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Wikipedia記事「港南台シネサロン」を作成する

(写真)港南台シネサロン。

2025年(令和7年)10月、港南台シネサロン - Wikipediaを作成しました。

 

ja.wikipedia.org

1. 映画館調査と横浜エディタソン

1.1 私の映画館調査

私(澤田佳佑、Wikipediaのアカウント名「Asturio Cantabrio」)は全国に存在した映画館の調査研究を行っています。

2024年(令和6年)には国立映画アーカイブが主催した「全国映画資料アーカイブサミット」に登壇し、「映画資料最前線:映画館文化発掘の試み」という題名のセミナーで発表しました。また同年には、慶應義塾ミュージアム・コモンズが発行する査読付き学術誌『The KeMCo Review』に、「映画館情報の蓄積と可視化:戦後の日本における消えた映画館」という題名の研究ノートを発表しています。

参考:「全国映画資料アーカイブサミット2024」実施報告」映像産業振興機構(VIPO)、2024年3月25日

参考:澤田佳佑「映画館情報の蓄積と可視化:戦後の日本における消えた映画館」『The KeMCo Review』2号、2024年(J-STAGE

 

1.2 横浜エディタソン

2025年(令和7年)10月22日から24日には、神奈川県横浜市で図書館業界の見本市「図書館総合展」が開催されました。これに合わせて、10月1日から11月24日には「横浜」をテーマにしたウィキメディアのオンラインエディタソン(編集イベント)、通称:横浜エディタソンが開催されています。

参考:「横浜エディタソンを10月に開催します! - Diff」Wadakuramon、2025年9月11日

 

1.3 編集記事の決定

私もこのエディタソンで横浜市の映画館記事をWikipediaに作成することを決め、横浜市港南区の「港南台シネサロン」を題材に選びました。

港南台シネサロンはビデオシアターとして開館し、フィルム上映館への転向、デジタル上映館への再転向を経て、現在も営業している映画館です。全国的な認知度の高い映画館ではありませんが、ビデオシアターに由来する映画館としては日本に残る唯一の映画館ではないかと思われます。新聞や雑誌に散在している情報を整理したWikipedia記事を作成することには大きな意義があると考えています。

www.konandai-birds.com

 

2. Wikipedia記事の作成

2.1 編集の経過

2019年(令和元年)10月に行われた図書館総合展の際、私は展覧会後の夜に港南台シネサロンを訪れて映画『ホテル・ムンバイ』を鑑賞しました。この際に撮影した写真は2020年(令和2年)にWikimedia Commonsにアップロードしています。

Wikipedia記事「港南台シネサロン」を作成する際には、映画館情報サイト「港町キネマ通り」の記事を骨格として用いました。また、国立国会図書館デジタルコレクションで確認した『商工ジャーナル』、各全国紙のデータベースで確認した新聞記事を記事の肉付けの素材とし、さらに、毎年発行されている『映画年鑑』や『映画館名簿』の情報も加えています。

 

2.2 移転情報の書き洩らし

 2025年(令和7年)10月15日に記事を投稿した際には、重要な情報の書き漏らしがありました。1994年(平成6年)に港南台シネサロンが隣接地のビルに移転していたことです。ビデオシアターは簡易型映画館ともいえ、一般的な映画館よりも開館のハードルが低い分、移転も容易です。港南台シネサロンの場合は移転の前後で座席数に変化がなく、隣接地への移転という些細な住所変更にとどまっていたために、私はこの歴史を見落としてしまったのです。

移転については追加編集で書き加えました。なお、港南台シネサロンが隣接地のビルに移転したのは事実であるものの、移転を裏付けるWikipedia:信頼できる情報源を見つけられていません。そのため、現状では移転に関する文章に出典を付けられておらず、Wikipedia記事として理想的な状態とは言えません。信頼できる情報源を確認でき次第、記事に追記する予定です。

(写真)港南台シネサロン。

 




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