、厚みだけ見ても一般的な梵鐘の2倍くらいありました。

(写真)總持寺梵鐘。

(写真)總持寺梵鐘。

 

2. 鋳造者

2.1 高橋才治郎

高橋才治郎は京都出身であり、東山の「大仏村」(旧方広寺大仏殿跡があった地区)に生まれた。実業家で「煙草王」と呼ばれた村井吉兵衛1864年-1926年)は幼少期の友人である。

9歳の時には京都・御幸町通万寿寺にある仏具店に奉公に出され、20歳の時に独立して仏具屋を始めた。27歳の時には結婚し、その後京都・仏光寺通に店を構えた。1913年(大正2年)には梵鐘や金仏などを鋳造するための鋳金工場を設立し、間もなく横浜の總持寺の梵鐘鋳造に関与した。設計図案は工学博士の渡辺仁であり、製作顧問が東京帝国大学教授の伊藤忠太、東京美術学校の桜岡三四郎だった。1935年(昭和10年)には、根津嘉一郎が計画した朝霞大仏に附属する梵鐘を鋳造した。

出典:森田英亮「鐘を造って六十年 京都鐘聲堂主人 高橋才治郎」『苦闘の道を語る』金星堂、1939年、pp.103-116

 

慶應元年(1865年)、高橋才治郎は大仏方広寺の近くに生まれた。1885年(明治18年)に仏具商を開業し、明治末期には東寺近くに鋳物工場を設立して梵鐘の鋳造を始めた。その後、高橋鋳物工場を本町9丁目に移転し、横浜市總持寺梵鐘、埼玉県の朝霞梵鐘などを鋳造した。明治末期から昭和初期にかけて、高橋才治郎は京都市唯一の鋳鐘業者だった。戦後の1953年(昭和28年)、89歳で死去した。

出典:『京都の明治文化財 美術・工芸』京都府文化財保護基金、1970年、p.222。

福知山の鋳物師町には足立小右衛門の「鍋小」があり、豊臣秀頼方広寺に寄進した梵鐘の鋳造にも携わったほか、明治時代以後も梵鐘を鋳造している。幕末以後の京都に梵鐘の鋳物師は少なく、明治末期に高橋才治郎が梵鐘の鋳造を始めた際、京都府下の梵鐘鋳造者は「鍋小」のみだったとされる。滋賀県には3軒ほど古い梵鐘鋳造者があり、京都の仏具商などを通じて販売されていた。戦時中には全国で約5万個の梵鐘が供出され、うち3割は明治時代以後に鋳造されたものと推測されている。

出典:『京都の明治文化財 美術・工芸』京都府文化財保護基金、1970年、p.214

 

2.2 西澤吉太郎

滋賀県神崎郡五個荘町三俣(現・東近江市)は三俣鋳物師の里として知られる。江戸時代には徳田家が銅鋳物の鋳造工場を構えており、安政年間(1855年-1860年)には何らかの理由で徳田姓から西澤姓に変わったとされる。旧中山道に面して西澤家があり、門前には梵鐘が置かれている。

 

1 西澤左右衛門

 

2 西澤伊助

天保13年(1842年)11月8日、愛知郡下一色村(後の湖東町)の植本家に生まれた。西澤家に養子に入ったと思われ、1876年(明治9年)に西澤家の家督を相続した。1890年(明治23年)に隠遁した。1908年(明治41年)に死去したとされる。

 

3 初代西澤吉太郎

1868年(明治元年)に生まれ、22歳だった1890年(明治23年)に家督を相続した。1897年(明治30年)には大阪博覧会に出品した。大正期頃には京都の高橋才治郎と組み、高橋が受注した梵鐘を西澤が鋳造するという関係にあり、京都で鋳造を行っていた。1914年(大正3年)には高橋と共に横浜市總持寺大梵鐘を鋳造している。1923年(大正12年)に死去した。

 

4 2代目西澤吉太郎

1903年明治36年)に生まれ、1923年(大正12年)に家督を相続した。戦後には梵鐘の需要が増大し、あらゆる鋳物師が梵鐘鋳造に携わったとも言われている。1950年(昭和25年)1月、資本金150万円で株式会社西澤梵鐘鋳造所を設立し、1952年(昭和27年)には売上高1002万円を記録した。1981年(昭和56年)4月24日には滋賀県指定無形文化財保持者に指定されたが、同年10月2日に死去した。本名は西澤健蔵。

 

5 3代目西澤吉太郎

1930年(昭和5年)に生まれた。本名は西澤吉朗。

出典:滋賀県教育委員会事務局文化部文化財保護課『近江の鋳物師 2 昭和62年度』滋賀県教育委員会、1988年、pp.45-51

 

 

 




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