
(写真)神子畑選鉱場跡の模型と神子畑協和会館の映写機。
2025年(令和7年)6月、兵庫県朝来市佐嚢の神子畑(みこばた)を訪れました。
神子畑は明延鉱山の神子畑選鉱場で栄えた鉱山町であり、1950年代から1970年代初頭には福利厚生施設兼映画館「神子畑協和会館」がありました。神子畑交流館には神子畑協和会館で用いられていた映写機などが展示されています。
1. 神子畑選鉱場跡
1.1 神子畑選鉱場の基礎
養父市と朝来市からなる南但は鉱業が盛んな地域であり、銀や銅の生野鉱山(生野銀山とも、現・朝来市生野町)、錫や銅の明延鉱山(現・養父市大屋町)、銀や銅の神子畑鉱山(現・朝来市佐嚢)などがありました。1896年(明治29年)に生野・明延・神子畑の各鉱山が明治政府から三菱合資会社に払下げられると、生野と明延は近代鉱山として大規模な開発が行われました。
採掘鉱山としての神子畑は1917年(大正6年)に閉山となりましたが、1919年(大正8年)には神子畑に東洋一の機械選鉱場が建てられ、明延鉱山から運び込まれた鉱石を選鉱する集落として生まれ変わっています。神子畑の最盛期は1950年代末頃であり、約400世帯・約1300人を有する鉱山町でした。1987年(昭和62年)に明延鉱山が閉山したのに合わせ、神子畑選鉱場も操業を停止して閉鎖されました。
幅110m、長さ170m・高低差75mにも及ぶ巨大な神子畑選鉱場の建物は操業停止後も残っていましたが、2004年(平成16年)に解体されました。今日ではコンクリートの基礎やシックナーのみが現存しています。2017年(平成29年)には各鉱山が日本遺産「銀の馬車道 鉱石の道」に認定されました。

(写真)神子畑選鉱場跡。

(写真)標高差75mを登るインクライン。

(写真)2004年まで建物が残っていた神子畑選鉱場跡。photo:松岡明芳 - Wikimedia Commons
1.2 シックナー

(写真)神子畑選鉱場のシックナー。

(写真)神子畑交流館に展示されている神子畑選鉱場跡の模型。
1.3 明神電車

(写真)明神電車。

(写真)明神電車。
2. 神子畑の映画館
2.1 神子畑協和会館(1954年頃-1972年頃)
所在地 : 兵庫県朝来郡朝来町(1972年)
開館年 : 1954年頃
閉館年 : 1972年頃
跡地は「ムーセ旧居」(ムーセハウス写真館)北東240mの草地。
現在の神子畑は23世帯34人(2018年)という小さな集落ですが、映画黄金期の1950年代末には約1300人を有していた集落であり、三菱鉱業が経営する福利厚生施設兼映画館の神子畑協和会館がありました。1960年(昭和35年)の映画館名簿に掲載された定員は714人であり、人口の半分を収容できるほどの巨大な多目的ホールだったようです。
1970年(昭和45年)の映画館名簿を見ると、神子畑・生野・明延の3地区に協和会館という名称の映画館があったことがわかります。いずれも経営者は三菱金属鉱業であり、経営者欄に個人名が記されている他の映画館とは一線を画していたことが分かります。

(写真)神子畑協和会館が掲載されている『映画便覧 1970』時事通信社、1970年。
鉱山労働者の社宅群は神子畑選鉱場の上流側と下流側それぞれにありましたが、神子畑協和会館があったのは神子畑選鉱場の下流側(北東)約300mの場所です。現在は神子畑選鉱場跡と神子畑協和会館跡地を最短距離で結ぶ鉱石の橋が架かっています。

(写真)往時の神子畑選鉱場(左)、現在の神子畑選鉱場(右)。

(写真)モーセ旧居に展示されている神子畑選鉱場跡の模型。
現在の神子畑協和会館跡地やその周辺には草地が広がっていますが、往時には娯楽施設が集中的に配置されていました。
神子畑協和会館の南側には購買会があり、1957年(昭和32年)に建て替えられてスーパーマーケットとなっています。道路を挟んで北側にはグラウンドやプールがあり、毎年9月には職場対抗の運動会が開催されたとのこと。神子畑協和会館とは別に、ビリヤード、囲碁、柔道・剣道、ダンスなどを行える文化館という福利厚生施設もありました。

(写真)神子畑協和会館の跡地。左側手前の草地。左側奥はグラウンド跡地。
神子畑協和会館の映写機など
神子畑選鉱場跡の南側には観光の拠点である鉱石の道神子畑交流館「神選」や駐車場があります。神子畑交流館の展示の目玉は神子畑選鉱場の模型や神子畑協和会館の映写機であり、「協和會館」と刻まれた看板、館内に設置されていた禁煙看板なども見どころです。

(写真)神子畑協和会館の映写機。

(写真)神子畑協和会館の看板。


(左)神子畑協和会館の映写機。(右)神子畑協和会館の禁煙看板。