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相川町の映画館

(写真)佐渡金山の道遊鉱。

2025年(令和7年)6月、新潟県佐渡市相川町(旧・佐渡郡相川町)を訪れました。

相川町は佐渡金山の鉱山町として栄えた町であり、戦後には映画館「相川劇場」がありました。「ガシマシネマを訪れる」に続きます。

 

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1. 佐渡金山を訪れる

江戸時代の佐渡金山(相川金銀山)は幕府直轄鉱山であり、近世においては世界最大級の金山とされています。明治に入ると他の主要鉱山と同様に官営鉱山となり、1896年(明治29年)に三菱合資会社に払い下げられています。大正から昭和戦前期の三菱鉱業は日本最大の鉱山会社であり、金属鉱山と北海道や九州などの炭鉱をバランスよく所有していた会社です。

佐渡金山を象徴する景観として「道遊の割戸」がありますが、これは江戸時代に露天掘りで採掘した結果として山が割れたような地形に変化したものです。

(写真)「道遊の割戸」。遠景と近景。

 

2024年(令和6年)には「佐渡島の金山」が世界遺産に登録されましたが、登録までには韓国からの強制労働に関する批判などがあり、推薦書の修正や再推薦など紆余曲折があった結果、明治時代以降の遺構(近代化遺産)は世界遺産の対象から除外されています。目を見張る近代化遺産としては北沢浮遊選鉱場や50mシックナーなどがあり、これらは2007年(平成19年)に経済産業省の近代化産業遺産に選定されています。広大な敷地で建物の規模感を掴みにくいのですが、人間と比べるとすさまじい大きさなのが分かります。

(写真)北沢浮遊選鉱場跡。

(左)50mシックナー。(右)旧北沢火力発電所

(写真)時鐘楼。

 

佐渡金山の歴史に関する展示施設としては相川郷土博物館がありますが、他の鉱山の展示施設と比較するとかなりフワッとした展示に見え、佐渡金山の華やかな部分を強調しすぎているのではないかと感じました。この点については遊廓研究者の渡辺豪さんがnote「相川郷土博物館が大切にする「伝える」と「宝物」とは何だったのか? リニューアル後に見学してきた。」で詳しく解説しています。

2棟からなる相川郷土博物館のうち、手前は1936年(昭和11年)竣工の旧鉱山本部事務所、奥は1889年(明治22年)竣工の御料局佐渡支庁跡です。もともとは役割が異なる建物ですが、窓枠が桃色に彩られた下見板張の建物が調和しています。

(写真)相川郷土博物館。(左)旧鉱山本部事務所。(右)御料局佐渡支庁跡。

 

近代建築としては1931年(昭和6年)竣工の旧相川税務署本館などもあります。屋根の形状に特徴のある洋風建築であり、縦長の窓で高さが強調されています。

(写真)旧相川税務署本館。

 

2. 相川町の劇場・映画館

2.1 戦前:相川館(1915年-1948年)

所在地 : 新潟県佐渡郡相川町
開館年 : 1915年
閉館年 : 1948年
映画館ではなく芝居小屋。跡地は「玉泉寺」東北東50mにある駐車場。

戦前の相川町には劇場として相川館がありました。間口は7間半、奥行は15間の芝居小屋であり、芝居の興行のほかには、映画の上映、浪曲や民謡の興行なども行われたようです。

(写真)相川館が描かれている「相川市街略図」1925年。

 

1925年(大正14年)の「相川市街略図」によると、跡地は玉泉寺の石段下にある駐車場の場所のようです。相川館は1948年(昭和23年)に火災で焼失しました。

(写真)相川座の跡地。

 

2.2 戦後:相川劇場(1949年7月-1968年頃)

所在地 : 新潟県佐渡郡相川町(1965年)
開館年 : 1949年7月
閉館年 : 1967年7月
跡地は「相川郵便局」南西30mの「NTT東日本相川電話交換所」廃墟。

1948年(昭和23年)に相川館が焼失した後、1949年(昭和24年)7月には別地点に相川劇場が開館しました。もとは相川町が所有する公民館兼劇場という施設だったようですが、1956年(昭和31年)にはきよせ興行社の伏見喜市に400万円で売却され、民間が経営する映画館となりました。

なお、佐渡金山(三菱鉱業佐渡鉱業所)は近世から近現代にかけて栄えた鉱山ですが、他の主要な金属鉱山や炭鉱と比べると戦後のピークが早く、1952年(昭和27年)には佐渡鉱業所の大幅縮小が行われています。相川劇場についてはウェブ上でも文献でも存在感が薄いのですが、映画黄金期にはもう佐渡金山は衰退していたことが大きそうです。

(写真)相川劇場が掲載されている『映画便覧 1965』時事通信社、1965年。

 

相川劇場が最後に掲載されている映画館名簿は1965年(昭和40年)版ですが、相川町の閉町記念誌によると閉鎖されたのは1967年(昭和42年)7月だったようです。

(写真)相川劇場の閉鎖に言及している『50年の記録 相川町閉町記念』相川町、2003年。

 

ウェブでも文献でもとは相川劇場の正確な場所はわかりません。1960年代の航空写真で目星を付けて聞き込みを行うと、あいかわ開発総合センターの方が相川劇場のことをご存じでした。「キヨセ」という興行師の映画館で映画を観たことがあるとのことです。まさに目星を付けた場所、相川郵便局向かいのNTT電話交換所廃屋の場所に映画館があったそうです。なお、文献などでは相川劇場の写真は確認できませんでした。

(写真)相川劇場の跡地。

(写真)相川劇場があった羽田町。

 

相川町にあった映画館について調べたことは「新潟県の映画館 - 消えた映画館の記憶」に掲載しており、その所在地については「消えた映画館の記憶地図(新潟県版)」にマッピングしています。

hekikaicinema.memo.wiki

www.google.com




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