
(写真)湯浅町のみかん畑。
2025年(令和7年)10月、和歌山県有田郡湯浅町を訪れました。「湯浅町の映画館」に続きます。
1. 湯浅町を訪れる
2020年(令和2年)には湯浅駅の駅舎を兼ねた公共施設「湯浅 えき蔵」が開業しました。この施設には観光交流センターや湯浅町立図書館も入っており、湯浅町を訪れる観光客にとって利便性の高い施設となっています。隣接地にある旧駅舎は改修されて存続しており、2023年(令和5年)には登録有形文化財にも登録されました。


(左)湯浅えき蔵。(右)湯浅駅旧駅舎。登録有形文化財。
1.1 みかんと醤油のまち
湯浅町の特産品としては有田みかんや湯浅醤油が知られています。私が訪れたのは10月中旬ということで、まだ収穫の最盛期ではありませんでしたが、「ゆら早生」などの早生品種は既に店頭に並んでいました。有田みかんは有田市と有田郡からなる有田地域の広範囲で生産されるみかんのブランドであり、嵐の中で江戸にみかんを運んだとされる紀伊國屋文左衛門は湯浅出身の商人です。

(写真)スーパーで販売されている「ゆら早生」。

(写真)江戸時代初期に用いられた弁財船(みかん船)。有田市の有田市みかん資料館。2021年9月。
2006年(平成18年)には湯浅の旧市街地が重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)に選定されました。和歌山県初の重伝建であり、醤油の醸造町としては全国初の選定です。
2017年(平成29年)には「醤油醸造の発祥の地 紀州湯浅」が日本遺産に認定されました。江戸時代初期、湯浅から房総半島に濱口家が移り、銚子で今日のヤマサ醤油を創業します。湯浅町の顯國神社には下総国の地名がみられる手水鉢があり、この手水鉢は単体で日本遺産の構成文化財となっています。
現在も湯浅の旧市街地で醸造をつづける企業として角長(かどちょう)があり、2022年には主屋や醸造蔵などが重要文化財に指定されました。


(写真)醤油を多用したかどや食堂の定食。
1.2 甚風呂
角長から約100m南には歴史民俗資料館の甚風呂があります。旧銭湯の脱衣所や浴室、その背後にある主屋内部などが展示スペースとなっています。

(写真)甚風呂。


(写真)甚風呂。

(写真)甚風呂の脱衣所。

(写真)甚風呂の主屋。
浴室内には湯浅町にあった2館の映画館に貼られていた映画ポスター(のレプリカ)が展示されていました。ポスターの下部に「当ル正月三日ヨリ昼夜二日間 ユアサ旭劇場」「〇日ヨリ〇日マデ 湯浅会館」などと書かれた差し札(上映情報を後から貼り付けた札)が貼られています。
各地域で開催される映画ポスター展において、このような紙札が貼られた状態で展示されることは稀ですが、これらは地域の上映文化を表す重要な要素であり、各館の上映系統や興行の実態を調べるうえで貴重な資料です。

(写真)甚風呂の浴室。
1.3 北浜地先埋立地
「湯浅 えき蔵」の湯浅町立図書館で『広報ゆあさ』の縮刷版を読んでいると、1965年(昭和40年)の「湯浅に新しい領土が誕生します」という記事が目に留まりました。湯浅港の整備と並行して実施された宅地造成工事であり、1965年(昭和40年)7月に完工したようです。総工費は約5億3000万円、埋立面積は約3万坪という大規模な工事であり、それまでの湯浅市街地の4分の1以上の土地が造成されています。
記事内では公共用地1万坪、倉庫一般住宅地4000坪(38区画)、商店娯楽街4000坪(53区画)、温泉旅館街1万2000坪(42区画)という内訳が示されており、商店娯楽街や温泉旅館街には温泉が配湯されるとのことです。なお、この埋立地の正式名称は存在しないようなので便宜的に〈北浜地先埋立地〉としています。

(写真)北浜地先埋立地のマップ。「湯浅に新しい領土が誕生します」『広報ゆあさ』1965年1月10日。

(写真)「湯浅に新しい領土が誕生します」『広報ゆあさ』1965年1月10日。
航空写真で湯浅市街地の変遷を追うと、まず1960年代に北浜地先埋立地が造成され、その後南浜地先埋立地も造成されて今日の市街地となっていることが分かります。


(写真)1960年代の湯浅市街地。(右)北浜地先埋立地が造成された1970年代中頃の湯浅市街地。いずれも地理院地図

(写真)南浜地先埋立地も造成された現在の湯浅市街地。地理院地図
実際に北浜地先埋立地を訪れてみましたが、記事中に示されているような商店街と呼べる店舗の連なりは形成されておらず、営業中の宿泊施設は一軒も確認できません。ロータリーに中心性は感じられず、単なるごみ収集場所と化していました。

(写真)北浜地先埋立地のロータリー。