
(写真)弁天会館。
2025年(令和7年)9月、千葉県松戸市を訪れました。
現在の松戸市にはシネコン「ユナイテッド・シネマ テラスモール松戸」がありますが、かつては映画館「シネマサンシャイン松戸」、「松戸サンリオシアター」、「輝竜会館」、「松戸京葉劇場」(弁天会館)、「松戸サンリオ劇場」、「松戸常盤館」、「松戸東映劇場」がありました。「松戸市の映画館(2)」に続きます。
1. 松戸市の映画館

1.1 松戸東映劇場(1926年12月-1970年頃)
所在地 : 千葉県松戸市1-1264(1969年)
開館年 : 1926年12月
閉館年 : 1970年頃
跡地は松戸駅西口西南西100mの「大清堂ビル」など。
1926年(大正15年)、東葛飾郡松戸町の国鉄松戸駅前に松竹館が開館しました。1930年(昭和5年)の映画館名簿には松戸町の映画館として松竹館と常盤館が掲載されており、同年に松井天山が製作した鳥瞰図、同年に東京交通社が刊行した『大日本職業別明細図』にも松竹館が描かれています。
同年時点で、映画(≒活動写真)を上映する施設としては既に〈映画館〉という呼称が定着していたと思われますが、鳥瞰図は旧版に改訂を加えたものであるためか、やや古臭い〈活動常設〉という呼称が用いられています。昭和初期に常盤館や松竹館を経営していたのは森本興行でしたが、松竹作品を上映していたのは松竹館ではなく常盤館であり、松竹館では新興キネマや大都作品を上映していたようです。

(写真)松戸町に松竹館と常盤館が掲載されている『日本映画事業総覧 昭和5年版』国際映画通信社、1930年。

(写真)松竹館が描かれている松井天山「千葉県松戸町鳥瞰図」1930年。

(写真)松竹館と常磐館が掲載されている松井天山「千葉県松戸町鳥瞰図」1930年。

(写真)常盤家と松竹館が描かれている『大日本職業別明細図 201号』東京交通社、1930年。
戦前の映画館名簿では一貫して松竹館という表記ですが、戦後には松竹館が松戸映画劇場に改称し、1950年代末には松戸東映劇場に改称しています。
1960年代前半の住宅地図は航空写真に基づく航空住宅地図ではなく、方角や距離が不正確で跡地を判断しにくいのですが、航空写真には松戸駅南西のブロックに松戸東映劇場がはっきり写っているのが見えます。

(写真)松戸東映が描かれている1969年の住宅地図。

(写真)1966年の航空写真における松戸東映劇場と松戸常盤館。地図・空中写真閲覧サービス
松戸市の映画館としては最も早く、松戸東映劇場は1970年(昭和45年)頃に閉館しました。閉館後には周辺で松戸駅西口土地区画整理事業が行われており、区画整理が閉館の直接的な要因だったのかもしれません。道路割が変化しているため映画館の跡地は参考程度となりますが、スポーツクラブNAS松戸が入る松戸駅前ハイツ付近のようです。

(写真)松戸東映劇場跡地付近。
1.2 松戸常盤館(1925年-1992年8月28日)
所在地 : 千葉県松戸市本町16-4(1992年)
開館年 : 1925年
閉館年 : 1992年8月28日
跡地はマンション「藤和シティコープ松戸本町」。
松竹座の開館とほぼ同時期の1925年(大正14年)、松戸駅北西のブロックに常盤館が開館しました。1923年(大正12年)9月の関東大震災を機に、東京都心と比べて被害の少なかった郊外の発展が進んだとされますが、松戸町もこの時期に大きく発展したようです。
近頃の松戸町の発展は恐ろしい様だ。千葉県としては市川とおなじく帝都に一番接近して居る関係もあろうが、遊廓などは震災前の八割以上の登楼客、松戸駅の乗降客は震災前二千名平均が四千名平均で、臨時列車を我孫子駅・上野駅間運転しているが、各列車共満員を通り越えて、鈴成りといった有様。(中略)
常設活動の常盤館なぞ、毎晩満員、小料理店が歳暮から不景気知らず、一番お気毒なのは俸給者だけ、中流以下の町民の鼻いきのあらいこと、其の影響というわけでもあるまいが、青年男女の風紀が悪くなって困ったと警官がこぼしていた。
1930年(昭和5年)の松井天山による鳥瞰図では常磐館(※盤ではなく磐)として描かれており、『大日本職業別明細図』では常盤屋(※館ではなく屋)として描かれていますが、これは誤字や表記揺れの範疇でしょうか。
大正から昭和戦前期の活動常設館(映画館)は経営面で安定していた施設とは言えず、個人経営ではなく町の有力者らによる株式組織で設立されることが多いため、共倒れを回避するための合併が行われる例も多くあります。松戸町のように2館の活動常設館が共存していたのは一定規模の町のみです。

(写真)常磐館が描かれている松井天山「千葉県松戸町鳥瞰図」1930年。
松竹座周辺と同様に、松戸常盤館周辺もやはり1970年代前半に松戸駅西口土地区画整理事業の対象となったことで、この時期には大正の和風建築を近代的なビルに建て替えていると思われます。1986年(昭和61年)刊行の『松戸今昔物語』(三井良尚、崙書房)には、同年公開の東映作品『火宅の人』や『玄海つれづれ節』の看板が見える常盤館の写真が掲載されています。

(写真)。1986年の常盤館。三井良尚『松戸今昔物語』崙書房、1986年。

(写真)常盤館が描かれている1985年の住宅地図。

(写真)松戸常盤館の跡地にあるマンション。
1.3 松戸サンリオ劇場(1980年10月-1993年)
所在地 : 千葉県松戸市根本14-2(1993年)
開館年 : 1980年10月
閉館年 : 1993年(移転)
跡地は2001年竣工のマンション「パークスカイタワー松戸」。
1980年(昭和55年)10月には黒川紀章が設計を手掛けた商業施設のアーバンヒル松戸が開業し、施設内の1階に松戸サンリオ劇場が開館しました。経営はよく知られたキャラクター企業の株式会社サンリオであり、これを機にサンリオは映画興行に進出したわけですが、結局はサンリオにとって唯一の映画館になったと思われます。
映画観客数が長期的に低迷する中で、この時期は既存興行館とは異なる形態の映画館が模索されていた時期でした。1981年(昭和56年)には船橋市に日本初の本格的ドライブインシアターが開業し、1983年(昭和58年)には同じく船橋市に日本初のビデオインシアターが開館しています。旧住民と新興住宅地に住む新住民が混じり合う船橋市は新形態の映画館の経営実験に適していたのでしょうが、松戸市の松戸サンリオシアターもその流れの中に位置づけることができるかもしれません。
アーバンヒル松戸はターゲット層を25歳から35歳の女性に絞った戦略で開業した商業施設だったようです。敷地内に緑地や人工的な丘が配置された、箱型の大型ショッピングセンターとは一線を画した施設であり、黒川紀章は東京の青山ベルコモンズなどでも似たような概念の施設を手掛けています。松戸駅に近いとはいえ徒歩でのアクセス動線には難があり、集客面で問題を抱えていたようです。

(写真)松戸サンリオ劇場が入っていたアーバンヒルが描かれている1985年の住宅地図。

(写真)アーバンヒル1階にサンリオ劇場が見える1985年の住宅地図。
1988年(昭和63年)には松戸サンリオ劇場が2スクリーン化し、大きなほうの劇場は洋画館、小さなほうの劇場は東宝上映館だったようです。1993年(平成5年)、松戸西口公園の東側に都市綜合第3ビルが開業すると、アーバンヒルから移転して3スクリーンの松戸サンリオシアターとなっています。
アーバンヒル松戸の閉業時期は判然としませんが、2001年(平成13年)にはアーバンヒル松戸の跡地に300戸超の大規模マンションが竣工しています。

(写真)アーバンヒル松戸の跡地にあるマンション。
1.4 松戸京葉劇場(弁天会館、1971年頃-2000年)
所在地 : 千葉県松戸市根本461(2000年)
開館年 : 1971年頃
閉館年 : 2000年
映画館が入っていた弁天会館ビルは松戸駅東口北北東170mに現存。
1971年(昭和46年)頃、松戸駅東口に有限会社京葉センターによって松戸京葉劇場・松戸弁天劇場の2館が入る弁天会館が開館しました。開館前の1969年(昭和44年)の住宅地図を見ると、後の弁天会館の場所には弁天荘旅館が描かれています。
松戸駅を含む常磐線の複々線化は1970年(昭和45年)のことであり、この住宅地図には複々線ではなく複線時代の常磐線が描かれているようです。松戸駅北側の岩瀬跨線橋はまだできておらず、同地点にあった踏切は「開かずの踏切」と呼ばれていたようです。この踏切の北東詰にはストリップ・料亭・キャバレーの大宝が描かれていますが、松戸大宝は1967年(昭和42年)頃に開館したストリップ劇場であり、船橋市の船橋大宝などとともに大宝チェーンを形成していました。松戸大宝は1982年(昭和57年)頃に閉館したとされています。
後述する新聞記事でもストリップ劇場について言及されていますが、競輪場もある松戸市は映画館も含めた様々な大衆娯楽施設が集積している都市だったようです。

(写真)後の弁天会館の場所に弁天荘旅館が描かれている1969年の住宅地図。
長期間にわたる映画人気の低迷の結果、1983年(昭和58年)には映画公開本数が昭和30年代以降で最低(498本)となっています。同年の映画館名簿には松戸市の映画館として4施設6館が掲載されていますが、隣接する主要都市の柏市には柏シネマしか残っていません。県内の他都市を見ると、同年時点の市川市・木更津市・銚子市の映画館は5館、船橋市の映画館は3館であり、松戸市は千葉市に次いで県内第2位の映画館数を有していました。

1985年(昭和60年)の住宅地図を見ると、弁天会館には多数のスナックや小料理屋が入っています。3階に映画館の京葉劇場がありますが、4階にはストリップ劇場のヌード松戸A級があり、松戸大宝の閉館後(?)の1983年(昭和58年)に開館したとされます。ヌード松戸A級は1992年(平成4年)頃に東京都台東区上野に移転し、2025年(令和7年)現在もシアター上野として営業中です。
なお、映画館名簿を見ると弁天会館に松戸京葉劇場と松戸弁天劇場の2館が掲載されているのは1983年(昭和58年)版までであることから、映画館である松戸弁天劇場の跡地にストリップ劇場のヌード松戸A級が入ったと思われます。

(写真)京葉センター弁天会館が描かれている1985年の住宅地図。

(写真)京葉センター弁天会館3階に京葉劇場が見える1985年の住宅地図。
弁天会館は1995年(平成7年)に6階建のビルに建て替えられたようですが、映画館は建て替え後も入居して2000年(平成12年)まで営業を続けています。遠目には一般的なマンションにしか見えませんが、スナックやバーが多数入居する商業ビルとして夜には賑わっているようです。

(写真)弁天会館と松戸駅。

(写真)弁天会館のフロア案内。