
(写真)田原市博物館駐車場にある代替梵鐘。
2025年(令和7年)8月、愛知県田原市の田原市博物館で開催中の企画展「昭和が始まって100年、戦争が終わって80年展」を観ました。また、田原市街地にあるいくつかの寺院の梵鐘を巡っています。
1. 田原市博物館の代替梵鐘
田原市博物館の駐車場にはコンクリート製の代替梵鐘(梵鐘代替物)が置かれています。太平洋戦争中の1943年(昭和18年)頃に各寺院から梵鐘が供出された際、田原市野田町の西圓寺が代替物として製作したものだそう。「梵鐘が吊り下げられていない鐘楼は台風や地震に弱く、『重し』として代替物を吊るすことで鐘楼の安定を図った」という説明がなされることが多いです。
代替梵鐘の傍らには説明看板が設置されており、81年前の梵鐘供出を機に造られたコンクリート製代替梵鐘であると説明されています。この春には愛知県各地の約20の代替梵鐘を巡りましたが、自治体による関与がみられるのはここと西尾市吉良歴史民俗資料館にあるものくらいです。田原市では出版物などでも戦争遺跡のひとつとして扱っているのが素晴らしいです。
参考:「たはら歴史探訪クラブ 53 無音の警鐘」
なお、今年は終戦80周年ということで、博物館などでは例年より戦争に関する企画展が多い印象を受けます。安城市歴史博物館では7月19日から8月31日に企画展「終戦80周年記念 空襲に備えよ 総力戦下の家庭防空」が開催されましたが、こちらでは田原市とは異なり展示室内に代替梵鐘が展示されています。

(写真)企画展「昭和が始まって100年、戦争が終わって80年展」。
2. 田原市の梵鐘
2.1 慶雲寺梵鐘
田原市街地には4軒の寺院が並ぶ寺下通りがありますが、曹洞宗の慶雲寺の梵鐘は1948年(昭和23年)に大阪市の日立造船築港工場が鋳造したものです。梵鐘メーカーではない企業が戦後混乱期に製造した比較的珍しい梵鐘であり、表面には再鋳の経緯がびっしりと刻まれています。


(写真)慶雲寺梵鐘。
2.2 田原市街地の梵鐘
渥美半島は豊川市の中尾工業の勢力圏かと思っていたのですが、私が今回確認した範囲では遠方の鋳造者による梵鐘が多かった。西応寺や龍泉寺は滋賀県東近江市(旧・愛知郡長村)の黄地佐平、伝法寺や光福寺は富山県高岡市の老子次右衛門でした。黄地佐平の天女は油絵のようにふわっと盛り上げた独特な絵柄で遠目でも目立ちます。

(写真)黄地佐平が鋳造した西応寺梵鐘。
伝法寺梵鐘は終戦30年目の1974年(昭和49年)再鋳、光福寺梵鐘は終戦38年目の1982年(昭和57年)再鋳。それぞれ戦時中の供出から30年以上も梵鐘がなく、檀家の生活にゆとりが生まれた安定成長期になってから再鋳されたものです。
いずれも梵鐘の由来記が陽鋳されていますが楷書で読みやすい。どちらにも「前梵鐘は1943年に大東亜戦争で供出された」旨が書かれており、企画展のテーマでもある広義の戦争遺跡のひとつだと考えています。

(写真)由来記が陽鋳されている伝法寺梵鐘。