
(写真)旭劇場と湯浅会館のポスター。
2025年(令和7年)10月、和歌山県有田郡湯浅町を訪れました。かつて湯浅町には映画館「湯浅会館」と「旭劇場」がありました。「湯浅町を訪れる」からの続きです。
2. 湯浅町の映画館
2.1 旭劇場(1930年-1971年頃)
所在地 : 和歌山県有田郡湯浅町湯浅1291(1971年)
開館年 : 1930年
閉館年 : 1971年頃
跡地は「かどや食堂」南50mの複数の民家。
広川の河口部は湯浅町と広川町の境界をなしていますが、広川の北側には島之内(島之内商店街)と呼ばれる地区があります。古い地図を見ると河川で明確に湯浅市街地と隔てられていますが、今日では川幅1~2m程度の水路があるのみです。湯浅駅から南に歩いて坂を下り、かどや食堂を超えると島之内に入ります。右(西)に折れると約150mの商店街がありますが、左(東)に折れた場所の突き当りには旭劇場がありました。

(地図)島之内が文字通り「島」のようになっている地図。「和歌山県有田郡湯浅町尾字湯浅全図」発行年不明。甚風呂の常設展示。
1927年(昭和2年)には国鉄紀勢西線(現・紀勢本線)が紀伊湯浅駅(現・湯浅駅)まで延伸され、湯浅町に初めて鉄道が通じました。これを機に島之内が埋め立てられて市街地化され、1930年(昭和5年)に旭劇場が開場したようです。
1933年(昭和8年)の『大日本職業別明細図 第434号』「湯浅町」にも旭劇場が描かれています。角長などがある市街地中心部からは約800mの距離がありますが、湯浅駅からはわずか100mの距離しかなく、近隣の他自治体からの観客を集めたと思われます。

(写真)「湯浅町」『大日本職業別明細図 第434号』1933年。
『保存版 海南・有田今昔写真帖』には昭和30年代頃の旭劇場の写真が掲載されています。甚風呂に展示されているポスターは1950年(昭和25年)公開の松竹作品『三つの結婚』と『黒い花』と『帰郷』、1951年(昭和26年)公開の東宝作品『愛と憎しみの彼方へ』、1959年(昭和34年)公開の日活作品『絞首台の下』などであり、おおむね建物の写真が撮影された時期と一致します。

(写真)昭和30年代頃の旭劇場。『保存版 海南・有田今昔写真帖』郷土出版社、2008年。


(写真)甚風呂に展示されている旭劇場の映画ポスター。
旭劇場の『映画館名簿』への掲載は1971年版が最後です。跡地は6軒分の宅地となっており、中央の路地は行き止まりとなっています。痕跡は確認できませんでした。

(写真)旭劇場跡地。両側の民家や中央の道路全て。

(写真)島之内商店街。
2.2 湯浅会館(1949年10月-1972年頃)
所在地 : 和歌山県有田郡湯浅町湯浅(1972年)
開館年 : 1949年10月
閉館年 : 1972年頃
跡地は「真楽寺」北西50mにある月極駐車場「薮田駐車場Ⅱ」。
戦後の1948年(昭和23年)、畳敷きの芝居小屋形式だった旭劇場が腰掛式座席となると、翌1949年(昭和24年)10月には湯浅市街地の中心部近くに湯浅会館が開館しました。角長から浜町通りを南に約200m歩いた場所にあり、跡地は駐車場となっています。

(写真)湯浅会館跡地の駐車場。
浜町通りの東側には中町通りがありますが、その中間には歩行者がすれ違えないような路地が伸びており、小路と呼ばれるようです。この小路の幅はわずか1m程度であり、Googleマップにも掲載されていないような小径ですが、観光マップにはきちんと掲載されていました。

(写真)湯浅会館跡地の背後にある小路。
各年版の『映画館名簿』には湯浅会館という名称で掲載されている期間が長く、甚風呂に展示されたポスターにおける名称も湯浅会館ですが、1960年代初頭の一部の『映画館名簿』には湯浅東映として掲載されています。

(写真)旭劇場と湯浅会館の映画ポスター。
湯浅町の映画館について調べたことは「和歌山県の映画館 - 消えた映画館の記憶」に掲載しており、その所在地については「消えた映画館の記憶地図(和歌山県版)」にマッピングしています。