
(写真)宝来館跡地。
2025年(令和7年)4月、茨城県常総市の水海道市街地を訪れました。
かつて水海道市街地には映画館「宝来館」と「水海道セントラル」があり、宝来館跡地の駐車場には様々な映画絵看板や映画ポスターが展示されています。
「水海道を訪れる」からの続きです。「下妻市の映画館」「下館市街地の映画館」に続きます。
1. 水海道の映画館
1.1 水海道セントラル(1951年11月-1963年頃)
所在地 : 茨城県水海道市宝町2763(1963年)
開館年 : 1951年11月
閉館年 : 1963年頃
1951年(昭和26年)11月には結城郡水海道町に2番目の映画館として水海道セントラルが開館しました。経営者は宝来館と同じく東郷通行であり、当初は洋画のセントラル映画を上映していたようです。宝町大通り商店街の西端近く、高田歯科医院があるブロックにあったと思われます。

(写真)水海道セントラルがあったと思われる宝町大通り商店街の西端部。
1.2 宝来館(1920年3月-1983年頃)
所在地 : 茨城県水海道市宝町2850(1983年)
開館年 : 1920年3月
閉館年 : 1983年頃
跡地は「関東鉄道常総線水海道駅」北北西160mにある駐車場とその北東の民家。
茨城県における電気会社としては、1907年(明治40年)に水戸市に茨城電気、1910年(明治43年)に笠間町に笠間電気、1901年(明治44年)に土浦町に土浦電気、1902年(明治45年)に水海道町に水海道電気、石岡町に石岡電気が設立されており、水海道には県内でも早い時期に電気が通じたようです。それから約20年後、1920年(大正9年)には株式組織で常設劇場の宝来館が建てられました。
1919年(大正8年)には東郷勘治によって米問屋の東郷商店が創業しました。東郷勘治は戦後に常総筑波鉄道(現・関東鉄道)社長などを務めた人物でもあります。2代目の東郷通行は宝来館を買収して映画館経営に転向し、他都市でも映画館を開館させるなどした結果、映画黄金期の1958年(昭和33年)には茨城県で計17館もの映画館の経営者となっていました。1960年(昭和35年)の映画館名簿から東郷通行が経営者となっている映画館を列挙すると、水海道市の2館のほかに、古河市の古河東映三国劇場と古河映画劇場、下妻市の弘楽館、猿島郡境町の寿座、猿島郡岩井町の演芸館などがありました。1960年(昭和35年)の『茨城富豪盛衰記』において東郷通行は「常南財閥の一人」と紹介されています。
昭和30年代中頃から映画観客数が減少すると、1960年(昭和35年)には筑波山麓にホテル山水荘(現・つくばグランドホテル)を開業させ、事業の拠点を水海道市から土浦市に移しました。3代目の東郷治久は三菱商事に勤務した後、1983年(昭和58年)に家業のサンスイコーポレーションに入社して専務に就任し、1986年(昭和61年)に3代目社長に就任しています。1985年(昭和60年)のつくば万博を機につくば市に拠点を移し、つくばわんわんランド、つくば国際ペット専門学校、つくば国際語学院などを設立して事業の多角化を図っています。東郷家のサンスイグループは2019年(令和元年)に100周年を迎え、記念祝賀会には複数の国会議員やつくば市長、常総市長らも出席しています。

(写真)宝来館跡地の駐車場。
宝来館は1983年(昭和58年)まで映画館名簿に掲載されていますが、新聞記事などでは1973年(昭和48年)に閉館したとされています。2014年(平成26年)には宝来館跡地の駐車場で「懐かシネマ」と題した野外上映会が初開催され、2024年(令和6年)に終了するまで10回も続く人気企画となりました。宝来館跡地には様々な絵看板や映画ポスターが展示され、水海道市街地における名物スポットとなっています。

(写真)宝来館の説明看板:南側。

(写真)戦前の宝来館。

(写真)宝来館の説明看板:北側。
絵看板など

(写真)映画看板絵師の井桁豊の紹介。


(写真)絵看板の展示。

(写真)オードリー・ヘプバーンの写真。

(写真)ポスターの展示。
宝来館の建物は水海道駅通りから約20m奥まった場所にありました。駐車場の背後には経営者宅である東郷邸がありますが、駐車場と東郷邸を含めた範囲が宝来館跡地です。

(写真)東郷邸。
水海道駅前通り

(写真)駅前通りと宝来館跡地(右)。


(写真)駅前通り。