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常滑市の映画館(2)

(写真)常滑キネマの掲示板。

2025年(令和7年)5月、愛知県常滑市を訪れました。

かつて常滑市街地には映画館「常滑キネマ」、「常滑映画劇場」「晋明座/常滑日活」の3館、多屋には「喜久乃世映画劇場」がありました。「常滑市を訪れる」「常滑市の映画館(1)」からの続きです。

 

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1. 常滑市街地の映画館

1.1 喜久乃世映画劇場(1952年頃-1960年頃)

所在地 : 愛知県常滑市鬼崎町多屋(1960年)
開館年 : 1952年頃
閉館年 : 1960年頃
跡地は「大蔵餅常滑本店」南西30mの駐車場。

かつての鬼崎町多屋、現在の鯉江本町2丁目には、1952年(昭和27年)頃から1960年(昭和35年)頃まで喜久乃世映画劇場がありました。常滑市にあった映画館の中では孤立していますが、名鉄常滑線を挟んで西側には伊奈製陶(現・LIXIL株式会社)の巨大な工場があったことが関係しているでしょうか。

『写真アルバム 知多半島の100年』に掲載されている1953年(昭和28年)の写真を見ると、階段状に立ち上がったファサードの中央上部に「マル勇 キクノヨ」と書かれています。経営者は常滑市議会議員を務めた相武喜久四郎であり、キクノヨという名称は相武の名前に由来していると思われます。

(写真)1953年頃のキクノヨ映画劇場。『写真アルバム 知多半島の100年』樹林舎、2022年。

 

キクノヨ映画劇場は映画観客数のピークが過ぎてすぐ閉館しており、常滑市最古の住宅地図である1962年(昭和37年)の『全商工住宅案内図帳』にも描かれていません。

近くに2軒ある和菓子屋の大蔵餅本店や森田屋で話を聞くと、両店舗の中央から西に入った先の駐車場の場所にあったようです。跡地はキクヤ食堂などに代わったと思われます。跡地からやや外れた場所にはキクノ湯も描かれており、それぞれ相武喜久四郎が経営していたのでしょうか。

(地図)喜久乃世映画劇場跡地にキクヤ食堂などがあると思われる『全商工住宅案内図帳』住宅協会、1962年。愛知県図書館所蔵。

(写真)喜久乃世映画劇場跡地の駐車場。奥は名鉄常滑線の高架。

(写真)喜久乃世映画劇場跡地が面する通り。右奥は大蔵餅本店。

 

1.2 晋明座/常滑日活(1932年以前-1964年頃)

所在地 : 愛知県常滑市字市場12(1964年)
開館年 : 1932年以前
閉館年 : 1964年頃
跡地は「正法寺」北東50mにある駐車場。

1932年(昭和7年)の『大日本職業別明細図 第295号』には晋明座が描かれており、戦後になるとこの名称で映画館名簿に掲載されるようになります。常滑街道は晋明座付近で何度も折れ曲がっており、晋明座が面する銀座通りが東側に延伸されたのは昭和初期のようです。

(地図)晋明座が描かれている『大日本職業別明細図 第295号』東京交通社、1932年。

 

1950年代後半以降の映画館名簿には常滑日活として掲載されています。1964年(昭和39年)頃に閉館すると、跡地はスーパーのほていや常滑店となり、1970年代末以降は駐車場として使用されています。

(写真)1961年の常滑日活。『写真アルバム 知多半島の100年』樹林舎、2022年。

(地図)常滑日活が描かれている『全商工住宅案内図帳』住宅協会、1962年。愛知県図書館所蔵。

(写真)1961年の市場商店街。『常滑市勢要覧 昭和36年版』常滑市、1961年。

 

北西から南東に向かって長い不整形の駐車場ですが、これは銀座通りが晋明座までしか伸びていなかった時代の名残と思われます。

(地図)常滑日活跡地に空白が描かれている1992年の住宅地図。

(写真)常滑日活跡地の駐車場。

(写真)常滑日活跡地が面する通り。

 

1.3 常滑映画劇場(1953年3月-1977年頃)

所在地 : 愛知県常滑市前田61-5(1977年)
開館年 : 1953年3月
閉館年 : 1977年頃
跡地は愛知県道34号山方橋交差点東南東70mにある駐車場。

常滑市街地の3館で最後に開館したのが常滑映画劇場です。経営者は山一興行社の蟹本新一であり、蟹本は半田市の半田ロマン・知多東宝美浜町高砂劇場、南知多町の豊浜座や京映会館なども経営する興行主でした。

(写真)常滑市に2館が掲載されている『映画館名簿 1977年版』時事映画通信社、1977年。

 

常滑映画劇場が1977年(昭和52年)頃に閉館すると、1980年代から1990年代には跡地がスーパーのハイマート常滑店として使用され、主婦の店常滑店に代わった後、現在は駐車場となっています。

(地図)常滑映画劇場跡地にハイマート常滑店が描かれている1992年の住宅地図。

(写真)常滑映画劇場跡地の駐車場。

 

1.4 常滑キネマ(1925年-1985年頃)

所在地 : 愛知県常滑市前田50(1985年)
開館年 : 1925年
閉館年 : 1985年頃
跡地は「山田陶苑」の南の空き地。

1925年(大正14年)には建築請負業の籾山長平によって常滑キネマが建てられました。1930年(昭和5年)時点の知多半島には半田キネマと常滑キネマの2館しかなかった映画専門館の片方です。1940年(昭和15年)に吉田初三郎が描いた「常滑町鳥瞰図」には「映画殿堂 常滑館」として描かれており、1962年(昭和37年)の『全商工住宅案内図帳』には「東映」として描かれています。

(写真)常滑キネマ。『旧き佳き常滑常滑郷土文化会つちのこ、1990年。

(地図)東映(※常滑キネマ)、常滑映画劇場、常滑日活の3館が描かれている『全商工住宅案内図帳』住宅協会、1962年。愛知県図書館所蔵。

 

戦後には東映作品などを上映し、常滑市街地3館の中でもっとも観客が多かったとのことです。経営者の籾山長平は常滑町会議員も務めていましたが、1951年(昭和26年)に滝田次郎常滑町長が愛知県議会議員選挙に出馬した際には、後任を決める常滑町長選挙で伊奈製陶社長の伊奈長三郎と対決しています(落選)。

(地図)常滑キネマ跡地に空白が描かれている1992年の住宅地図。

 

常滑キネマは1985年(昭和60年)頃に閉館し、跡地はガレージのある駐車場となっています。跡地周辺は大通りから離れた静かな住宅街であり、映画館の痕跡を見つけることはできません。

(写真)常滑キネマ跡地のガレージ。

(写真)常滑キネマ跡地が面する通り。

 

北側にある山田陶苑(山田芳一陶苑)の建物は焼杉板の大きな妻部が目立ちます。付属屋の腰壁部分には煉瓦が用いられており、敷地北端部にある電纜管を用いた塀に常滑らしさを感じます。常滑市街地を歩くとあちこちで電纜管を見かけることができ、「電纜管ハウス」なる異様な外観の建物もあります。

(写真)常滑キネマ跡地の北隣にある山田陶園。

(写真)常滑キネマ跡地が面する通りの突き当りにある煉瓦&タイル塀。

 

銀座通りには「常滑キネマ」という文字が見える民家がありますが、こちらは常滑キネマの経営者だった籾山長平の自宅です。西隣には1914年(大正3年)創業のサイクルセンタータケウチ、2軒東側には1902年(明治35年)創業の鯉泉堂菓舗(※廃業)などもあり、かつては周辺が常滑の中心地だったことを感じさせられます。

(写真)常滑キネマの掲示板がある籾山邸。

(左)常滑キネマの掲示板。(右)掲示板に言及している『街の歴史建築を訪ねて 愛知・名古屋を彩った近代和風建築』GunBOOKS、2024年。

 

籾山邸から見て真南の高台には正法寺がありますが、境内には1954年(昭和29年)に籾山長平が寄進した狐像がありました。

(写真)正法寺の狐像。

 

常滑市にあった映画館について調べたことは「知多半島の映画館 - 消えた映画館の記憶」に掲載しており、その所在地については「消えた映画館の記憶地図(愛知県版)」にマッピングしています。

hekikaicinema.memo.wiki

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