
(写真)内子座。
2024年(令和6年)8月、愛媛県喜多郡内子町の芝居小屋「内子座」を訪れました。
「内子町を訪れる」からの続きです。「内子町の映画館」に続きます。なお、内子座は訪問翌月の9月から約4年間に渡る長期休館に入っており、現在は館内を見学することはできません。
1. 内子座の建物
重要文化財に指定された芝居小屋は、香川県の旧金毘羅大芝居(1835年)、秋田県の康楽館(1910年)、熊本県の八千代座(1910年)、内子座(1916年)の4棟です。この中で最も新しい建物が内子座であり、外観の華やかさという点でも目を引く存在です。
たとえば、明治建築である八千代座と大正建築である内子座を比較してみると、正面にあたる木戸側の建物の構造はよく似ているのですが、2階後方の建具には違いがあり、八千代座が障子を用いているのに対して、内子座ではガラス窓が採用されており、時代の変化を感じます。また、2階の屋根中央に唐破風が付いているのも内子座の特徴であり、同時代の歌舞伎座などにも唐破風がみられることから、当時の流行だったのでしょうか。


(左)1916年竣工の内子座。(右)1910年竣工の八千代座。

(写真)木戸口上部の唐破風と内子座の扁額。
電気が導入された時期は地域によって異なりますが、大正時代頃には全国で水力発電所の建設が進み、地方都市でも電気の普及が進んだと思われます。それ以前に建てられた(電気照明のない時代の)芝居小屋は自然光を館内に取り入れる必要があり、建物の向きには一定の配慮があったと推測できるのですが、旧金毘羅大芝居(の旧所在地)や永楽館は北向き、康楽館は西向き、八千代座と内子座は南向きと、一貫性を見出せません。

(写真)木戸口。
2. 内子座の館内
2.1 舞台と客席
重要文化財に指定された芝居小屋の廻り舞台を比較してみると、その直径は時代とともに大きくなっていることがわかります。江戸時代の旧金毘羅大芝居は直径7.3mですが、明治時代の八千代座は直径8.45mであり、康楽館に至っては直径9.73mにも達しています。しかし、最も新しい内子座は八千代座とほぼ同規模の直径8.2mに留まっており、廻り舞台を人力で回す時代にはこの程度の規模が運用面の限界だったでしょう。
なお、舞台奥には八千代座などと同様に、芝居小屋では定番の老松を描いた幕が張られていました。

(写真)廻り舞台のある舞台。

(写真)2階から見た舞台と桝席。
かつての芝居小屋では、観客は平土間に直接置かれた座布団に正座やあぐらで座り、芝居を鑑賞していたと思われます。現在の内子座では、平土間の数十センチ上に横長の板が張られており、板に腰かける座り方で観劇することができるようです。
もっとも、座席の形式については芝居小屋ごとに異なり、旧金毘羅大芝居や八千代座では伝統的な桝席が残されていますが、康楽館や永楽館などでも内子座と同様に、時代の変化や観客のニーズに応じた椅子席が採用されており、伝統的な芝居小屋の活用にあたっての模索が感じられます。

(写真)1階の桝席。
映画人気が高かった1950年代初頭から1962年(昭和37年)まで、各年版の映画館名簿には内子座も掲載されていました。
その後、1967年(昭和42年)には建物が内山商工会館に転用されましたが、1982年(昭和57年)には内山商工会から内子町に寄贈され、内子町は内子座をまちづくりの核に据えて改修工事などを行っています。映写室は1985年(昭和60年)に終了した第一次内子座復原事業の際に撤去されたと思われます。

(写真)2階の向う桟敷に映写室が描かれている映画館時代の平面図。

(写真)現在の2階の向う桟敷。
2.2 奈落
芝居小屋における舞台の床下には奈落があり、廻り舞台や迫(せり)の操作などが人力で行われていました。一般公開されている芝居小屋の多くでは奈落も見学ルートに組み込まれています。内子座の奈落は他の芝居小屋と比べてやや狭く、天井も低いことから、多少の圧迫感を感じます。

(写真)奈落の廻り舞台下。

(写真)奈落の地下通路。

(写真)内子座がある路地。