以下の内容はhttps://ayc.hatenablog.com/entry/2025/07/27/195658より取得しました。


下館市街地の映画館

(写真)下館シネマズシアターの建物。

2025年(令和7年)4月、茨城県筑西市下館市街地を訪れました。

かつて下館市街地には映画館「下館シネマズシアター」(下館映画劇場・下館ミラノ座・下館オスカー)、「下館シネマ1」、「下館中央映劇」、「下館スカラ座」がありました。下館シネマズシアターの建物は現存しています。

水海道を訪れる」「水海道の映画館」「下妻市の映画館」からの続きです。

 

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1. 下館市街地を訪れる

筑西市茨城県の県西地域にある人口約10万人の自治体。2005年(平成17年)に下館市など1市3町が合併して発足し、現在でも下館市街地は鉄道・国道ともに四方向から集まる交通の要衝となっています。下館駅前には巨大な複合ビルの下館SPICAがあり、かつては下館サティが核テナントでしたが、2017年(平成29年)以降には主に筑西市役所庁舎として用いられています。

(写真)筑西市庁舎が入る下館SPICA。

 

Googleマップ等では把握するのが困難ですが、下館市街地の中央部には段丘崖が存在し、市街地の東西で地盤の高さが約10m異なっています。段丘崖にある下館羽黒神社は市街地の軸ともいえる地点で、この町における神社の存在感の大きさを感じます。

鮮やかな銅板葺きの屋根が特徴ですが、屋根と同じく青緑色の天水桶の鋳造者は老子次右衛門でした。富山県高岡市老子製作所の当主の名跡であり、寺院の梵鐘ではよく名前を見かけますが、その他の銅器の鋳造者として名前を見たのは初めてです。

(写真)下館羽黒神社

(写真)下館羽黒神社老子次右衛門鋳造の天水桶。

 

2. 下館市街地の映画館

映画黄金期の映画館名簿には、下館市の映画館として4館が掲載されています。下館スカラ座は1960年代前半にはもう閉館しますが、残りの3館は少なくとも1970年代後半まで営業を続けます。

(写真)下館市に4館が掲載されている『映画便覧 1963年版』時事通信社、1963年。

 

1977年(昭和52年)頃、清家不二夫は最も下館駅から遠かった下館中央映劇を閉館させた上で、下館映画劇場を建て替えて2館が入るビルの下館シネマズシアターを開館させました。この頃には経営者が清家不二夫から清家保男に交代しています。

映画観客数が長期的に低迷していた時代であり、複数館が入るビルに建て替えてまで営業をつづけた映画館はそれほど多くありません。1970年代の茨城県において水戸市を除くと、古河市の古河光映会館(1973年に2館が入る4階建のビルを建設)、土浦市のテアトル土浦(1978年に2館が入るビルを建設)、下館シネマズシアターの3施設のみと思われます。

(写真)下館市に3館が掲載されている『映画館名簿 1975年版』時事映画通信社、1975年。

 

1977年(昭和52年)以後の下館市では下館シネマズシアターとはす向かいの下館シネマ1の2施設がある時代が長く続きます。1990年代中頃にはシネコン時代に入りますが、茨城県の県西地域には1999年(平成11年)に岩井シネマサンシャインが開館するまでシネコンがなく、2008年にイオンシネマ下妻が開館するまで大手6社のシネコンがありませんでした。県西地域には大規模な都市が存在しないことが大きな理由と思われますが、既存興行館にとっては良い環境です。

(写真)下館市に2施設4館が掲載されている『映画館名簿 2005』時事映画通信社、2005年。

 

2.1 下館スカラ座(1949年2月-1963年頃)

所在地 : 茨城県下館市東町乙668(1963年)
開館年 : 1949年2月
閉館年 : 1963年頃

1949年に開館した映画館として下館文化→下館スカラ座があります。映画館名簿には東町乙668という番地で掲載されており、現在の東町667(※668ではない)には関東銀行下館支店があるのが気になりますが、下館スカラ座の正確な跡地は不明です。

 

2.2 下館中央映劇(1930年以前-1977年頃)

所在地 : 茨城県下館市根岸町193(1977年)
開館年 : 1930年以前
閉館年 : 1977年頃
跡地は「常陽銀行下館支店」北西40mにある駐車場。

下館駅から最も離れた場所にあった映画館が下館中央映劇です。下館羽黒神社の境内東側にある階段で崖を降りた場所にあり、現在のしもだて美術館の裏手に当たります。

1931年(昭和6年)の『大日本職業別明細図』にも演芸館として描かれており、映画館名簿によると開館年は1930年(昭和5年)以前に遡るようですが、正確な開館年は不明です。

(地図)演芸館が描かれている『大日本職業別明細図』1931年。

(地図)中央劇場が描かれている1970年の住宅地図。

 

戦前の経営者は氏家富太郎ですが、戦後には経営者が清家不二雄(下館興行)に交代し、清家は下館中央映劇と下館映画劇場の2館を経営していました。1977年(昭和52年)には清家による映画館の再編に合わせて閉館し、跡地は月極駐車場となっています。

(写真)下館中央映劇跡地の駐車場。

 

2.3 下館シネマ1(1956年12月17日-2005年12月)

所在地 : 茨城県下館市田中町丙193(2005年)
開館年 : 1956年12月17日
閉館年 : 2005年12月
跡地は「筑西市役所本庁舎」北東60m。

1956年(昭和31年)、森茂によって下館映画劇場のはす向かいに下館第一劇場が開館しました。「下館において民間が建設した初の鉄筋コンクリート造ビル」という意義深い建物だったようです。1988年(昭和63年)頃には経営を引き継いだ森悟明によって下館シネマ1に改称しています。

(地図)下館シネマ1と下館シネマズシアターが描かれている1989年の住宅地図。

(参考写真)2020年の下館シネマ1。photo : 小石川人晃 - Wikimedia Commons

 

2005年(平成17年)12月に閉館した後も建物が残っており、2008年(平成20年)公開の三谷幸喜監督作『ザ・マジックアワー』のロケ地などに用いられましたが、ついに2024年(令和6年)に解体されました。

(写真)下館シネマ1跡地の更地。

(写真)下館シネマ1跡地の更地(左)と下館シネマズシアターの建物(右奥)。

 

2.4 下館シネマズシアター(1977年頃-2006年頃)

所在地 : 茨城県下館市稲荷町丙193-2(2006年)
開館年 : 1941年1月、1977年頃(建て替え)
閉館年 : 2006年頃
映画館の建物は「筑西市役所本庁舎」北北東90mに現存。

もともと下館駅前の稲荷町は五行川の洪水を受けやすい低地のうえに、1940年(昭和15年)5月15日には日活館(旧・三吉館)から出火して164棟が焼失する稲荷町大火が起こりました。日活館は現在のしもだて美術館敷地北東部にあったようです。この後の1941年(昭和16年)1月、清家不二雄によって下館駅前の稲荷町に下館映画劇場が開館しました。

清家は戦後に下館中央映劇も取得して2館の経営者となりました。1977年頃には下館中央映劇を閉館させて下館映画劇場を建て替え、下館映劇・下館ミラノの2館が入るビルの下館シネマズシアターを開館させています。清家ビルと表記されている住宅地図もあります。

(地図)下館シネマと下館シネマズシアターが描かれている2000年の住宅地図。

(写真)下館シネマズシアターの建物。

 

下館シネマ1の閉館とほぼ同時期、2006年(平成18年)頃には下館シネマズシアターも閉館しました。2024年(令和6年)には下館シネマ1の建物が解体されましたが、下館シネマズシアターの建物は2025年(令和7年)時点でも現存しています。

(写真)下館シネマズシアターの建物。

(写真)下館ビル(下館シネマズシアター)の階段。

(写真)下館シネマズシアターのチケット売り場。

(写真)下館シネマズシアターの掲示板。

(写真)下館オスカーの入口。

(写真)下館オスカーの入口。

(写真)下館オスカーの入口。

 

下館市街地の映画館について調べたことは「茨城県の映画館 - 消えた映画館の記憶」に掲載しており、跡地については「消えた映画館の記憶地図(茨城県版)」にマッピングしています。

hekikaicinema.memo.wiki

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