
(写真)建物が現存する八鹿第一映劇・第二映劇(左)、ルート9劇場(右)。
2025年(令和7年)6月、兵庫県養父市八鹿町と養父市養父町を訪れました。
かつて八鹿町には映画館「八鹿第一映劇・第二映劇」と「平木映画劇場」があり、養父町には「ルート9劇場」と「広谷座」がありました。「八鹿第一映劇・第二映劇」と「ルート9劇場」の建物は現存しています。
1. 養父市八鹿町の映画館
1.1 平木映画劇場(1949年8月-1965年頃)
所在地 : 兵庫県養父郡八鹿町八鹿(1965年)
開館年 : 1949年8月
閉館年 : 1965年頃
戦後復興期の1949年(昭和24年)8月、八鹿町初の映画館として開館したのが平木映画劇場です。名称は経営者である平木順之助に因んでいるようですが、平木順之助がどのような人物だったのかは分かりません。『八鹿町史 下巻』(八鹿町、1977年)によると、平木映画劇場は焼失して閉館を余儀なくされたようですが、詳細な歴史や正確な跡地などは不明です。

(写真)八鹿町にあった3館(※誤り。実際には八鹿町に2館、養父町に1館)が掲載されている『映画便覧 1960』時事通信社、1960年。
1.2 八鹿第一映劇・第二映劇(1953年8月-2006年)
所在地 : 兵庫県養父市八鹿町八鹿1795-1(2006年)
開館年 : 1953年8月、1974年頃(建て替え)
閉館年 : 2006年
映画館の建物は「八鹿郵便局」北東70mのフィットネスクラブとして現存。
1953年(昭和28年)に開館したのが八鹿映劇であり、八鹿市街地を流れる八木川南岸の堤防道路沿いにありました。すぐ南側には商店街が形成されていましたが、堤防道路沿いというのはやや珍しい立地に思えます。現在こそ八鹿市街地の中心は八木川南岸にありますが、歴史的には八木川北岸が宿場として栄えていたようです。
『写真アルバム 但馬の昭和』(樹林舎、2013年)には1965年(昭和40年)の八鹿映劇の写真が掲載されており、パラペットが階段状に立ち上がったファサードだったことがわかります。当時から建物は八木川を向いていたと思われ、川の対岸からも看板建築がよく見えたことでしょう。
寺田孝一は八鹿鉱泉という会社の経営者でもあったようです。今日では大阪市のハタ鉱泉(ラムネ生産量日本一)などに名残りがある程度ですが、当時はラムネ製造メーカーの多くが鉱泉という名称を名乗っていました。

(写真)1965年の八鹿映劇。『写真アルバム 但馬の昭和』樹林舎、2013年。
1974年(昭和49年)頃、寺田孝一は八木映劇を現在の建物に建て替え、八木第一映劇と第二映劇の2館からなる映画館として再出発しました。この頃、日本の映画観客数は15年以上も減少の一途を辿っており、映画業界全体が閉塞感に包まれていた時代でもありました。そうした状況で、建物を建て替えてまで映画館経営を続けるのは大きな覚悟と展望を持った決断に感じます。

(写真)八鹿第一映画・第二映画が掲載された『映画館名簿 2006』時事映画通信社、2006年。
建物の真下には半地下の駐車場があり、映画館全体で20~30台分の駐車スペースが確保されていました。地方の映画館としては斬新な構造に見え、自家用車による来館も容易なことが強みだったと想像できます。その後、経営は寺田孝一から寺田英雄へと引き継がれ、シネコン時代の2006年(平成18年)まで営業を続けました。兵庫県の郡部では最後まで残っていた映画館であり、西脇市から豊岡市にかけての60kmにも及ぶ範囲にあった唯一の映画館でもありました。

(写真)八鹿第一映劇・第二映劇。

(写真)八鹿第一映劇・第二映劇。

(写真)半地下の駐車場。
2. 養父市養父町の映画館
2.1 広谷座(1952年頃-1961年頃)
所在地 : 兵庫県養父郡八鹿町広谷(1961年)
開館年 : 1952年頃
閉館年 : 1961年頃
跡地は「但馬信用金庫広谷支店」南西80mの建物。
八鹿市街地から南へ約3キロの場所には、養父町の広谷市街地が広がっており、かつては「広谷座」という映画館も営業していました。なお、1899年(明治32年)創業の中野醸造(マルナカ醤油)、1910年(明治43年)創業で魚醤なども販売している大徳醤油と、広谷市街地には2軒の老舗醸造蔵があります。
郷土資料などからは跡地が判明しなかったのですが、養父市立養父公民館に問い合わせて跡地を教えていただきました。南北に延びる通りの中央から路地を西に入った場所にあったようです。

(写真)1964年の航空写真における広谷座。地図・空中写真閲覧サービス
2.2 ルート9劇場(1983年頃-1997年頃)
所在地 : 兵庫県養父郡養父町上野1675-1(1997年)
開館年 : 1983年頃
閉館年 : 1997年頃
映画館の建物は「宿院商店」から兵庫県道271号を挟んで反対側付近に現存。
映画黄金期の養父町にあったのは広谷座のみですが、1983年頃に国道9号(=ルート9)沿いに開館したのがルート9劇場です。はさまじ峠の頂上付近にあり、国道の反対側にある宿院商店の巨大かに看板がルート9劇場の目印です。
宿引商店は1991年(平成3年)創業とのことですが、すぐ近くにあるいこい食堂は1963年(昭和38年)創業のドライブイン、つまり昭和の大衆食堂として親しまれており、この道路は1960年代前半から峠越えのトラックなどで栄えていたようです。とはいえ、自家用車以外の手段でアクセスが困難な立地は映画館としては異質であり、私の知る限り、同様の立地にある映画館は例がありません。映画館名簿には掲載されているものの、その他の文献では言及すら確認できない映画館であり、ウェブ上にも痕跡が見あたりません。

(写真)国道9号とルート9劇場。
ルート9劇場の建物を遠目に見てもこの建物が映画館だったことを示す目印はないのですが、入口付近には入場案内や窓口案内のプレートがあり、ここが何らかの劇場だったことが分かります。

(写真)ルート9劇場の入口。

(写真)ルート9劇場の入場案内。

(写真)ルート9劇場の窓口案内。
入口のガラス越しに館内をのぞき込むと、ロビーと思われる部分の様子が見て取れます。ホールの壁面には「定員56名」と書かれたプレートがあり、その上部には額に納められた3人の裸の女性の写真が飾られています。
わずか56席という定員の少なさからも、壁を彩る女性の写真からも、まるでストリップ劇場のような印象を受けるのですが、写真の下に記された「寺島まゆみ 安西エリ 太田あや子」という女優名を検索すると、いずれも1980年代初頭に活躍した日活ロマンポルノ女優であることがわかりました。もしかするとルート9劇場が開館した1983年(昭和58年)頃に彼女らの舞台挨拶が行われたのかもしれません。

(写真)ルート9劇場のロビー。

(写真)八鹿第一映劇・第二映劇に加えてルート9劇場が掲載された『映画館名簿 1985』時事映画通信社、1985年。
養父市にあった映画館について調べたことは「兵庫県の映画館 - 消えた映画館の記憶」に掲載しており、その所在地については「消えた映画館の記憶地図(兵庫県版)」にマッピングしています。